|
京都市営地下鉄 烏丸線 北大路駅
北大路駅〜大徳寺〜金閣寺〜龍安寺〜仁和寺〜広沢池〜大覚寺〜天龍寺〜嵐山 渡月橋
【撮影記録】
平成23年 10月 7日 晴れ 9:30〜16:05(昼食は摂れず)
27,700歩(概算 18.0km 地図上の距離 13.5km・・・寺内の散策など設定できず)
歩き始めこそ曇っていたが、その後はきれいに晴れてきて10月というのに35℃近くまで暑くなる時もあった。地図上の距離は様々な寺の内部での距離は計上できないため、予定の13.5km以上の歩きとなり、難行苦行の連続だった。バスやタクシーを使って今回のコースを再訪することはありえても、歩いての再訪は歳の制約で有り得ないと思い、休憩を重ねつつ完歩した。昼食時が「きぬかけの路」、一条通と山道で食べ損ねたことも体力消耗の一因と思う。 |
|
北大路通 北大路駅 付近観光案内図
左が北で現在地は中央の赤四角であり、左右の青線は鴨川である。現在地の右にある縦線は北大路通で、下(西)方向に歩く。 |
|
北大路通 北大路駅 熱中症計は注意
現在時刻は9:35で、熱中症計は、温度は26.2℃、湿度は57%である。
天気予報では曇り、最高気温は29℃とのことである。今年は異常気象で大阪は晴れ、32℃なので歩きやすいだろうと考えていた。それが間違いだったことは後で痛感させられた。
天候はやや厚い雲が広がり、雨は大丈夫だろうかとさえ思えた。 |
|
北大路通 立命館大学 附属小学校
北大路駅から少し進んだ所にあり、洒落た外観である。
今回歩いたコースは立命館大学のキャンパスや、施設が建ち並んでいる。 |
|
北大路通 北大路新町交差点 |
|
北大路通 堀川北大路交差点で左折、堀川通へ
北大路駅前の付近観光案内図を見たら、この先の堀川北大路交差点で左折すると小野篁、紫式部の墓があることが分かったので立ち寄ることにした。 |
|
北大路通 堀川北大路交差点で左折、堀川通へ |
|
堀川通 小野篁、紫式部の墓
白く長い塀が続き、その切れ目にひっそりと小野篁、紫式部の墓の案内の碑が立っている。右には紫式部墓所、柱状のものが小野篁卿墓と書かれている。
内部には説明板がなく、紫式部はともかく、知る人ぞ知る小野篁とは誰なのか、両者の関係を知っていないと意味不明の場所である。 |
|
堀川通 小野篁の墓
小野篁は9世紀前半の参議で、昼は宮中で、夜は井戸を通り閻魔大王に仕えたと言われる。 |
|
堀川通 小野篁の墓 参議小野公塋域碑
塋域とは墓所のことで、明治2年3月に建てられた碑である。 |
|
堀川通 紫式部の墓 |
|
堀川通 紫式部の墓
小野篁の墓の隣にある。紫式部は10世紀後半の女官であり、9世紀前半の小野篁とは時代が異なる。
一説によると、「愛欲を描いた咎で地獄に落とされた式部を、篁が閻魔大王にとりなしたという伝説」に基づく。 |
|
堀川通 紫式部の墓 紫式部顕彰碑
平成元年に建てらた碑であるが、読みにくい。 |
|
堀川通 堀川北大路交差点で左折、北大路通へ |
|
北大路通 大徳寺前交差点
大徳寺前交差点で右折、大徳寺通(旧大宮通)を北上すると総門があり、左折すると勅使門、三門に出る。ここでは北大路通をさらに西進、南門からの参道を歩くこととする。 |
|
大徳寺 三門(重要文化財)
大徳寺の参詣については別ページにまとめた。 |
|
北大路通 建勲神社前交差点
交差点の左を見ても神社らしきものは見えない。 |
|
北大路通 今宮門前交差点 |
|
北大路通 今宮門前交差点
交差点角に建勲神社北参道の案内があり、奥に木立が見えるので立ち寄ることにした。 |
|
船岡山公園 史跡船岡山見取り図
見取り図には以下の説明がなされており、建勲神社は図の左側にある。
戦国時代のはじまりを告げる応仁・文明の乱をはじめ戦国時代には城や陣屋が築かれ、度々合戦場となったことなどから歴史上重要である。
建勲神社は木立の道を上って行くが、特に説明もないので割愛した。後日インターネットで調べた来歴では、明治2年に織田信長を祀るために創建された神社である。 |
|
北大路通 千本北大路交差点で千本通を渡る |
|
北大路通 千本北大路交差点で千本通を渡る
3年前に歩いた時は次の予定の都合でこの交差点で散策を終了した。今回は終日洛北散策を予定しており、すぐ先の金閣寺に向かう。 |
|
北大路通 千本北大路交差点 付近観光案内図 |
|
北大路通 突き当りで左折、西大路通へ
左折して西大路通が始まる。 |
|
北大路通 突き当りで左折、西大路通へ |
|
西大路通 金閣寺前交差点で右折、鞍馬口通へ
鞍馬口通は北大路通の南側を東西に進む道路で、西大路通を渡った後金閣寺門前まで続く道である。 |