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金沢城(石川門〜河北門〜橋爪門)

【関連サイト】   初秋の金沢、富山散策H200829-H200901(金沢散策H200829(金沢駅〜武蔵ヶ辻〜近江市場))
(金沢城 石川門〜五十間長屋〜二の丸広場)

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金沢城 石川門 百間堀 金沢城 石川門 百間堀 
金沢城 石川門 百間堀 金沢城 石川門 百間堀 

百間堀

 ここから見える金沢城と兼六園の間は、かつて百間堀のあったところです。
 金沢御堂陥落後、佐久間盛政の時代(天正8〜11年、1580〜1583)につくられ、前田利家入城後、その子利長により改修されたと言われています。小立野台と金沢城とを分断する、防衛上重要な水濠で、長さ約270m、幅約68.4m、水深約2.4mあり、その大きさから百間堀の呼び名がついたようです。明治43〜44年(1910〜1911)の道路工事により、現在のような姿となりました。
 なお、別名蓮池堀、とも呼ばれ、その由来については、もと蓮が群生する沼地であったためとも、金沢御堂の時代、極楽浄土に見立てた地名の名残ともいわれています。
金沢城 石川門 百間堀 金沢城 石川門 百間堀 
金沢城 石川門 金沢城 石川門 

石川門は三十軒長屋とともに旧金沢城の数少ない遺構の一つである。建立されたのは1788(天明8)年で、国の重要文化財に指定されている。白<輝いている屋根は鉛瓦である。
金沢城 石川門 金沢城 石川門 

 金沢城の搦手門(裏門)として重要むな位置にあり、河北門、橋爪門とともに金沢城の「三御門」と呼ばれた。
二重櫓・渡櫓・長屋から成る重厚な枡形門に造られ4ている。宝暦の大火(一七五九)の後、天明八年(一七八八)に再建され、現在に伝わっている。
 昭和二十五年(一九五〇)国の重要文化財に指定された。
金沢城 石川門 金沢城 石川門 

典型的な枡形門構造である。

昔、金沢城が金沢大学のキャンパスだった頃、右の門の後ろに守衛所があり、立ち入ろうとすると誰何され立入禁止を告げられた。大学は平成6年に郊外に移転し、金沢城公園として整備、公開している。
 金沢城 三の丸北園地 金沢城 三の丸北園地 

石川門を抜けてびっくりした。9年前の平成20年秋に来た時はただただ広い三の丸広場で、左手奥に五十間長屋、橋爪門続櫓があるだけだった。入ってすぐの三の丸北園地は狭間がズラッと並んだ白壁に囲まれている。
金沢城 三ノ丸北園地 河北門(二の門) 金沢城 三ノ丸北園地 河北門(二の門) 

金沢城河北門について

 「河北門」は、金沢城の大手から入り、河北坂を上がったところに位置する「三の丸の正面」であり、金沢城の実質的な正門です。現存する「石川門」と「橋爪門」と共に「金沢城三御門」と呼ばれていますが、金沢城の建物の大半が焼失した宝暦の大火(1759年)の後、安永元年(1772)に再建されました。
 再建された河北門は、明治15年頃に無くなるまで金沢城の実質的な正門としての役割を果たしていました。
 約130年ぶりに甦った河北門は、平成19年11月に着工し、平成22年4月まで約2年半の歳月をかけて完成しました。
 復元にあたっては、現存する絵図、古写真、文献及び埋蔵文化財の調査結果を踏まえて、史実を尊重し、日本古来の伝統工法によって、戸室石による石垣積み、漆喰仕上による白壁、軸組をはじめとする木工事及び屋根鉛瓦葺きなど、構造・仕上部材の細部にわたり石川の匠の技が発揮されています。
金沢城 三ノ丸北園地 金沢城・兼六園 案内図 金沢城 三ノ丸北園地 金沢城・兼六園 案内図 
金沢城 三ノ丸北園地 河北門(二の門)  金沢城 三ノ丸北園地 河北門(二の門) 

二の門

 両側の石垣には、地元産出の戸室石を隙間無く積み上げる「切込接(ハギ)」とし、石材は1個1.0t〜1.8tの石を620個使用しています。門上部の2階櫓を支える梁は長さ11.8m、重量4.5tの欅材を使用しています。
 二の門櫓部分(2階)の内部の壁や床などには檜の一種である能登ヒバが石川門同様に用いられています。
金沢城 三ノ丸北園地 河北門 二の門から一ノ門へ 金沢城 三ノ丸北園地 河北門 二の門から一ノ門へ 

枡形構造になっており、右側に一の門がある。

一ノ門

 一の門は、三の丸に入るための最初の門であり、幅4.7m、高さ7.4m総欅造りで、脇土塀を海鼠壁仕上げとし、土塀の内部側には隠し狭間が設けられています。戦の時には狭間外側の海鼠壁を破って鉄砲狭間として使えるようになっています。
金沢城 河北門(一の門)から見た新丸広場 金沢城 河北門(一の門)から見た新丸広場 

