万歩計 トップ 散策点描 目次    満開の桜名所散策(王子〜六義園〜早稲田)H270331 目次  王子駅〜音無親水公園〜飛鳥山公園 目次  王子駅〜音無親水公園〜王子神社 桜が満開の飛鳥山公園散策H270331  ページ ラスト 


万歩計



(Since H14-10-28)

目次









掲示板(一言どうぞ)


王子神社〜本郷通り(音無橋〜飛鳥山交差点)

【関連サイト】   東京、横浜の桜並木探訪 4部作H2304(飛鳥山公園〜護国寺〜早稲田大学〜江戸川公園散策H230411)
東京の名園(王子 音無親水公園、王子神社、王子稲荷神社、王子装束稲荷神社)

 直前のページに戻ります

写真の一覧表へ 


王子駅 音無親水公園から王子神社へ 王子駅 音無親水公園から王子神社へ 

階段を上り切った所の左に名物のイチョウがある。
王子駅 王子神社 イチョウ 王子駅 王子神社 イチョウ 
王子駅 王子神社 イチョウ 王子駅 王子神社 イチョウ 

王子神社のイチョウ

 音無川(石神井川)左岸崖線の肩の部分に一際高くそびえ立つ大イチョウです。幹囲五・二m、樹幹の先端部は欠損していますが、高さは二四・二mあり、全体的にはほぼ自然樹形を保っています。
 王子神社の創初については、飛鳥山公園内にある「飛鳥山碑」(都指定有形文化財・古文書)に書かれています。それによれば、元亨(げんこう)年間(一三三ニー〜二四)に豊島氏がが勧請したことが始まりとされていますので、その頃にこのイチョウが植えられたとすると、六〇〇年近い樹齢と考えられます。
戦災によって王子神社の社殿や太田道灌がが雨宿りをしたという伝説を持つシイの大木など多くのものが失われた中で、このイチョウは生き延び、今も高台から東京の街の移り変わりを静かに見つめています。
王子駅 王子神社 王子駅 王子神社 
王子駅 王子神社 王子駅 王子神社 

「王子」の地名の発祥となった古社で、熊野三社権現(本宮・那智・新宮)の王子神を祀る。代々の領主や徳川将軍家の崇敬も篤く、江戸時代には「王子権現」と呼ばれ名所の一つとなった。末社の関神社は全国でも珍しい「髪の祖神」で、髢、鬘、床山業界の信仰を集める。

王子といえば、「王子の狐」が有名で、毎年大晦日に関東各地から狐が集まり、装束の榎と言われる榎の下で装束を改めて参詣したと言われる。この狐が集まる神社は王子神社ではなく、装束稲荷神社で装束を整え、王子稲荷神社に向かう。
王子駅 王子神社 大鳥居 王子駅 王子神社 大鳥居 

鳥居の先は、旧岩槻街道である。
王子駅 王子神社 王子駅 王子神社 

王子神社(由来)

