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隅田公園(東岸 旧水戸藩下屋敷 小梅邸)(牛嶋神社〜花見広場)〜本所吾妻橋駅

【関連サイト】   梅雨の晴れ間の浅草散策(ほおずき市、隅田公園、長命寺、弘福寺、三囲神社、牛嶋神社)H280710
((牛嶋神社〜隅田公園(旧水戸藩下屋敷 小梅邸)〜本所吾妻橋駅)

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満開近い桜並木の隅田公園(東岸 旧水戸藩下屋敷 小梅邸)を南下 満開近い桜並木の隅田公園(東岸 旧水戸藩下屋敷 小梅邸)を南下 

言問橋を通り抜けると風景は一変し、桜をはじめ、様々な木々の庭園となる。

言問橋を境に、隅田公園(東岸 旧水戸藩下屋敷 小梅邸)の南側は旧水戸藩下屋敷の小梅邸の庭園である。
満開近い桜並木の隅田公園(東岸 旧水戸藩下屋敷 小梅邸)を南下 満開近い桜並木の隅田公園(東岸 旧水戸藩下屋敷 小梅邸)を南下 
満開近い桜並木の隅田公園(東岸 旧水戸藩下屋敷 小梅邸)を南下 左折して牛嶋神社へ 満開近い桜並木の隅田公園(東岸 旧水戸藩下屋敷 小梅邸)を南下 左折して牛嶋神社へ 
隅田公園(東岸 旧水戸藩下屋敷 小梅邸) 牛嶋神社 西門 隅田公園(東岸 旧水戸藩下屋敷 小梅邸) 牛嶋神社 西門 
隅田公園(東岸 旧水戸藩下屋敷 小梅邸) 牛嶋神社 社殿、三輪鳥居 隅田公園(東岸 旧水戸藩下屋敷 小梅邸) 牛嶋神社 社殿、三輪鳥居 

明神鳥居の両脇に脇鳥居が付いており、三輪鳥居と呼ばれる。

 牛嶋神社は、貞観二年(八六〇年)に須佐之男命(すさのおのみこと)が、郷土守護神としてまつられたのにはじまり、その後、天之穂日命(あめのほひのみこと)、次いで清和天皇の第七皇子の貞辰親王命(さだときしんのうのみこと)を合わせておまつりしております。
 治承四年(一一八〇年)、源頼朝の大軍の豪雨中の参拝とか、天文七年(一五三八年)に後奈良院より「牛の御前社」という勅号を賜ったことなど、古来当社にかかわる伝説・縁起は数多くありますが、江戸時代初期に、境内に撫牛(なでうし)の石像がまつられて信仰をあつめ、十二年に一度の丑の年には、焼物の「牛のお守り」が作られるようになりました。
 この「牛のお守り」は、それぞれの時代の人達の身近にあってその人達をお守りし、十二年毎に形を変えて敬愛され続けてきました。
隅田公園(東岸 旧水戸藩下屋敷 小梅邸) 牛嶋神社 参道 隅田公園(東岸 旧水戸藩下屋敷 小梅邸) 牛嶋神社 参道 
隅田公園(東岸 旧水戸藩下屋敷 小梅邸) 宴もたけなわの花見広場(築山) 隅田公園(東岸 旧水戸藩下屋敷 小梅邸) 宴もたけなわの花見広場(築山) 

花見広場には芝生養成中のため立入禁止の立て札が何ヶ所も立てられているが、あちこちで花見の宴が繰り広げられている。
隅田公園(東岸 旧水戸藩下屋敷 小梅邸) 汐入の池 隅田公園(東岸 旧水戸藩下屋敷 小梅邸) 汐入の池 

