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万歩計



(From H14-10-28)

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桜田門〜皇居前広場〜和田倉門

【関連サイト】 光都東京LIGHTOPIA2009(H21−12−22)

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桜田門交差点 桜田門交差点 

右側は警視庁、左側は法務省の赤レンガビル
凱旋濠から見た桜田門 凱旋濠から見た桜田門 

桜田門から祝田橋までが凱旋濠、そこァら日比谷交差点を経て馬場先門までは日比谷濠である。反対に半蔵門までは桜田濠と言う。
桜田門 桜田門 
桜田門を過ぎて皇居前広場へ 桜田門を過ぎて皇居前広場へ 

桜田門は大手門や、北の丸公園の清水門、田安門同様枡形門となっており、入って直角に曲がって次の門がある。
桜田門を出ると皇居前広場 桜田門を出ると皇居前広場 
江戸城由来書 江戸城由来書 

特別史跡 江戸城跡
 江戸城は長禄元年(一四五七)に太田道灌によって創築されたが、天正十八年(一五九〇)に北条氏が滅亡し、徳川家康が居城をここに定めた。
 以来、家康、秀忠、家光の三代にわたって西の丸、北の丸の増設や外郭の整備が行われ江戸城の総構が完成した。
 明治維新後江戸城は皇居となり、昭和二四年に西の丸下及び現在の皇居を取りまくお濠の地域が「国民公園皇居前広場」として一般に開放され、昭和四四年からは北の丸地域が加えられ広く国民に親しまれている。
 この江戸城跡は、三百年近くにわたる将軍の居所として、また政治の中心としての史的価値が極めて大きく、その規模はわが国随一のものであることから、昭和三八年五月三十日に文化財保護法による「特別史跡」に指定された。
皇居前広場 皇居前広場 

左折し、内堀通りを歩く。
皇居前広場 大楠公(楠木正成)像 皇居前広場 大楠公(楠木正成)像 
二重橋 遠望 二重橋 遠望 

毎度おなじみの風景であるが、手前の石橋と後方の鉄橋とはさほど高低差がないように見える。しかし、天皇誕生日の一般参賀で実際に渡ったが、とてつもなく高低差があるのには驚かされる。
二重橋 二重橋 
皇居前広場から丸の内展望 皇居前広場から丸の内展望 

赤レンガ風の建物は、行幸通りの和田倉門交差点にある東京海上日動ビル本館である。
皇居前広場 二重橋前交差点で左折、内堀通りへ 皇居前広場 二重橋前交差点で左折、内堀通りへ 

前日に暴走事故があり、中国人旅行者が死亡、1名重体、1名軽症となった。その検証が行われており、事故でよく見る黒い標識がいくつも立てられていた。ここは普段から観光客の横断が頻繁で、何で暴走したのか分からない。
皇居前広場 内堀通りを北上 皇居前広場 内堀通りを北上 

赤レンガ風の建物は、行幸通りの和田倉門交差点にある東京海上日動ビル本館である。
皇居前広場 内堀通りを北上 皇居前広場 内堀通りを北上 

周囲のビルの中では低層ではあるが、赤レンガ風の東京海上日動ビル本館は目立つ。
内堀通り 右折して行幸通りへ 内堀通り 右折して行幸通りへ 
行幸通りを東進 行幸通りを東進 

東京駅丸の内中央口と、皇居とを結ぶ行幸通りもいちょう並木で有名であるが、さすがに裸木となっている。
行幸通り 和田倉噴水公園 行幸通り 和田倉噴水公園 

平成7年の皇太子のご成婚を機に、今上天皇のご成婚記念で昭和36年に作られた大噴水を再整備。高さ8.5mまで噴き上げる大噴水のほか、高さ5.5m長さ30mの滝などを流水か結ぶ。、
行幸通り 和田倉噴水公園 行幸通り 和田倉噴水公園 
和田倉噴水公園 和田倉噴水公園 
和田倉噴水公園 和田倉噴水公園 
和田倉噴水公園 和田倉噴水公園 

平成7年の皇太子のご成婚を機に、今上天皇のご成婚記念で昭和36年に作られた大噴水を再整備。高さ8.5mまで噴き上げる大噴水のほか、高さ5.5m長さ30mの滝などを流水か結ぶ。、
和田倉噴水公園 和田倉噴水公園 
和田倉噴水公園 皇太子殿下成婚記念の碑 和田倉噴水公園 皇太子殿下成婚記念の碑 

書は元首相の吉田茂である。
行幸通り 和田倉門 行幸通り 和田倉門 
行幸通り 和田倉門 行幸通り 和田倉門 

特別史跡 江戸城跡
 江戸城は長禄元年(一四五七)に太田道灌によって創築されたが、天正十八年(一五九〇)に北条氏が滅亡し、徳川家康が居城をここに定めた。
 以来、家康、秀忠、家光の三代にわたって西の丸、北の丸の増設や外郭の整備が行われ江戸城の総構が完成した。
 明治維新後江戸城は皇居となり、昭和二四年に西の丸下及び現在の皇居を取りまくお濠の地域が「国民公園皇居前広場」として一般に開放され、昭和四四年からは北の丸地域が加えられ広く国民に親しまれている。
 この江戸城跡は、三百年近くにわたる将軍の居所として、また政治の中心としての史的価値が極めて大きく、その規模はわが国随一のものであることから、昭和三八年五月三十日に文化財保護法による「特別史跡」に指定された。
行幸通り 和田倉門 行幸通り 和田倉門 

左の和田倉濠に架かるのは和田倉橋で、奥に遺構がある。
和田倉門 和田倉門 

噴水の奥にあるため気がつかず、噴水を見ただけで、和田倉門を行く人は少ない。
和田倉門 和田倉門 






 
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