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春帆楼本店〜日清講和記念館〜朝鮮通信使上陸淹留之地碑

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国道9号 春帆楼本店 国道9号 春帆楼本店 

赤間神宮・安徳天皇御陵に隣接し、関門海峡を望む高台に位置する。
旅館兼料亭として、伊藤博文の命名により創業を開始したものである。明治21年(1888年)には伊藤により解禁となった、ふぐ料理公許第一号店として(下関ではふぐのことをふくと呼ぶ)、あるいは明治28年(1895年)4月17日に締結された日清講和条約(下関条約)の締結会場としても知られる。
国道9号 春帆楼本店 国道9号 春帆楼本店 

国道9号から坂道を上って行く。
国道9号 春帆楼本店 明治天皇御駐輦記念碑 国道9号 春帆楼本店 明治天皇御駐輦記念碑 

日清講和記念館横に総理大臣男爵田中義一書の碑がある。
国道9号 春帆楼本店 安徳天皇御陵との境界 国道9号 春帆楼本店 安徳天皇御陵との境界 

赤間神宮の境内案内図では御陵をさらに進むと日清講和記念館、春帆楼に出られるとなっている。御陵から歩くと途中で歩けなくなっていたが、確認のため歩いてみたが、道は塞がれていた。
国道9号 春帆楼本店 安徳天皇御陵との境界 国道9号 春帆楼本店 安徳天皇御陵との境界 
国道9号 春帆楼本店 国道9号 春帆楼本店 
国道9号 春帆楼本店 日清講和記念館 国道9号 春帆楼本店 日清講和記念館 
国道9号 春帆楼本店 日清講和記念館 国道9号 春帆楼本店 日清講和記念館 
国道9号 春帆楼本店 国道9号 春帆楼本店 
国道9号 春帆楼本店 ふくの碑 国道9号 春帆楼本店 ふくの碑 

 春帆楼の名は伊藤博文公が”春の海の帆”を心に描いて命名されたものです。
 明治二十一年、伊藤公が春帆楼でふくを召しあがったのを機にご禁制を解かれ ふく料理店の公許第一号店となりました。
 以来みなさまのおかげで百周年を迎えることができました。ここに記念するとともに感謝の心をこめてふくの碑を建立します。

平成元年九月二十九日
国道9号 春帆楼本店 ふくの碑 国道9号 春帆楼本店 ふくの碑 
国道9号 春帆楼本店 日清講和記念館 伊藤博文像 陸奥宗光像 国道9号 春帆楼本店 日清講和記念館 伊藤博文像 陸奥宗光像  

 日清講和会議において日本側の全権を務めた伊藤博文及び陸奥宗光の胸像。当時、伊藤は内閣総理大臣、陸奥は外務大臣の要職にあった。
 この作品は、昭和十二年(一九三七)六月の日清講和記念館の開館に前後して制作され、戦前は館内正面に展示していた。
 作者は山口県平生町出身の彫刻家河内山賢祐、伊藤像は昭和十二年、陸奥像は昭和十三年の作。
国道9号 春帆楼本店 日清講和記念館 伊藤博文像 陸奥宗光像 国道9号 春帆楼本店 日清講和記念館 伊藤博文像 陸奥宗光像  
国道9号 春帆楼本店 登録有形文化財 日清講和記念館 国道9号 春帆楼本店 登録有形文化財 日清講和記念館 

開館時間 9:00〜17:00
     (入館は16:30まて)
観覧料 無料
年中無休 ご自由にご覧下さい

当然有料と思っていたので無料と知って入館した。館内にパンフレットがあったが中国語だった。「講」の偏が「女」なのでおかしいと思ったが、薄暗い館内でじっくりと見ることもせず、後で見て中国語であることを知った。
国道9号 春帆楼本店 登録有形文化財 日清講和記念館 国道9号 春帆楼本店 登録有形文化財 日清講和記念館 

日清講和記念館

 日清講和記念館は、日清講和会議で使用された調度品やその他の貴重な資料を広く一般に公開するため、昭和10年(1935)から下関市が建設に着手し、同12年(1937)6月に開館しました。
 明治27年(1894)に勃発した日清戦争の終結を日的とした日清講和会議は、同28年(1895)3月20日から4月17日まで、下関を舞台として開催されました。会議場には料亭兼旅館であった春帆楼が選ばれ、清国全権李鴻章と日本国全権伊藤博文及び陸奥宗光などの両国代表が会議に出席しました。
 館内にはこの会議場を再現し、実際に会議で使用された大
小16脚の椅子をはじめ、古風の大ランプ・フランス製ストーブ・インクポット・蒔絵硯箱などを展示しています。なかでも蒔絵が施された豪華な椅子は、会議に使用するため浜離宮から下賜された貴重な資料です。これらの調度品から往時の白熱した会議の様子を偲ぶことができます。また、日清講和会議に関わった人物の遺墨や当時の春帆楼の写真等も展示しています。
 なお、当館は平成23年(2011)1月26日に国の登録有形文化財になりました。入母屋造、本瓦葺などに加え、組物などの細部に伝統的な意匠が用いられ、威風ある外観を形成していることから、「造形の規範となっているもの」として文化財登録されたものです。

