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冬の金沢散策(近江町市場〜武家屋敷跡〜忍者寺〜
兼六園〜金沢城)H290223


【地図の見方】


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地図上の歩行距離 7.7km(システムの機能上、実際のルートと違う場所があります)
Nkm/Mkm N:区間距離、M:起点からの累積距離

経路 A:金沢駅〜金沢駅通り〜百万石通り〜B:尾山神社(1.9km)〜尾山神社前交差点〜C:武家屋敷跡(0.8km/2.7km)
百万石通り〜犀川大橋〜D:忍者寺(妙立寺)(1.3km/4.0km)〜犀星のみち〜本多通り〜E:兼六園(2.9km/6.9km)〜石川門〜F:金沢城(0.8km/7.7km)

【関連サイト】   初秋の金沢、富山散策H200829-H200901(金沢散策H200829(金沢駅〜武蔵ヶ辻〜近江市場))
初秋の金沢、富山散策H200829-H200901(金沢散策H200829(金沢駅〜武蔵ヶ辻〜近江市場))金沢 尾山神社))
初秋の金沢、富山散策H200829-H200901(金沢散策H200829(金沢 長町 武家屋敷跡))
初秋の金沢、富山散策H200829-H200901(金沢散策H200829(香林坊〜犀川 犀星のみち〜桜橋))
   

初秋の金沢、富山散策H200829-H200901(金沢散策H200829(本多通り〜金沢歌劇座〜兼六園))

    初秋の金沢、富山散策H200829-H200901(金沢散策H200829(金沢駅〜武蔵ヶ辻〜近江市場))
(兼六園 桂坂入口〜霞ヶ池・徽軫灯籠〜成巽閣)
    初秋の金沢、富山散策H200829-H200901(金沢散策H200829(金沢駅〜武蔵ヶ辻〜近江市場))
(時雨亭〜瓢池・夕顔亭〜兼六園 桂坂入口)
    初秋の金沢、富山散策H200829-H200901(金沢散策H200829(金沢駅〜武蔵ヶ辻〜近江市場))
(金沢城 石川門〜五十間長屋〜二の丸広場)

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 金沢駅〜近江町市場〜尾山神社

 目覚めたら窓を叩く雨音は大きく、外に出ると持参の折りたたみ傘ではさせず、途中で大きいビニール傘を買った。皮肉なことに尾山神社からは風は強いが雨は小降りとなり、忍者寺付近からは時折強い風になるものの長い時間はささずに歩けた。しかし、寒風に悩まされ、貼るカイロで対策をしたつもりだったが雨に濡れたベンチで休憩せざるを得ないほど持病の腰痛に苦しんだ。近江町市場の蟹は貧弱で身がスカスカのため土産を諦めた。

 百万石通りを南下、野村證券、大和証券、日本生命などの大企業の店舗が建ち並ぶ上堤町交差点を過ぎ、尾山神社前交差点で左折し初代加賀藩主前田利家公と正室おまつの方を御祭神とし、歴代藩主の別邸であった金谷御殿跡に明治6年に建立された尾山神社に寄る。ギヤマンがはめ込まれたり、和・漢・洋折衷様式を見せる神門は、異国情緒漂う造りで、灯台としても使われた独特の形が有名である。平成14年にNHK大河ドラマで放送された「利家とまつ」を記念して前田利家公の騎馬像と、お松の方座像が建てられた。

 武家屋敷跡〜犀川大橋〜忍者寺(妙立寺)

 尾山神社前交差点で百万石通りを渡り、中央小学校南交差点を西進、大野庄用水に架かる橋の手前で左折すると、金沢市足軽資料館の清水家、高西家があり、立ち入り自由との案内があるが、玄関から覗けば一通り見ることが出来る。足軽資料館の土塀の狭い出口を出ると唐突に広い駐車場と建物が現れる。9年前の前回には無く、3年半前の平成25年10月に開業した金沢聖霊総合病院である。旧加賀藩士 高田家跡には中間部屋や厩が残る長屋門が付いている。

 尾山神社前交差点で百万石通りを渡り、中央小学校南交差点を西進、大野庄用水に架かる橋の手前で左折すると、金沢市足軽資料館の清水家、高西家があり、立ち入り自由との案内があるが、玄関から覗けば一通り見ることが出来る。足軽資料館の土塀の狭い出口を出ると唐突に広い駐車場と建物が現れる。9年前の前回には無く、3年半前の平成25年10月に開業した金沢聖霊総合病院である。旧加賀藩士 高田家跡には中間部屋や厩が残る長屋門が付いている。