牛嶋神社は隅田公園(旧水戸藩下屋敷 小梅邸)の北側の一画にある。

 現在の日本庭園は、隅田公園が整備される以前にこの地にあった水戸徳川邸の遺構を活用しています。
 ここには江戸時代、水戸藩の下屋敷があり、主に蔵屋敷として使われていました.明治維新後は一時上げ地となりましたが、その後下賜され、水戸徳川家当主が関東大震災で家が全壊するまで代々ここに住みました。当時は最後の将軍徳川慶喜もよく来ていたようで、数多くの写真が残されており、立派な門や洋風建築が建てられていた在り日の姿が伺えます,
 関東大震災以後、隅田公園の区域に取り込まれ、邸内の池(当路は汐入の池)等の遺構を活用し、日本庭園へと形を変えて現在に伝えられています。
隅田公園(東岸 旧水戸藩下屋敷 小梅邸) 宴もたけなわの花見広場(築山) 隅田公園(東岸 旧水戸藩下屋敷 小梅邸) 宴もたけなわの花見広場(築山) 
隅田公園(東岸 旧水戸藩下屋敷 小梅邸) 宴もたけなわの花見広場(築山) 隅田公園(東岸 旧水戸藩下屋敷 小梅邸) 宴もたけなわの花見広場(築山) 
隅田公園(東岸 旧水戸藩下屋敷 小梅邸) 宴もたけなわの花見広場(築山) 隅田公園(東岸 旧水戸藩下屋敷 小梅邸) 宴もたけなわの花見広場(築山) 
隅田公園(東岸 旧水戸藩下屋敷 小梅邸) 宴もたけなわの花見広場(築山) 隅田公園(東岸 旧水戸藩下屋敷 小梅邸) 宴もたけなわの花見広場(築山) 
隅田公園(東岸 旧水戸藩下屋敷 小梅邸) 明治天皇御製碑 隅田公園(東岸 旧水戸藩下屋敷 小梅邸) 明治天皇御製碑 

明治8年に明治天皇が徳川慶喜の実弟である徳川昭武邸を行幸された時の御製である。

花くはし櫻もあれと此やと ( 宿 ) の
世々のこゝろを我はと ( 問 ) ひけり
隅田公園(東岸 旧水戸藩下屋敷 小梅邸) 明治天皇行幸所 水戸徳川邸 旧阯碑 隅田公園(東岸 旧水戸藩下屋敷 小梅邸) 明治天皇行幸所 水戸徳川邸 旧阯碑 
隅田公園(東岸 旧水戸藩下屋敷 小梅邸) 隅田公園 水戸邸跡 由来記 隅田公園(東岸 旧水戸藩下屋敷 小梅邸) 隅田公園 水戸邸跡 由来記 

コノ地ハ江戸時代 水戸徳川家ノ下屋敷 小梅別邸ガ置カレタトコロデアル

徳川御三家ノ一ッデアル水戸家ガオ浜屋敷 中央区 ニ替エテコノ地ヲ賜ッタノハ 元禄六年 一六九三年   三代綱條公ノ時デアル

屋敷ハ 西ハ隅田川ニ面シ南ハ北十間川ヲ巡ラシ 面積オヨソ六万六千平方メートル 約二万坪  南北二百メートル余 東西約三百メートルニワタリ南ニ広ガル梯形ノ地デ 現在ノ向島一丁目ノホボ大半ヲ占メ 墨田区南部ニ置カレタ大 小名屋敷八十余ノウチデ最大ノ規模ヲ誇ルモノデアッタ

 コノ屋敷ハ 現在後楽園ノ名ガ残ル小石川本邸 駒込別邸 イズレモ文京区 ノ控トシテ 従者デアル蔵奉行 水主 鷹匠ノ住マイナドニアテラレ マタ西側ニ接シタ一角ニハオ船蔵ガ置カレ 水戸家所有ノ船 材木ナドガ保管サレテイタ

 弘化元年 一八四四年   烈公トシテ知ラレル九代斉昭公ガ藩政改革ノ一端カラ幕府ノ誤解ヲ招キ駒込別邸デ謹慎ヲ命ジラレタ際、改革派ノ中心デアリ高名ナ水戸学者デアッタ藤田東湖ガ責任ノ一班ヲ負イ蟄居ノ日々ヲ送ッタノモ コノ屋敷内ノ長屋デアッタ