 元亨二年(一三二二)、豊島郡を支配していた豊島氏が、熊野の方向を望む石神井川沿いの高台に、紀川熊野三社
権現から王子大神を勧請し、若一王子宮として祀られるようになりました。これにより、村名が岸村から王子村に改められ、王子という地名の由来となりました。また、石神井川がこの地域ては音無川と呼ばれているのも紀州の地名に擬したとの説があります。
 王子神社は、豊島氏に続いて領主となった小田原北条氏
からも寄進をうけ、江戸時代には、徳川家康が社領として
二○○石を寄進しました。これは、王子村の村高の三分の二
にあたります。別当寺は、王子神社に隣接していた禅夷山
金輪寺で、将軍が日光社参や鷹狩の際に休息する御膳所となっていました。将軍家の祈願所として定められた王子神社は将軍家と関係が深く、三代将軍家光は社殿を新造し、林羅山に命じて「若一王子縁起」絵巻三巻を作らせて奉納しました。家光の乳毋である春日局も祈願に訪れ、その後も、五代綱吉、十代家治、十一代家斉が社殿の運営修繕をし、境内には神門、舞殿などをそなえ、摂末社も十七社を数えました。
 紀州徳川家の出であった八代吉宗は、紀川ゆかりの王子をたびたび訪れ、飛鳥山に桜を植樹して寄進しました。この後、花見の名所となった飛鳥山や王子神社周辺は、江戸近郊の名所として多くの人が訪れるようになります。特に、七月十三日に行われた王子神社の祭礼は「槍祭」ともよばれ、小さな槍を買い求める人や田楽躍を見物する多くの人でにぎわったことが見物記などからうかがえます。
 明治時代にはいると明治元年(一八六八)、准勅祭社となり、東京十社に選ばれ東京北方の守護とされました。
 戦前の境内は「太田道灌雨宿りの椎」と呼ばれた神木を
はじめ、多くの樹木が茂っていましたが、戦災で焼失したため、境内に現存する東京都指定天然記念物の大イチョウは、戦災を逃れた責重な文化財です。戦後は、氏子一同により権現造の社殿が再建され、児在の景観に至っています。

末社関神社 蝉丸法師を祭神とし、理容業者により信仰されている全国でも珍しい「髪」の祖神です。
王子駅 王子神社 大鳥居を出て左折、旧岩槻街道へ 王子駅 王子神社 大鳥居を出て左折、旧岩槻街道へ 
旧岩槻街道 王子神社 旧岩槻街道 王子神社 
旧岩槻街道 音無橋 旧岩槻街道 音無橋 
旧岩槻街道 音無橋から見た音無親水公園 旧岩槻街道 音無橋から見た音無親水公園 

音無親水公園とはかなりの高低差があることが分かる。
旧岩槻街道 音無橋 旧岩槻街道 音無橋 

音無橋

 音無橋の名の由来は、架橋されている石神井川に求められる。石神井川は、多摩地方から東流し、北区において隅田川と合流するが、王子権現付近より以東の路線はかつて瀧野川あるいは、音無川と呼ばれていた。音無川の名は、紀州熊野権現本宮近くにある音無川に因んだものである。
 本橋は、昭和5年の架橋以来、周辺の交通の便を確保するとともに、地域の発展の要として機能している。
旧岩槻街道 音無橋から見た音無親水公園 旧岩槻街道 音無橋から見た音無親水公園 
 旧岩槻街道 音無橋交差点から飛鳥山公園へ 旧岩槻街道 音無橋交差点から飛鳥山公園へ 

旧岩槻街道はこの交差点から本郷通り(岩槻街道)と改称し、左からくる明治通りと合流する。明治通りは大きく左に曲がり、飛鳥大坂と言われるほどの坂となって、下った所には王子駅がある。
左手には飛鳥山公園の桜並木が咲き誇っている。
本郷通り(明治通り) 飛鳥山公園 本郷通り(明治通り) 飛鳥山公園 

本郷通り(明治通り) 飛鳥山公園交差点 本郷通り(明治通り) 飛鳥山公園交差点 
本郷通り(明治通り) 飛鳥山公園交差点 本郷通り(明治通り) 飛鳥山公園交差点 

この交差点で明治通りは右折する。

都内で唯一残る都電の路面電車である荒川線が明治通りを走る。都電荒川線は物珍しさもあって、普段から乗る人が多いが、花見シーズンは飛鳥山公園だけでなく、始発の早稲田界隈の神田川、荒川遊園地と言った桜の名所があり、臨時便増発や、満員通過さえある。
明治通りはこの交差点で右に曲がり、荒川線も少し先で一緒に曲がる。



 
万歩計 トップ 散策点描 目次    満開の桜名所散策(王子〜六義園〜早稲田)H270331 目次  王子駅〜音無親水公園〜飛鳥山公園 目次  王子駅〜音無親水公園〜王子神社 桜が満開の飛鳥山公園散策H270331  ページ トップ