JR 山手線(外回り)
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【関連サイト】 | JR 山手線(内回り) 平成20年 撮影 |
【初めに】
万歩計を腰に、平成15年の夏初めに山手線を外回りで東京から、品川、渋谷、新宿、池袋、上野、東京とウォーキング。その後再開発中だった汐留シオサイトや、品川港南口の完成、秋葉原のつくばエキスプレス開通などのイベントがあり、他にも多くの地域を回って増えた写真を使って、単なるウォーキング記録ではなく、観光ガイドとしての再編成を3年後の平成18年7月に行った。写真そのものは当時のままだが、現在の状況や、関連した地域、イベントを関連サイトとして掲載したり、多くのリンクを張った。
新名所としては、六本木ヒルズ、お台場、汐留シオサイト、品川港南口、青山・広尾、白金台界隈、恵比寿ガーデンプレイス・代官山などであり、古くからの名所としては、上野、浅草、巣鴨界隈である。旧跡、意外なもの、歴史的なものなどを、豊富なコメント付き写真で紹介した。
重厚な赤レンガの東京駅丸の内口から八重洲口に出、外回りで銀座経由で有楽町へ向う。有楽町からは日比谷映画街を経て、名物のガード下飲み屋街を見ながら新橋に着く。日比谷シャンテ前にゴジラ像がある。初代ゴジラは晴海に上陸し、晴海通りを歩き、銀座四丁目の和光時計台、旧日劇(現マリオン)を過ぎて、走行中の電車をつかみ上げて破壊した。大当たりで有名な西銀座宝くじ売り場はいつも長蛇の列である。
撮影当時(平成15年)には汐留から浜松町間は汐留シオサイト再開発中で、それから先は古川などで道が無いため線路沿いを歩けず、第一京浜を歩く。第一京浜と日比谷通りの合流点近くにある西郷隆盛と勝海舟の江戸城無血開城談判の記念碑を見ながら品川へ向う。田町駅前からは、麻布十番や六本木ヒルズに行くのに便利で安い「ちいバス」が出ている。品川駅手前にある赤穂義士の墓所である泉岳寺は、普段は閑散としているが、義士祭では狭い境内に人が溢れ、歩くのもままならない。品川は古くから賑わう高輪口に対し、再開発で港南口に高層オフィスビル群や、新幹線品川駅ができ、景色は一変した。
品川から第一京浜を南下、御殿山を過ぎてすぐの京浜急行北品川駅から左折、細道を通って旧東海道品川宿に出る。品川宿の遺構を見ながら歩き、山手通りに出て右折する。沢庵和尚で有名な東海禅寺はすぐだが、墓所はここに無く、大崎方向に数百m行った所にある。大崎駅は埼京線乗り入れに合わせて大規模な再開発を行っている。山手通りを歩き、五反田に着く。山手線に沿って花房山通りを目黒へ向う。
恵比寿ガーデンプレイスは、駅名の由来にもなったエビスビールを作っていたサッポロビール恵比寿工場の跡地に出来た。人気が落ちてきたとは言え、年に1,600万人以上の集客がある。渋谷区のコミュニティバスであるハチ公バス(夕やけこやけルート)は、代々木公園から、渋谷、青山学院を経て恵比寿ガーデンプレイス、代官山を中間点にする巡回バスで、人気がある。代官山は、恵比寿と渋谷の中間で、ハチ公バスのほかに、渋谷と代官山を循環する東急トランセバスや、東急東横線が便利である。
渋谷から若者の溢れる公園通りを歩き、代々木公園を経て原宿に着く。明治神宮には寄らず、原宿から表参道ではなく、脇の意外に狭い竹下通りに進み、途中で軍神 東郷平八郎(日露戦争の連合艦隊司令長官)を祀る東郷神社に到る。竹下通りはお子ちゃま向けで、大人には面白みに欠ける。平和な時代の象徴である竹下通りの傍に東郷神社があり、現代的な新宿南口の高島屋タイムズスクエアの近くに古色蒼然たる代々木の日本共産党本部と言うミスマッチが面白い。
早稲田を出て久しぶりに新宿から歌舞伎町を経て新大久保まで歩いたが、ラブホテル街はきれいになり、職安通りから新大久保までのコリアンタウン化が一段と進んでいた。会話は朝鮮語で、文字は諺文である。その一方で新大久保から高田馬場までの和風旅館街は一掃され、昔の面影は無く、ロッテの工場が一際目立つ。歌舞伎町の象徴だったミラノ座前の噴水は無くなり、ホームレスの昼寝の場になっている。高田馬場は早稲田であり、学生の街の雰囲気が色濃く残っている。
三田線と南北線、千代田線の撮影で行った巣鴨と駒込、西日暮里以外は初めての土地である。山手線は線路沿いに歩けるところは少なく、大塚駅から線路沿いの細道を歩いていたら巣鴨地蔵前に出る、とか、田端界隈は住宅街を歩いた。「おばあちゃんの原宿」と言われる巣鴨のとげ抜き地蔵は人出に溢れ、駒込駅前には徳川綱吉の寵臣である柳沢吉保が作った六義園がある。
鶯谷駅から谷中墓地へ向かい、隣接する寛永寺に行った。普通の寺と違い、観光地化されておらず、立ち入り禁止だらけでごく一部が見られるだけだった。谷中霊園には徳川慶喜の墓があり、寛永寺には徳川家綱、綱吉の霊廟勅額門がある。上野公園経由で上野駅に向かったが、西郷さんの手前にひっそりと彰義隊の墓所があった。上野東照宮も含め、かっての寛永寺の寺域の広さが分る。
この区間は何度も歩いており、特に目新しいことは無い、と思っていた。しかし、万世橋横の秋葉原屈指のPC専門大型店が閉鎖され、パチンコ店に変わっていたのには驚いた。中央通り以外は寂れた感じの秋葉原は再開発がなり、つくばエクスプレスの終点になったこともあって景色は一変した。 旧国鉄本社ビルは再開発後は丸の内オアゾ(OAZO)となり、丸の内ホテルや、丸善が入ったビルになった。