 国道157号を進み、犀川に架かる犀川大橋を渡ると瓶割り坂である。その由来は、源義経一行が奥州に逃げ延びる時、義経の北の方(正室)が突然産気づき、弁慶が慌てて瓶の中から衣類を出そうとして瓶を落として割ってしまったためである。野町広小路交差点から国道157号は南大通りとなり、野町一丁目交差点で左折、寺町の細道の奥が忍者寺(妙立寺)である。ただし、忍者の寺として建立したのではなく、幕府からの公儀隠密や外敵の目をあざむくために装備されたもので、堂内のあちこちは迷路のようになっている。撮影禁止で約1時間の見物を終え、元来た道を戻り犀川大橋に至る。

 犀星のみち〜本多通り〜お堀通り

 犀川に架かる犀川大橋を渡り北詰で右折、犀星のみちへ入る。寒風で持病の腰痛に悩まされながら古木のサクラ並木が続く道をしばらく歩くと白塀の前に室生犀星文学碑が立ち並ぶ。その塀の後ろには高浜虚子、年尾父子句碑が並ぶ。句碑の少し先にある幸町南交差点で左折、本多通りへ出る。右折すると犀川に架かる桜橋である。本多通りを北東に進み、新竪町三丁目交差点、鱗町交差点と過ぎ、北陸放送本社、金沢中警察署、金沢歌劇座、石川県立図書館、旧県社石浦神社が固まる一角の先が広坂交差点である。

 本多通りを北上、百万石通りを渡る広坂交差点は兼六園の南西の角が真弓坂口と接している。広坂北交差点からお堀通り(百間堀)となり、鯉喉櫓台やいもり堀の復元整備状況の説明板が並ぶ。兼六園と金沢城との間の堀は防衛上重要な水濠で、長さ約270m、幅約68.4m、水深約2.4mあり、その大きさから百間堀の呼び名がついた。お堀通りは、兼六園沿いの茶店通り(江戸町通り)と平行し、石川門と兼六園とを結ぶ橋の下を抜けると兼六園下・金沢城バス停に前田利家像がある。兼六園下交差点でお堀通りを渡り、向い側に移る。お堀通り沿いに紺屋坂を上りきった所に兼六園の桂坂入口がある。

 兼六園〜金沢城

 60歳以上は無料の兼六園を桂坂口から入ると、霞ヶ池と徽軫灯籠があり、写真を撮る人で行列ができている。眺望台で金沢市内を眺めた後、名物の雪吊りが全く役に立たない唐崎松を見る。35年前に出張できた時は歩くのもままならない兼六園だったが、全く雪はない。雁行橋、明治紀念之標の日本武尊の像、根上松と経て成巽閣に至る。成巽閣に立ち寄ろうかと思ったが、防寒用の脱着に不便なハイカットのトレッキングシューズであり、腰痛でしばしば休憩したため帰りの新幹線の時刻の関係で断念した。いつかは忘れたが、立ち寄った記憶はある。

 成巽閣の西側の丘一面が梅林である。兼六園には何回も来ているが、秋が多く梅が咲いている風景は記憶に無い。全体として5〜6分咲であるが、広い園内に咲き誇っている。舟之御亭、平成12年、この地に再現された時雨亭、瓢池、噴水と巡り、兼六園の桂坂入口に戻る。

 金沢城と兼六園の間は、かつて百間堀のあったところで、石川門は金沢城の搦手門(裏門)として重要な位置にあり、河北門、橋爪門とともに金沢城の「三御門」と呼ばれた。石川門を抜けてびっくりした。9年前の平成20年秋に来た時はただただ広い三の丸広場で、左手奥に五十間長屋、橋爪門続櫓があるだけだった。入ってすぐの三の丸北園地は狭間がズラッと並んだ白壁に囲まれている。河北門(一の門)から見た新丸広場の将来計画は分からないが、ただただ広い空間である。三の丸広場(五十間長屋、橋爪門続櫓)、二の丸広場(五十間長屋、菱櫓、橋爪門続櫓)と見物した後、石川門を経て兼六園 桂坂入口に戻る。ここからタクシーで金沢駅に戻った。







 
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