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尾山神社前交差点で百万石通りを渡る
右手に金沢ニューグランドホテルがあり、その横の道を西進する。 |
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金沢市文化ホール前を西進 |
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中央小学校南交差点を西進
長町武家屋敷跡には二つの用水があり、百万石通りから鞍月用水、大野庄用水の順である。武家屋敷跡としては大野庄用水沿いに並ぶ。鞍月用水は、せせらぎ通りと呼ばれて商店街がある。 |
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金沢 長町武家屋敷跡 金沢市足軽資料館
大野庄用水に架かる橋の手前で左折、塀沿いに進む。 |
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金沢 長町武家屋敷跡 金沢市足軽資料館 |
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金沢 長町武家屋敷跡 金沢市足軽資料館
右に大野庄用水が流れる。 |
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金沢 長町武家屋敷跡 金沢市足軽資料館
足軽
足軽とぼ戦闘時に駆り出される歩兵のことを指しています。戦国畤代には弓・鉄のが部隊を編成して活躍しましたが、江戸時代には武士の最下層に位置づけられました。 |
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金沢 長町武家屋敷跡 金沢市足軽資料館 清水家
立ち入り自由との案内があるが、玄関から覗けば一通り見ることが出来る。 |
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金沢 長町武家屋敷跡 金沢市足軽資料館 清水家
[足軽屋敷清水家]
当家も、高西家と同じく旧早道町(現幸町)に残されていたもので、藩政期から平成2年の解体に至るまで住居として使われていました。
足軽屋敷としては典型的なものと言え、接客空間(左図の左側)と日常生活空間(左図の右側)との素朴な配列が特徴となっています。また、その建築的な価値とは別に、特に清水家は藩政期以来、代々足軽の子孫として受け継がれ、現代まで住み続けられてきた由緒の正しさも特筆されるところです。
そのため、藩政期からの足軽関係の文献資料が残されています。
当屋敷内では間取りに従って、その用途などを紹介するとともに、足軽家族の日常生活について知っていただくことを目的にした展示を行っています。
ごゆっくリとご覧ください。 |
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金沢 長町武家屋敷跡 金沢市足軽資料館 清水家 |
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金沢 長町武家屋敷跡 金沢市足軽資料館 高西家 |
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金沢 長町武家屋敷跡 金沢市足軽資料館 高西家
武士の家は、広い敷地を囲う土塀が道に沿って長い連なりをみせ、入口には家格に応じた門構えが設けられています。これらの「屋敷構え」は、武士階級にだけに許されたものであり、当時のたたずまいを今に伝えています。 |
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金沢 長町武家屋敷跡 金沢市足軽資料館 高西家 |
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金沢 長町武家屋敷跡 金沢市足軽資料館 |
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金沢 長町武家屋敷跡 金沢市足軽資料館
土塀に沿って歩いていく。 |
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金沢 長町武家屋敷跡 金沢市足軽資料館 南口 界隈案内図 |
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金沢 長町武家屋敷跡 金沢市足軽資料館 南口 界隈案内図 |
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金沢 長町武家屋敷跡 金沢聖霊総合病院
前回(平成20年)来た時には無かった建物があり、始めは大学か研究所かと思った。足軽資料館の土塀の狭い出口を出ると唐突に広い駐車場と建物が現れるからである。
ホームページによれば3年半前の平成25年10月に開業したとのことである。 |
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金沢 長町武家屋敷跡 金沢聖霊総合病院 |
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金沢 長町武家屋敷跡 旧加賀藩士 高田家跡 |
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金沢 長町武家屋敷跡 旧加賀藩士 高田家跡
足軽資料館同様、長町武家屋敷跡の各施設は全て無料である。 |
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金沢 長町武家屋敷跡 旧加賀藩士 高田家跡 |
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金沢 長町武家屋敷跡 旧加賀藩士 高田家跡
旧加賀藩士高田家跡は、藩政時代の長屋門(武家屋敷などに特徴的な、細長い長屋の中央に位置する門)を修復して公開しています。敷地内の庭園は、藩政時代の面影を残しています。 |
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金沢 長町武家屋敷跡 旧加賀藩士 高田家跡 長屋門 |
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金沢 長町武家屋敷跡 旧加賀藩士 高田家跡 長屋門(中間部屋) |
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金沢 長町武家屋敷跡 旧加賀藩士 高田家跡 長屋門
長屋門
この建物は、江戸時代にこの地にあった加賀藩五五〇石平士・高田家屋敷の長屋門を復元したものです。加賀藩の平士階級には、家禄八〇石から二四〇〇石の藩士が属し、中クラス以上の屋敷には門だけでなく、このような「長屋」や「厩」を付けることが認められていました。その長屋には中間や小者と呼ばれる武家奉公人たちが住み込み、門番やお供などの仕事をしていたのです。
当施設では、この長町等に住んでいた平士たちの姿やその屋敷に仕えていた中間たちの姿を紹介しています。建物そのものと合わせ、ごゆっくり御覧ください。
また、現在は約二七〇坪ですが、かつては四四三坪の敷地にあった広大な武家屋敷を想像しながら、庭園を散策されてはいかがでしょうか。
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金沢 長町武家屋敷跡 旧加賀藩士 高田家跡 長屋門(厩) |
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金沢 長町武家屋敷跡 旧加賀藩士 高田家跡 |
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金沢 長町武家屋敷跡 大野庄用水沿いに散策 |