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永代通り 深川不動尊
深川不動尊は、元禄15年(1703年)に成田山新勝寺の別院として建立された。隣接して勧進相撲など相撲関係の碑が多い富岡八幡宮があり、参道を飾る「人情深川御利益通り」の幟や、深川めしなどの店が並ぶ。 |
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永代通り 富岡八幡宮
富岡八幡宮は、東西線と大江戸線が交差する門前仲町にあり、江戸下町を代表する神社である。勧進相撲の開催地のため、力石や大関力士碑などがある。深川不動が隣接している。
江戸三大祭り(神田明神天下祭り、日枝山王社天下祭り、浅草神社三社祭)のうち、三社祭の代わりに富岡八幡宮を入れる人もいる。但し、よくあるように、三大○○の上位2つは確定、残りはいくつか挙げて余裕を持たせる方便である、という人もいる。 |
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永代通り 平久川に架かる汐見橋
平久川の下流に架かる平久橋には洲崎十万坪の大津波の遺構がある。 |
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永代通り 平久川に架かる汐見橋 |
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永代通り 首都高9号深川線の高架下を進む
高架の少し先に三ツ目通りと交差する木場五丁目交差点がある。 |
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永代通り 木場五丁目交差点で右折、三ツ目通りへ |
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三ツ目通り 大横川に架かる平木橋 |
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三ツ目通り 平木橋を渡ってすぐ左折 |
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洲崎神社
徳川5代将軍綱吉の生母桂昌院の守り神として崇敬され、元禄13年(1700年)に江戸城中より遷された。 |
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洲崎神社 波除碑
寛政3年(1791)9月3日に大雨が降り始め、翌日、深川洲崎一帯に襲来した高潮によって弁天社を始め、その付近の家屋がことごとく流されて多数の死者・行方不明者が出ました。幕府はこの災害を重視して洲崎弁天社から西の5,467余坪を買上げて空地とし、家作を禁じて後の水害に備えることとし、さらに同6年(1794)12月、空地東西の北端に波除碑2基を建て、見通しの標としました。 |
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洲崎神社 津波警告の碑 |
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洲崎神社 波除碑
次の説明板にも書かれているが、破損がひどく、何の碑か全く分からない。 |
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洲崎神社 波除碑
寛政3年(1791年)9月4日、深川州崎一帯を襲った台風による高潮により、付近一帯の家屋がことごとく流され、多くの死者、行方不明者が出た。幕府は州崎弁天社から西の一帯の東西285間、南北30余間、総面積5万5千坪余りを買い上げ空き地とし、これより海側に人が住むことを禁じた。そして空き地の東北地点(州崎神社)と西南地点(平久橋袂)に波除碑を建てた。当時は高さ6尺、角1尺であったが、材質が砂岩で脆く、関東大震災と戦災で破損が著しい。 |
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洲崎神社 名人竿忠之碑
波除碑の横にあるが、説明はない。 |
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洲崎神社 |
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洲崎川緑道公園 界隈案内図 |
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洲崎川緑道公園
深川によくある小河川を埋め立てて造られた公園で、永代通りに沿って南側にある。 |
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洲崎川緑道公園
東陽町駅前交差点から少し西進した所にある。この付近一帯を深川州崎十万坪と言う。江戸時代はこの辺りは埋立地で、荒涼とした湿地で海に面しており、土地を拡張し続けた。ある意味ではそれが大津波の悲劇を生んでいる。
今は埋立地とか、海に面していると言う面影は全く無い。現代でもゴミ捨て場だった夢の島が、JR京葉線/東京メトロ(旧営団)有楽町線の新木場駅前の立派な公園になっている。 |
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洲崎川緑道公園を出て右折 |
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永代通り ロレックスビル脇から永代通りへ |
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永代通り 東陽町駅前交差点で四ツ目通りを渡る
四ツ目通りはこの交差点を起点として北上、錦糸町駅を経て押上駅まで至る。 |
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東京メトロ(旧営団) 東西線 東陽町駅 |