 ヤガテ明治維新トナリ 十一代昭武公ノ代ヲ以テ藩制度ハ解消 一時政府ノ管理スルトコロトナッタモノノ 爾後 改メテ水戸家本邸ガ置カレ 明治八年ニハ 

 明治天皇 同二十五年ニハ 昭憲皇太后ノゴ訪問ヲ受ケタ シカシ大正十二年九月 関東大震災ノ劫火ニヨリ烏有ニ帰シ 二百三十年ニ及ブ水戸屋敷ノ歴史ハココデ閉ジタノデアル

 昭和六年 帝都復興計画ニ基ヅキ隅田公園ガ造営サレルト 水戸邸ノ旧跡ハ同園ニ取リ入レラレ 往時ヲシノブヨスガヲソノ一角ニトドメ 広ク市民ノ憩イノ場トナッテイタ  

シカシソノ後 半世紀近イ歳月トトモニ環境ハ変化シ マタ第二次大戦ノ戦火ノ被害モアリ ソノ面影モオオカタ失ワレタ

 昭和五十年 コノ公園ヲ管理スルコトトナッタ墨田区ハ 同五十二年区制施行三十周年ヲ記念シテ改修ニ着手シ コノタビ昔日ノ風趣ヲ伝エル日本風庭園ヲ再現サセタ 

ココニ カッテノ水戸徳川邸ノ林泉ノ美ガ復元サレタコトヲ機会トシテ一碑ヲ建テ イササカコノ地ノ由来ヲ記シ 後世ニ伝エルモノデアル

隅田公園(東岸 旧水戸藩下屋敷 小梅邸) 南東出口に向かう  隅田公園(東岸 旧水戸藩下屋敷 小梅邸) 南東出口に向かう 
隅田公園(東岸 旧水戸藩下屋敷 小梅邸) 南東の出口から三ツ目通りへ 隅田公園(東岸 旧水戸藩下屋敷 小梅邸) 南東の出口から三ツ目通りへ 
隅田公園(東岸 旧水戸藩下屋敷 小梅邸) 南東出口 公園案内図 隅田公園(東岸 旧水戸藩下屋敷 小梅邸) 南東出口 公園案内図 
三ツ目通り 北十間川に架かる源森橋 三ツ目通り 北十間川に架かる源森橋 
三ツ目通り 源森橋から見た東武スカイツリー線高架、東京スカイツリー 三ツ目通り 源森橋から見た東武スカイツリー線高架、東京スカイツリー 

東京スカイツリー建設中に写真を撮る人で賑わった場所だが、いまは立ち止まる人もいない。
三ツ目通り 北十間川に架かる源森橋 三ツ目通り 北十間川に架かる源森橋 

 源森橋の名前の由来は、現在の枕橋(本橋から約二百メートル隅田川寄りの橋)、古くは源森橋と呼ばれていたものが、明治初期に枕橋に正式決定されたことから、本橋を源森橋と呼ぶようになったことによるものである。
 その昔、現在の枕橋(旧源森橋)が関東郡代であった伊奈半十郎により中之郷瓦町(現在の吾妻橋地区)から新小梅町(現在の向島地区)に通ずる源森側(現在の北十間川)に架けられた。また枕橋(旧源森橋)北側にあった水戸屋敷内に大川(隅田川)から引き入れた小さな堀があり、これに架かる小橋を新小梅桃と呼んでいた。この二つの橋(旧源森橋、新小梅橋)は並んで架けられていたため、いつの頃からか枕橋と総称されるようになった。
 その後、水戸屋敷内への堀は埋められ新小梅橋もいつしか消滅し、残った旧源森橋は明治初期に正式に枕橋と呼ばれることになり、旧源森橋の東側にあった本橋を源森橋と公称した。   現在の源森橋は、昭和三年に架設した鋼橋(上路式アーチ橋)が約八十年経過し、老朽化したため、平成十九年三月に鋼橋(鋼床版鈑飯桁)に架け替えられたものである。
 三ツ目通り 吾妻橋交番前交差点で左折、浅草通りへ 三ツ目通り 吾妻橋交番前交差点で左折、浅草通りへ 
都営浅草線 本所吾妻橋駅 都営浅草線 本所吾妻橋駅 



 
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