万歩計 トップ 散策点描 目次 関東三大酉の市H3011 目次 一の酉 浅草 鷲神社、長國寺H301101 目次 吉原仲之町通り〜いろは会商店街(あしたのジョー)〜吉野通り 目次  長國寺・鷲神社 裏道〜花園公園〜吉原弁財天 土手通り〜いろは会商店街(あしたのジョー)〜吉野通り  ページ ラスト 


万歩計



(Since H14-10-28)

万歩計サイト内散策
検索方法はyahoo検索やgoogle検索と同じです。
結果は別タブに表示されます。


目次









掲示板(一言どうぞ)


区立台東病院〜吉原神社〜吉原大門交差点

【関連サイト】   奥浅草探訪(小塚原〜山谷〜吉原〜鷲神社〜いろは会商店街(あしたのジョー)〜三ノ輪駅)H291125
(吉原仲之町通り〜吉原神社〜新吉原弁天池跡)


 直前のページに戻ります。

写真の一覧表へ 

せんわ通りを北上 せんわ通りを北上 
せんわ通りを北上 せんわ通りを北上 
せんわ通り 区立台東病院 せんわ通り 区立台東病院 

せんわ通りは区立台東病院から右に大きく曲がり、仲之町通りとなって東進する。

区立台東病院は、もともと吉原の娼妓の性病治療をなすための病院から始まっている。
旧吉原遊廓 仲之町通りを東進 旧吉原遊廓 仲之町通りを東進 
旧吉原遊廓 仲之町通り 吉原神社 旧吉原遊廓 仲之町通り 吉原神社 
旧吉原遊廓 仲之町通り 吉原神社 旧吉原遊廓 仲之町通り 吉原神社 

 吉原神社は、かつて吉原遊郭にお祀りされていた五つの稲荷神社と遊郭に隣接する吉原弁財天を合祀した神社です。五つの稲荷神社とは玄徳(よしとく)稲荷社、明石(あかし)稲荷社、開運(かいうん)稲荷社、榎本(えのもと)稲荷社、九郎助(くろすけ)稲荷社の五社で、倉稲魂命(うがのみたまのみこと)を御祭神としています。
 また吉原弁財天の御祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)で、吉原神社にお祀りされていると共に、現在でも本宮が大切にお祀りされていて信仰が続いています。
旧吉原遊廓 仲之町通り 千束保健センター交差点 旧吉原遊廓 仲之町通り 千束保健センター交差点 
旧吉原遊廓 仲之町通り 千束保健センター交差点 旧吉原遊廓 仲之町通り 千束保健センター交差点 

旧町名由来案内 旧浅草新吉原京町一丁目

 元和三年(一六一七)幕府は日本橋葺屋町東側(現日本橋人形町二丁目付近)に江戸では唯一の遊廓開設を許可した。遊廓は翌年、営業を開始したが葭の茂るところを埋め立てて造ったことから、はじめのころは″葭原″と呼ばれた。そして寛永三年(一六二六)に縁起のいい文字にかえて吉原となった。明暦二年(一六五六)になると町奉行から、吉原を浅草日本堤へ移転するように命じられ、翌三年に移転した。それから、この付近は浅草新吉原と呼ばれるようになった。
 日本橋に開設されたころの吉原は江戸町一丁目、二丁目、京町一丁目、二丁目、角町の五力町であった。そのうちの京町一丁目は元和四年にできた町で、名の起こりは、そこで営業していた者の多くが京都出身者であったことに由来している。
旧吉原遊廓 仲之町通り 柳並木を東進 旧吉原遊廓 仲之町通り 柳並木を東進 
旧吉原遊廓 仲之町通り 千束四丁目交差点 旧吉原遊廓 仲之町通り 千束四丁目交差点 

交差点で左折すると揚屋横丁で、この道を直進するとよし原揚屋町一丁目案内柱がある。そこを左折すると一葉記念館へのY字路である。

4年前(平成26年)にこの道を歩いて一葉記念館に向かった。12時だというのに道の両側に黒服の客引きが並び、異様な光景だった。
旧吉原遊廓 仲之町通り 千束四丁目交差点 旧吉原遊廓 仲之町通り 千束四丁目交差点 

