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犀川大橋〜忍者寺(妙立寺)〜犀川大橋

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国道157号 犀川に架かる犀川大橋 国道157号 犀川に架かる犀川大橋 
国道157号 犀川大橋北詰 犀川大橋 案内板 国道157号 犀川大橋北詰 犀川大橋 案内板 

鉄橋として国内有数の歴史を持つ犀川大橋は、その価値が認められ、平成12年(2000年)に国の登録有形文化財に登録されました。藩政期の架橋からその姿は何度も変わっていますが、人と人とをつなぎ、新たな産業や生活文化の創出に貢献してきた大橋の役割は、今も昔も変わることはありません。

犀川大橋の歴史

木橋時代 1594年(文禄3牟)→1918年(大正7牟)

犀川大橋は、加賀藩主・前田利家が文禄3年(1594年)に架けたのが最初で、当時の大橋は木造であるため、洪水はんらんのたぴに流されたり損傷をうけたりしました。緊急の場合を除きたりしました。緊急の増合を除き農作業を妨げないためと、貢調の便に備えるため秋の収穫の後に修理を行いました。当時の大檣は長さ40間(約70m)、幅3間(約5m)であり、城下随一の大きさでした。
国道157号 犀川大橋北詰 犀川大橋 案内板 国道157号 犀川大橋北詰 犀川大橋 案内板 

鉄筋コンクリート橋時代 1919年(大正8年)→1922年(大正11年)

大正8年(1918年)に完成した犀川大橋は橋脚の多い鉄筋コンクリート製で、それまで片町止まりだった市内電車をさらに寺町台地にまで延長するため、以前の木橋を取り壊し、架け替えたものでした。
フランス・アンネピック式鉄筋コンクリートT桁6径間橋で、橋長32間(約60m)、幅8間(約15m)でした。鉄筋は一部、米国製でもありました。この最初の堅牢な橋も、大正11年の金沢測候所(現気象台)開設以来の集中豪雨で、不幸にして落橋の悲運にあいました。

鉄橋時代 1924年(大正13年)→現在

現在見られる犀川大橋は、橋脚の無い橋で、工事中経済変動や関東大震災など種々の困難がありましたが、総工費26万7,290円を投じて、大正13年(1924年)3月に完成したものです。
東京帝国大学大学院を修了し米国留学から帰って来た関場茂樹(せきばしげき)氏が設計しました。英国製の鋼材を使用し、市電の荷重に耐えられるよう設計されているため、建設から80年間経った今日でも強度を保っています。 
国道157号 犀川に架かる犀川大橋 国道157号 犀川に架かる犀川大橋 
国道157号 犀川に架かる犀川大橋 瓶割坂通り(国道157号) 犀川大橋南詰 界隈案内図 

瓶割り坂の由来

源義経一行が北陸道を通って奥州に逃げ延びる時、同行していた義経の北の方(正室)がこの坂に差し掛かると突然産気づき、弁慶が慌てて瓶の中から衣類を出そうとして瓶を落として割ってしまった。どんな強者にも動じない弁慶も、さすがに主君の奥方のお産には慌てたのであろうか。この珍事が瓶割坂の名前の由来になったとされているのである。
国道157号 犀川に架かる犀川大橋 瓶割坂通り(国道157号) 犀川大橋南詰 界隈案内図 

犀川大橋から緩やかな上り坂があり、これを瓶割坂という。
南大通り(国道157号) 野町広小路交差点 南大通り(国道157号) 野町広小路交差点 

南大通りはこの交差点から始まる。
南大通り(国道157号) 野町一丁目交差点で左折、忍者寺(妙立寺)へ 南大通り(国道157号) 野町一丁目交差点で左折、忍者寺(妙立寺)へ 

忍者寺(妙立寺)はコンビニの駐車場横の細道の奥にある。寺町との道案内はあるが、忍者寺との案内はない。

忍者寺(妙立寺)は30分毎に寺内周遊が行われるが、事前予約が必要である。地図でも南大通りからの行き方が分からず、予約時に問い合わせたが「案内がなくとも皆さん来られてます。」との返事だった。ちなみに1回の周遊は40人だが、観光バスの観光コースで来ない人は数人にすぎない。
寺町の細道の奥が忍者寺(妙立寺) 寺町の細道の奥が忍者寺(妙立寺) 
金沢 忍者寺(妙立寺)前の願念寺 金沢 忍者寺(妙立寺)前の願念寺 
金沢 忍者寺(妙立寺)前の願念寺 金沢 忍者寺(妙立寺)前の願念寺 

 木一山と号し、真宗大谷派に属する。
 慶長年間(一五九六〜一六一五)の創建。万治二年(一六五九)、河原町(現・片町)から現在地に移転した。
本堂は文化五年(一八〇八)に再建されたもので、いわゆる現代の真宗の本堂形式の典型的な建物である。
 境内に松尾芭蕉の「塚も動け我が泣く声は秋の風」の
句碑があるが、この句は弟子である小杉一笑の死を知って詠んだ句。当寺は小杉家の菩提寺である。一笑の辞世の句「心から雪うつくしや内の雲」という金石の俳人・蔵月明の名筆による句碑も建っている。
 また当寺には、金沢に三個存在するうちの一つである明治期の朝鮮鐘がある。この鐘には、有栖川宮熾仁親王の銘が入っている。
金沢 忍者寺(妙立寺)前の願念寺 金沢 忍者寺(妙立寺)前の願念寺 