新丸広場の将来計画は分からないが、ただただ広い空間である。
金沢城 河北門 金沢城 河北門 

金沢城の正門 河北門

 金沢城三の丸の正門が河北門です。橋爪門、石川門とともに「三御門」と呼ばれ、御殿に至る要所を固めていました。いずれも四角い広場を内と外の門で厳重に固めた「枡形門」型式の城門です。中でも河北門は、大手筋の要所を防備する重要な門でした。
 復元建物は、安永元年(一七七二)に再建され明治15年(1882)頃まで存続していた河北門の姿を多数の資料の調査と検証に基づいて再現したものです。
金沢城 三の丸広場(五十間長屋、橋爪門続櫓) 金沢城 三の丸広場(五十間長屋、橋爪門続櫓) 

16年前の平成13年に完成したが、17年前に訪れた時は工事中であった。

9年前の前回見た時は、皇居(江戸城)、熊本城などに比べると、あまりにも鮮やかな白壁が作り物めいて違和感を感じた。今は年月を経て、それなりに重みが出てきた。尚、屋根瓦が白いのは鉛瓦のためで、雪は全く降っていない。
金沢城 石川門 金沢城 石川門 

石川門を城内から見た風景である。

 三の丸東端に位置し、石川郡に向いていることから石川門と呼ばれた。石川櫓は門の出入りと小立野方向を見渡す櫓でもあった。屋根は鉛瓦を葺いてある。
 国指定重要文化財である。
金沢城 三の丸広場(五十間長屋、橋爪門続櫓) 金沢城 三の丸広場(五十間長屋、橋爪門続櫓) 

橋爪門続櫓

二の丸大手の橋爪門枡形に付随する三層の物見櫓。三の丸で戦闘が起きたときの指揮所。

五十間長屋
菱櫓と橋爪門続櫓を結ぶ二層の多聞櫓。普段は倉庫として用いられるが、非常時は戦闘のための砦となる。石落しを
各所に備え、格子窓は鉄砲狭間となる。
金沢城 橋爪門続櫓、橋爪門 金沢城 橋爪門続櫓、橋爪門 

橋爪門
高麗門形式の「−の門」、石垣と二重塀で囲まれた「枡形」、櫓門形式の「二の門」からなる枡形門で、枡形は城
内最大の規模を誇る。二の丸の正門として、最も格式の高い門であった。
金沢城 橋爪門続櫓、橋爪門 金沢城 橋爪門続櫓、橋爪門 

橋爪門

 橋爪門は、寛永八年(一六三一)の大火後に整備された二の丸の正門です。高麗鬥形式の「一の門」、石垣と二重
塀で囲われた「枡形」、櫓門形式の「二の門」からなる枡形門で、枡形は城内最大の規模を誇ります。「石川門」、「河北門」とともに「三御門」と呼ばれ、二の丸御殿ヘ至る最後の門として、通行に際しては三御門の内で最も厳しい制限がかけられていました。文化五年(一八〇八)の二の丸火災で焼失した後、文化六年(一八〇九)に再建された姿を復元しています。
金沢城 橋爪門 金沢城 橋爪門 
金沢城 橋爪門 金沢城 橋爪門 

 橋爪門は、寛永八年(一六三一)の大火後に整備された二の丸の正門です。高麗鬥形式の「一の門」、石垣と二重
塀で囲われた「枡形」、櫓門形式の「二の門」からなる枡形門で、枡形は城内最大の規模を誇ります。「石川門」、「河北門」とともに「三御門」と呼ばれ、二の丸御殿ヘ至る最後の門として、通行に際しては三御門の内で最も厳しい制限がかけられていました。文化五年(一八〇八)の二の丸火災で焼失した後、文化六年(一八〇九)に再建された姿を復元しています。
金沢城 二の丸 雁木坂 金沢城 二の丸 雁木坂 
金沢城 二の丸 雁木坂 金沢城 二の丸 雁木坂 

雁木坂

 このあたりには、橋爪門続櫓に接する雁木坂と呼ばれると石段がありました。橋爪門二の門を抜けると御番所と石垣台に仕切られた広場があり、そこから右手の雁木坂を登ると、石畳、そして二の丸御殿の玄関に至ります。
金沢城 二の丸 雁木坂 金沢城 二の丸 雁木坂 
金沢城 二の丸広場(五十間長屋、菱櫓) 金沢城 二の丸広場(五十間長屋、菱櫓) 
金沢城 二の丸広場(五十間長屋、橋爪門続櫓) 金沢城 二の丸広場(五十間長屋、橋爪門続櫓) 
金沢城 二の丸広場 金沢城・兼六園 案内図 金沢城 二の丸広場 金沢城・兼六園 案内図 
金沢城 二の丸 雁木坂 金沢城 二の丸 雁木坂 
金沢城 二の丸 雁木坂 金沢城 二の丸 雁木坂 
金沢城 橋爪門 金沢城 橋爪門 
金沢城 橋爪門続櫓、橋爪門 金沢城 橋爪門続櫓、橋爪門 
金沢城 石川門、百間堀 金沢城 石川門、百間堀 
 兼六園 桂坂入口 兼六園 桂坂入口 

当初予定では兼六園界隈で昼食として治部煮を食べる予定だった。しかし、時折強く降る雨や寒風に悩まされ、持病の腰痛対策でしばしば休憩を取ったため帰りの新幹線の時刻に余裕がなくなってしまった。止むを得ず、昼食と早めの夕食を兼ねて新幹線で食べることにし、タクシーで金座駅に向かった。



 
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