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金沢 兼六園 梅林
成巽閣の西側の丘一面が梅林である。兼六園には何回も来ているが、秋が多く梅が咲いている風景は記憶に無い。
昭和43年、明治百年記念事業として、北野天満宮、大宰府や湯島天神、水戸偕楽園などの協力により、全国の名梅を集めて造成されました。その後、平成12年度に長谷池周辺の庭園整備を終え、現在20種類、200本の梅が植えられており、3月になると紅白の花が美しく咲き誇ります。 |
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金沢 兼六園 梅林 |
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金沢 兼六園 梅林 |
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金沢 兼六園 梅林 |
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金沢 兼六園 梅林
この梅林は明治百年記念事業として全国石川県人連合会、兼六園茶店組合、大宰府等各天満宮、河北郡七塚町(現かほく市)等の協力により、全国から名梅を集めて造られた。面積三〇〇〇平方メートルに二〇種二〇〇本の梅が植えられている。
平成十二年、時雨亭の庭園として再整備された。 |
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金沢 兼六園 梅林
全体として5〜6分咲であるが、広い園内に咲き誇っている。 |
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金沢 兼六園 舟之御亭
片身の船をくっつけた形をした休憩所であるが、謂れを記したものはない。 |
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金沢 兼六園 舟之御亭 |
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金沢 兼六園 梅林 |
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金沢 兼六園 梅林 |
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金沢 兼六園 右手の時雨亭に向かう |
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金沢 兼六園 時雨亭 |
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金沢 兼六園 時雨亭
5代藩主・綱紀がはじめて本園を作庭した頃からあった建物で、蓮池御亭と呼ばれていた。
それは6代藩主・吉徳によって建て替えられたが、藩政後期には時雨亭とも呼ばれ、今の噴水の前にあった。明治のはじめに取り壊されたが2000(平成12)年3月にこの地に再現させたものである。
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金沢 兼六園 時雨亭
時雨亭は、5代藩主綱紀が建てた蓮池御亭が起源とされています。続く6代藩主吉徳が老朽化した御亭を建て替え、補修しながら存続させ、藩政後期には時雨亭とも呼ばれる様になりました。現在の時雨亭は、当時の平面図をもとに、平成12年に再現した建物です。8畳と10畳の座敷の間に1畳台目の「御囲」と呼ばれる小さな茶室が設けられています。 |
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金沢 兼六園 時雨亭
時雨亭
延宝四年(一六七六)加賀藩五代藩主前田綱紀は、兼六園の前身である蓮地園の作庭に取りかかった。
その庭の中心的な建物として建てられた蓮地御亭は、その後六代藩主吉徳によって建て替えられているが、藩政後期には、時雨亭とも呼ばれていた。明治のはじめに取り壊されるまでは、今の噴水の前にあったが、平成十二年三月、この地に再現させたものである。 |
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金沢 兼六園 道なりに左に進み、瓢池へ |
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金沢 兼六園 瓢池 |
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金沢 兼六園 瓢池に注ぐ滝 |
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金沢 兼六園 瓢池 |
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金沢 兼六園 蓮池門入口横から右に曲がる
出口とコースとが併設しており、左が蓮池門入口で、右の道を進んでいくと噴水に向かう。 |
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金沢 兼六園 噴水
霞ヶ池を水源とし、池の水面との高低差による自然の水圧であがっています。水の高さは霞ヶ池の水位によって変わりますが、概ね3.5メートルです。藩政末期、金沢城内の二の丸に水を引くため試作されたものと伝えられており、日本で最古の噴水といわれています。
この噴水は上にある霞ヶ池を水源としており、自然の水圧であがっている。通常、水の高さは3.5メートルで、霞ヶ池の水位の変化によって変わる。18剛(文久元)年、金沢城二の丸の居間先に噴水があがっているが、兼六園の噴水はその試作といわれている。日本最古といわれている噴水である。 |
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金沢 兼六園 噴水
この噴水は、霞ヶ池を水源としており水面との落差で、高さ約三・五メートルにまで吹き上がっている。
日本庭園では、大変珍しく、一九世紀中頃につくられた日本最古のものといわれている。 |
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金沢 兼六園 霞ヶ池からの滝 |
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金沢 兼六園 桂坂入口へ |
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金沢 兼六園 桜ヶ岡 |
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金沢 兼六園 桂坂入口 |