                              下関市教育委員会
国道9号 春帆楼本店 登録有形文化財 日清講和記念館 国道9号 春帆楼本店 登録有形文化財 日清講和記念館 
国道9号 春帆楼本店 登録有形文化財 日清講和記念館 国道9号 春帆楼本店 登録有形文化財 日清講和記念館 

日清講和会議

 朝鮮半島の権益をめぐり対立していた日本と清国は、明治27年(1894)甲午農民戦争(東学党の乱)を契機として、日清戦争を引き起こしました。戦況は日本が優勢となり、翌年から清国は日本へ講和の打診を始め、講和会議の場に下関が選ばれました。当時の下関は海陸交通の要衝の場であり、戦略上の拠点の一つでした。
 同28年(1895)3月19日、新国使節団の乗った汽船が下関に到着し、翌日から春帆楼において日清講和会議が開催されました。会議には日清両国の全権等が出席し、交渉は李鴻章の遭難もあって29日間にも及びました。
 調印された日清講和条約は下関条約とも称され、朝鮮国の独立の確認、清国から日本への領土割譲、権益の譲与、賠償金の支払いなどが約されました。
 会議中の3月24日には、宿舎引接寺への帰途、李鴻章が凶漢に狙撃される事件が発生し、会議は一時休止となりました。李鴻章の回復を待って、4月16日から会議が再開され、4月17日に条約の調印を終えました。会議再開後、李鴻章は引接寺から会議場への往復を山沿いの小道に変更しました。この道は現在、「李鴻章道」と称され、市民に親しまれています。
国道9号 春帆楼本店 日清講和記念館 講和会議風景 国道9号 春帆楼本店 日清講和記念館 講和会議風景 

手前が大清帝国で、右から欽差頭等全権大臣 李鴻章、欽差全権大臣 李経方である。

李鴻章とその他との椅子の格差が激しい。
国道9号 春帆楼本店 日清講和記念館 講和会議風景 国道9号 春帆楼本店 日清講和記念館 講和会議風景 

講和会議風景として有名な絵である。手前が大清帝国、向かいが大日本帝国の交渉者である。
国道9号 春帆楼本店 日清講和記念館 講和会議風景 国道9号 春帆楼本店 日清講和記念館 講和会議風景 

関門海峡を背にして大日本帝国の交渉員が並び、左から全権弁理大臣 伊藤博文、全権弁理大臣 陸奥宗光、内閣書記官長 伊東巳代治である。
国道9号 春帆楼本店から見た関門海峡 国道9号 春帆楼本店から見た関門海峡 

正面の木立に囲まれた部分は阿弥陀寺公園で、奥の海手前に朝鮮通信使上陸淹留之地碑がある。
 国道9号 関門海峡 春帆楼前公園 姉妹都市広場 国道9号 関門海峡 春帆楼前公園 姉妹都市広場 

近くでは分からないが、離れて見ると中央に下関を置いた世界地図である。青いタイルは海を表している。
 国道9号 関門海峡 春帆楼前公園 姉妹都市広場 国道9号 関門海峡 春帆楼前公園 姉妹都市広場 

下関市と5つの姉妹都市との位置関係を表している。
国道9号 関門海峡 春帆楼前公園 関門橋 国道9号 関門海峡 春帆楼前公園 関門橋 
国道9号 関門海峡 春帆楼前公園 わが国の物流を支える「海の大動脈」関門海峡 国道9号 関門海峡 春帆楼前公園 わが国の物流を支える「海の大動脈」関門海峡 

関門海峡の関門航路の重要性、浚渫などその維持活動などを日本語、中国語、英語で説明している。
国道9号 関門海峡 春帆楼前公園 「関門航路改修事業草創の地」記念碑 国道9号 関門海峡を航行する貨物船(動画)  