旧町名由来案内 旧浅草新吉原揚屋町

 元和三年(一六一七)幕府は日本橋葺屋町東側(現日本橋人形町二丁目付近)に江戸では唯一の遊郭開設を許可した。遊郭は翌年、営業を開始したが葭の茂るところを埋め立てて造ったことから、はじめのころは“葭原”と呼ばれた。そして寛永三年(一六二六)に縁起のいい文字にかえて吉原となった。明暦二年(一六五六)になると町奉行から、吉原を浅草日本堤へ移転するように命じられ、翌三年に移転した。それから、この付近は浅草新吉原と呼ばれるようになった。
 日本橋に開設されたころの吉原は江戸町一丁目、二丁目、京町一丁目、二丁目、角町の五カ町であった。揚屋町ができたのは、吉原が新吉原へ移転する際に、それまで各町にあったいくつかの揚屋を一カ所にまとめたときである。
旧吉原遊廓 仲之町通り ソープ店が続く 旧吉原遊廓 仲之町通り ソープ店が続く 
旧吉原遊廓 仲之町通り 吉原交番前交差点 旧吉原遊廓 仲之町通り 吉原交番前交差点 
旧吉原遊廓 仲之町通り 吉原大門の標識 旧吉原遊廓 仲之町通り 吉原大門の標識 

都営浅草線の駅名でもある芝増上寺の大門は「だいもん」であるが、吉原大門は「おおもん」である。
旧吉原遊廓 五十間通り 旧吉原遊廓 五十間通り 

吉原大門の標識から道はS字を描いて曲がっており、五十間通りという。これは日本堤から遊廓が直接見えないようにするためと言われる。
旧吉原遊廓 五十間通り 吉原交番で左折 旧吉原遊廓 五十間通り 吉原交番で左折 
旧吉原遊廓 五十間通り 旧吉原遊郭のお歯黒ドブの石垣跡 旧吉原遊廓 五十間通り 旧吉原遊郭のお歯黒ドブの石垣跡 
旧吉原遊廓 五十間通り 旧吉原遊郭のお歯黒ドブの石垣跡 旧吉原遊廓 五十間通り 旧吉原遊郭のお歯黒ドブの石垣跡 

昨年(平成29年)に旧吉原遊郭のお歯黒ドブの石垣跡を見つけることが出来ず、WeBを色々探したが、結局吉原交番脇を曲がってすぐの変哲もない石の階段であることが分かった。

普通は故事来歴が書かれた案内板があるはずだが、探したが全く無く、これでは見つからないのが当たり前である。
旧吉原遊廓 五十間通り 吉原大門の標識から見たソープ店街 旧吉原遊廓 五十間通り 吉原大門の標識から見たソープ店街 

さすがは旧吉原遊郭、と思わせる街並みである。
五十間通り 吉原大門交差点で左折、土手通りを北上 五十間通り 吉原大門交差点で左折、土手通りを北上 
五十間通り 吉原大門交差点 見返り柳 五十間通り 吉原大門交差点 見返り柳 

 旧吉原遊廓の名所の一つで、京都の島原遊廓の門口の柳を模したという。遊び帰りの客が後ろ髪を引かれる思いを抱きつつ、この柳のあたりで遊廓を振り返ったというところから「見返り柳」の名があり、
「きぬぎぬのうしろ髪ひく柳かな
  見返れば意見か柳顔をうち」
など、多くの川柳の題材となっている。
 かつては山谷堀脇の土手にあったが、道路や区画の整理に伴い現在地に移され、また、震災・戦災による焼失などによって、数代にわたり植え替えられている。
五十間通り 吉原大門交差点 見返り柳 五十間通り 吉原大門交差点 見返り柳 
五十間通り 吉原大門交差点 見返り柳 五十間通り 吉原大門交差点 見返り柳 



 
万歩計 トップ 散策点描 目次 関東三大酉の市H3011 目次 一の酉 浅草 鷲神社、長國寺H301101 目次 吉原仲之町通り〜いろは会商店街(あしたのジョー)〜吉野通り 目次  長國寺・鷲神社 裏道〜花園公園〜吉原弁財天 土手通り〜いろは会商店街(あしたのジョー)〜吉野通り  ページ トップ