松尾芭蕉・小杉一笑ゆかりの寺 願念寺

 蕉門の俳人・小杉一笑の菩提寺
 境内に一笑塚がある。
 また、元禄二年(一六八九年)「おくの細道」で来遊した松尾芭蕉が一笑の追悼会に出席し、その死を悼み詠んだ
「つかもうごけ我泣く声は秋の風」
の句碑もある。
 一笑が埋葬されていると思われる小杉家の墓は、施主茶屋新七、天明七年(一七八七年)と刻まれ本堂前にある。(小杉家は藩政期茶舗を営んでいた。)
金沢 忍者寺(妙立寺) 金沢 忍者寺(妙立寺) 

 複雑な建築構造をもつ正久山・妙立寺。人呼んで”忍者寺”の建立当時は、幕命で三階建て以上の建築は禁止されていた。しかし当山は、外観は二階建てだが、内部は四階建て七層にもなっている。しかも、その構造は、きわめて頑強で、台風や雪害などに充分耐えられる配慮がなされている。
 中二階、中々二階など複雑な構造の中に、部屋数が二十三、階段数が二十九もあり、最上階の物見台ともとれる望楼は各方面を遠望でき、金沢城への逃げ道といわれる大井戸など、出城としての要素を数多く秘めている。
 また、忍者寺といわれる仕掛けも散在する。
しかし、忍者の寺として建立したのではなく、幕府からの公儀隠密や外敵の目をあざむくために装備されたもので、堂内のあちこちは迷路のようになっているのである。類のない建て物である。
金沢 忍者寺(妙立寺) 金沢 忍者寺(妙立寺) 

寺の見物は撮影禁止で、荷物はいろいろな施設や、急な階段、薄暗い場所などを配慮して入口に預ける方式になっている。

当然ながら靴は脱ぐので、狭い玄関で40名が同時に脱着する。冬の金沢ということでハイカット、トレッキングシューズで来たことを後悔した。
金沢 忍者寺(妙立寺) 熱中症計はほぼ安全 金沢 忍者寺(妙立寺) 熱中症計はほぼ安全 

現在時刻は11:25で、温度15.3℃、湿度76%、熱中症計はほぼ安全である

前回は長町武家屋敷休憩館で10:45で、温度19.5℃、湿度は54%、熱中症計はほぼ安全であった。忍者寺(妙立寺)は時折雨も降り、寒風も吹くので温度で4℃下がり、湿度で20%上がるのも納得できる。
金沢 忍者寺(妙立寺) 金沢 忍者寺(妙立寺) 

正久山妙立寺(日蓮宗)

当山の創立は寛永二十年(西暦一六四三年)である
日蓮聖人の法孫の日像上人の作と伝えられる祖師像が安置され霊験特に著しく前田家祈願所として古来より衆人の信仰が厚い
当山の世に知られるは建築の複雑さにあって多くの階段 迷路状の廊下等 その構造の微妙さは 今日では全国でも数少ないものと評価されている
金沢 忍者寺(妙立寺) 金沢 忍者寺(妙立寺) 

 日蓮宗、正久山・妙立寺は、加賀三代藩主の前田利常公が、寛永二〇年(西暦一六四三年)金沢城近くから移築建立した。
 徳川幕府が名実ともに日本全国を統一するため、ささいなことを理由に、多くの諸大名を取り潰したころである。
 利常公は徳川家から嫁を迎え、母親を人質に出し、鼻毛を伸ばして馬鹿殿様を演じ、謀反などとんでもないと幕府を安心させる。その一方で、多くの武士が起居できる寺院群を、現在の寺町に新築した。その中心に監視所の役割を持つ当山・妙立寺を建立したのである。
 見上げるような屋根、望楼、多くの隠し階段、切腹の間など、種々の仕掛けがあるので「忍者寺」とも呼ばれている。今も現存する当山は、初代藩主・利家公が金沢に入城して間もないころに、政治の理念を日蓮宗・法華経の中道精神に求めて建立した「祈願所」だったものを、利常公の知略で移築されている。
 結局、戦火にあわず、風雪に耐え、加賀百万石の繁栄とともに歴代の加賀藩主は「祈願所」として崇め、武運長久を祈り、家紋「剣梅鉢」を守ってきたのである。
寺町の細道を戻り、野町一丁目交差点で右折、南大通り(国道157号)へ 寺町の細道を戻り、野町一丁目交差点で右折、南大通り(国道157号)へ 
 南大通り(国道157号)を北上 加賀水引 津田 南大通り(国道157号)を北上 加賀水引 津田 
瓶割坂通り(国道157号) 犀川大橋南詰 瓶割坂通り(国道157号) 犀川大橋南詰 




 
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