古来関門海峡は、我が国屈指の要衝として聞こえたところであったが、往時の海峡は、大きく湾曲した水路に与次兵衛岩、金伏瀬を初めとする岩礁、浅所が随所に散在して、航路を複雑狭隘にし、加えて名にし負う急潮渦巻き、天下の難所として海の男たちの大いに恐れるところでもあった。ここにおいて、政府は、海難の防止と海運の振興のため、海峡の大改良を決意し、明治44年4月この地に内務省下関土木出張所を開設して、その事業に当たらせると共に、西日本一体の公共土木事業を所掌させることとした。
すなわち、現在の運輸省第四港湾建設局及び建設省九州地方建設局の前身である。爾来60有余年、海峡は巨額の国費と多くの先人の苦闘とにより、数万トンの巨船の行き交う国際航路として面目を一新した。またこの間、この地に拠って九州山口地区の港湾、空港、河川、道路の建設に数々の業績を積み、地域の発展に大きく寄与した功績を忘れることは出来ない。
この度、下関地方合同庁舎の新営なり、由緒あるこの地を離れるに当たり、関門海峡改良事業、草創の由来と、先人の偉業を永く後世に伝えるため、浄財を募って、記念碑を建立するものである。
国道9号 関門海峡を航行する貨物船(動画)  国道9号 関門海峡を航行する貨物船(動画)  

この写真は動画のスナップショットです。再生ボタンをクリックすると動画を楽しむことができます。



上映時間    32秒
サイズ   93.1MB
国道9号 関門海峡 春帆楼前公園 国道9号 関門海峡 春帆楼前公園 

この地の由来

 明治43年、関門航路の改良工事が開始され、明治45年、この地に旧内務省下関土木出張所(現在の国土交通省九州地方整備局の前身)が創設されました。これを記念して、「関門航路改修事業草創の地」記念碑が建立されています。

姉妹都市ひろば

 下関市は三方を海に開かれ、古くから海外との交流も深く下関港は人・物が行き交う要衝の港であることから、「世界に開かれた都市」をコンセプトに、ひろばの設計を行いました。
 現在、本市は海外の五つの都市と姉妹友好都市の盟約を結んでいます。 ひろば中央に世界地図を描き、本市の姉妹友好都市の位置を示しています。

下関市の姉妹友好都市                 盟約締結年月
サントス市(ブラジル連邦共和国サンパウロ州)   1971年10月 6日
イスタンブル市(トルコ共和国)             1972年 5月16日
釜山広域市(大韓民国)                 1976年10月11日
青島市(中華人民共和国山東省)           1979年10月 3日
ピッツバーグ市(アメリカ合衆国カリフォルニア州) 1998年12月18日
国道9号 関門海峡 阿弥陀寺公園入口 国道9号 関門海峡 阿弥陀寺公園入口 

国道9号線沿いに春帆楼前公園、赤間神宮前の海峡守護『碇』の2つの広々とした空間があり、阿弥陀寺公園は2つの境界をなす木立にしか見えない。朝鮮通信使上陸淹留之地碑入口の碑がなければ見落とすところである。
国道9号 関門海峡 阿弥陀寺公園 朝鮮通信使上陸淹留之地碑 国道9号 関門海峡 阿弥陀寺公園 朝鮮通信使上陸淹留之地碑 

建立趣旨は左から中国語、朝鮮語(諺文)、日本語、英語の4ヶ国語で表記されている。

記念碑建立期成会会長として韓日議員連盟の金鍾泌の名が書かれている。朴正煕大統領とその後の大統領においても権力を持った政治家であり、その評価はともかく懐かしさを感じる。

昨今のレームダック化すると反日を振りかざしたり、金王朝に媚びて人気回復を図り、任期が切れると獄に繋がれるのがお決まりの小物の某国大統領達とは違う大物政治家との印象がある。
国道9号 関門海峡 阿弥陀寺公園 朝鮮通信使上陸淹留之地碑 国道9号 関門海峡 阿弥陀寺公園 朝鮮通信使上陸淹留之地碑 

建立趣旨

 江戸時代における朝鮮通信使の事跡は、日韓両国の長き交流の歴史の上で、善隣友好の証として格別の意義をもつものであった。 
 当時鎖国政策をとる我が国において唯一国交を維持する国からの友好の使者として、慶長12年(1607)から文化8年(1811)に至までの間、12回来日その内、最後の対馬での対応に止まった回を除き、明和元年(1764)までの11回において本土最初の地として赤間関(下関)に上陸淹留、また復路においても立ち寄るのを常としていた。
 時に正使以下500名にも及ぶ一行の来日は、国家外交の使節であるばかりでなく、先進文化の国からの一大文化使節としても、洗練された学問、芸術と、絢爛たる異文化の香りを伝え、誠信の交わりを通して尊崇の念を深く人の心に刻み、文化交流、親善の大いなる成果をもたらした。
 今、新たな世紀を迎え、さらなる善隣友好の交わりを構築すべき時に当たり、朝鮮通信使の歴史的意義を再確認し、一行の上陸の当地に記念の石碑を建立、その歴史を恒久的に顕彰しようとするものである。
国道9号 関門海峡 赤間神宮前 海峡守護『碇』  国道9号 関門海峡 赤間神宮前 海峡守護『碇』 

朝鮮通信使上陸淹留之地碑の木立の横には赤間神宮前の海峡守護『碇』がある。



 
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