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国道157号 犀川に架かる犀川大橋 |
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犀川大橋の北詰で右折、犀星のみちへ |
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犀川 犀星のみちを南東に進む
室生犀星に因む犀星のみちは、犀川に沿って設けられており、上流の桜橋まで続く。 |
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犀川 犀星のみち 古木のサクラ並木
傘が必要なほどの雨が振り、寒風で腰痛が再発、止むを得ずベンチで休憩を取る。 |
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犀川 犀星のみち 古木のサクラ並木 |
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犀川 犀星のみち 古木のサクラ並木 |
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犀川 犀星のみち 界隈案内図 |
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犀川 犀星のみち 室生犀星文学碑 |
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犀川 犀星のみち 室生犀星文学碑
文豪室生犀星は、明治二十二年八月金沢市裏千日町に生まれ雨宝院に育った。
昭和三十七年三月東京において逝去。生涯犀川の美しさを忘れず、これを愛惜したといわれる。 |
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犀川 犀星のみち 室生犀星文学碑
あんずよ
花着け
地ぞ早に輝け
あんずよ花着け
あんずよ燃えよ
室生犀星 |
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犀川 犀星のみち 高浜虚子、年尾父子句碑
室生犀星文学碑の白壁の後ろにある。 |
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犀川 犀星のみち 高浜虚子、平尾父子句碑
竹女
夏襟の色ある如くなきごとく
吾子の遺句選ぶ母われ星流る
詩校
火の山を下り夏草にしづごころ
春宵や戎衣を秘めし旅鞄
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犀川 犀星のみち 高浜虚子、平尾父子句碑
犀川の雪消しの水乃音たかく
遠さかれともなほもきこゆる |
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犀川 犀星のみち 高浜虚子、平尾父子句碑
高濱虚子は、明治大正昭和の三代にわたり 常に俳壇再興の指導者として花鳥諷詠を提唱し「ホトトギス」を主催 没後その息高濱年尾がこれを継承している この句碑の句は
北國の時雨日和やそれが好さ
虚子
秋深き犀川ほとり蝶飛べり
年尾
共に金澤来遊の折の作である |
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犀川 犀星のみち 高浜虚子、平尾父子句碑 |
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犀川 犀星のみち 幸町南交差点で左折、本多通りへ
犀星のみちは一方通行の道で、最初の信号で左折する。 |
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犀川 犀星のみち 幸町南交差点で右折すると桜橋 |
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本多通りを北東に進む 新竪町三丁目交差点 |
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本多通りを北東に進む 鱗町交差点 |
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本多通りを北東に進む 鱗町交差点
小さな交差点であるが、横断歩道はなく、地下道で横断する。
地下道手前にある自販機でジュースを買ったら金沢弁でお礼を言われた。始めはゴチョゴチョと変な声が聞こえるな、と思ったらお礼だと分かった。 |
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本多通りを北上 北陸放送本社 |
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本多通りを北上 金沢中警察署 |
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本多通りを北上 北陸放送本社
寒風で腰痛が悪化し、バス停のベンチで休んでいたら地元の老女に声をかけられた。近々三浦三崎に旅行するが、東海道と北陸のどちらの新幹線が良いのかとか、何線でどのように行けばよいのかなどである。しばらく話しているうちにバスが来たので別れたが、腰痛はだいぶ和らいだ。 |
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本多通り 金沢コミュニティバス 金沢ふらっとバス
東京では100円だが、200円である。しかし、武家屋敷跡など一方交通のところも走り、観光バスとしての利用も便利である、 |
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本多通り 金沢歌劇座 |
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本多通り 石川県立図書館 |
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本多通り 旧県社 石浦神社
古墳(五四七)時代に草創され、金沢最古の宮として、 三輪神社を号し、奈良時代には神仏習合となり石浦山慈光院長谷寺と改め、 江戸時代には石浦山王、石浦大権現、明治の神仏分離令により 石浦郷の地名をとり石浦神社と改称した。 |