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六義園(蓬莱島〜滝見茶屋〜吹上茶屋)

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六義園 泉水沿いに西進 六義園 泉水沿いに西進 

宜春亭、心泉亭から泉水に戻る。
六義園 妹山(いものやま) 背山(せのやま) 六義園八十八境 十四、十五 六義園 妹山(いものやま) 背山(せのやま) 六義園八十八境 十四、十五 

いもせ山 中に生たる玉ざゝの
一夜のへだて さもぞ露けき
        藤原信実 新撰和歌六帖

正面の中の島にある左の山が妹山、右側の少し大きいほうが背山です。六義園のモデルとなった紀州(和歌山県)の和歌の浦には、「妹背山(いもせやま)」のある島が今も残ります。夫婦、兄妹のことを「妹背(いもせ)」と呼びますが、夫婦和合、子孫繁栄の思いがこめられているのでしょうか。中央に立つ大きな石(紀州青石)は玉笹石(八十八境の十六)と呼ばれ、歌の中の男女の仲を隔てる笹に見立てられています。
 また紀ノ川流域、吉野にも妹山、背山は実在し、万葉の歌枕として有名です。浄瑠璃「妹背山婦女庭訓」(いもせやまおんなていきん)は、文楽や歌舞伎の演目としてお馴染みです。
 六義園 中の島 妹山・背山 六義園 中の島 妹山・背山 

中央やや左の舟屋の左にあり、水面に長くわずかに出ている石は臥龍石である。
六義園 中の島 玉笹石(紀州青石) 六義園 中の島 玉笹石(紀州青石) 

玉笹石は、妹山、背山という男女の仲を隔てる笹に見立てられている。
六義園 泉水を彩る花々 六義園 泉水を彩る花々 

花の名前は分からない。
六義園 D蓬莱島 C臥龍石 六義園 D蓬莱島 C臥龍石 

 池の中に見える、アーチ型の石の島が蓬莱島です。元禄十五年の作庭当時にはなく、明治時代になって、岩崎家によって据えられたものといわれていますが、庭園の風景にとても良くなじんでぃます。
本来は島にマツの木がありましたが、昨年の東日本大震災で石組が崩れ、マツも倒れてしまいました。復旧に向けて検討を行なっています。
 蓬莱島のさらに奥、中の島の舟屋の左手にあるのが、八十八境の一つ、臥龍石です。その名の通り、龍が伏せているような形の石が水面から顔を出しています。こちらも震災で石が沈下してしまいましたが、修複を行い、龍の形が良く見えるようになりました。
六義園 蓬莱島、吹上茶屋 六義園 蓬莱島、吹上茶屋 

一目で蓬莱島と分かる独特のアーチ型の島があり、その後に吹上茶屋、右端に舟屋が見える。舟屋のやや左に臥龍石が見えるはずだが、写真では分からない。解説板では水面に背を出す形でよく分かる、となっているが、実際には特定の場所で、目を凝らして見ないと分からない。
 六義園 泉水から南西角に向かう 六義園 泉水から南西角に向かう 
六義園 左折して滝見茶屋へ 六義園 左折して滝見茶屋へ 
六義園 滝見茶屋 六義園 滝見茶屋 

あずまやの横を渓流が走り、岩の間から落ちて水しぶきをあげています。あずまやからは。滝や石組(水分石/みずわけ
いし)などの景観や水音が楽しめます。
六義園 枕流洞、水分石 六義園 枕流洞、水分石 

水分石はすぐ分かるが、その上の枕流洞は少し分かりにくい。
六義園 水分石(すいぶんせき・みずわけいし) 枕流洞(しんりうとう・まくらのほら) 六義園 水分石(すいぶんせき・みずわけいし) 枕流洞(しんりうとう・まくらのほら) 

 日本庭園では、滝口の石組で水を左右に分ける石は「水分石」と呼ばれます。「六義園記」には、「水を、三つにわけたる石なり。東山殿の図にも、『水分石』といふ石あり。」とあり、足利義政が造営した銀閣寺が触れられています。
 夏目漱石のペンネームとなった、「石に漱(くちそそ)ぎ、流れに枕す」という言葉は有名ですが、江戸時代初期の儒学者の藤原惺窩(せいか)は、住んだ山荘の周囲の景勝地を「枕流洞」と名付けました。「六義園記」では、石の形が「流れに枕して、下に洞あり。」となっています。
 ここから流れる水が庭園全体の水源ですが、作庭当時は千川上水が使われています。
 この周囲にはほかにも紀川上(きのかわかみ)紀路遠山(きじとおやま)など八十八境の多くがあり、山中の水源であると同時に和歌の歴史の源という意味も込められていました。
 右手奥にはやはり日本庭園の石組としてよく用いられる「三尊石」があるが、これは岩崎家所有の時代に据えられたといわれました。
六義園 西端の道を北上 六義園 西端の道を北上 
六義園 右手に見える千鳥橋 六義園 右手に見える千鳥橋 

滝見茶屋に寄るため途中で左折したが、そのまま直進していたら千鳥橋を渡ってこの地点に来た。
六義園 尋芳径(はなとうこみち) 千鳥橋 六義園 尋芳径(はなとうこみち) 千鳥橋 

 六義園の風景は、池の周りを巡る「海の景」と、木立の間を行く「山の景』の2つに分けられます。この付近が風景が変わるポイントで、右手の尋芳径を進むと山の景、左手の千鳥橋の向こうは海の景となります。
 右手の道が尋芳径です。「花の香を尋ねて歩く道」という意味で。奈良の桜の名所、吉野山を尋ねる道に見立てられています。初夏にはヤマツツジの花が見られます。
 鳥の千鳥が足を交差させて歩く様子から、ジグザグの形を「千鳥」と呼びますが、左手の千鳥橋はかつては実際にそういう形をしていました。浜千鳥の跡を追って和歌の浦を探す、というイメージが重ねられています。

千鳥橋は通らないが、泉水沿いの道を選ぶため、右手に進む。
六義園 右手の吹上茶屋へ 六義園 右手の吹上茶屋へ 

左折すると吟花亭跡に向かう。
六義園 木立の向こうに見える泉水、吹上浜 六義園 木立の向こうに見える泉水、吹上浜 
六義園 吹上茶屋 六義園 吹上茶屋 
六義園 吹上浜から見える和歌浦 六義園 吹上浜から見える和歌浦 
六義園 吹上浜から見える和歌浦、蓬莱島 六義園 吹上浜から見える和歌浦、蓬莱島 
六義園 蓬莱島 六義園 蓬莱島 

蓬莱島は独特のアーチ型の石組みであり、すぐ分かる。
六義園 吹上茶屋 六義園 吹上茶屋 
六義園 吹上浜 吹上松 六義園八十八境 六十三、六十四 六義園 吹上浜 吹上松 六義園八十八境 六十三、六十四 

 「吹上浜」という地名は全国にありますが、ここは和歌山市の「吹上」にちなんでいます。和歌山の吹上にはかつて砂丘と松林があり、「根上り松」という変わった形のマツが見られました。六義園が作られたときの絵図面にも園内に多くのマツが描かれており、マツが庭の主要な樹木だったことが分かります。そのほとんどは失われてしまいましたが、この「吹上松」の老木のみは絵図面と同じ位置にあり、大切に管理されています。
 左手の「吹上茶屋」は、「熱海ノ茶屋」として岩崎家によって建てられたものですが、戦災などで焼けた後に東京都によって再建され、現在は抹茶の店舗として活用されています。
六義園 吹上松 六義園 吹上松 



 
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