水天宮〜日本橋〜東京駅八重洲口
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水天宮前交差点の老舗 和菓子が美味しい店で、いつも買うが、柏餅のような季節物は買えないこともある。 |
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水天宮前交差点の老舗 | |
水天宮 当社は文政元年(一八一八)港区赤羽に在った有馬藩邸に当時の藩主有馬頼徳公が領地(福岡久留米市)の水天宮の御分霊を神主に命じて藩邸内に御分社を祀らせたのが創めです。久留米の水天宮は今からおよそ七百年程前に創建されたと伝えられております。彼の壇之浦の戦で敗れた平家の女官の一人が源氏の目を逃れ米留米付近に落ちのび、一門と共にに入水された安徳天皇、建礼門院、ニ位の尼の御霊をささやかな祠をたててお祀りしたのが創めです。 |
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水天宮 安産の神様なので当たり前だが、妊婦が多かった。 |
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水天宮 神田明神の天下祭りの神幸祭の時は、この一帯はものすごい数の見物客で溢れる。 |
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甘酒横丁交差点で「玉ひで」に並ぶ人達 毎度の風景であるが、地下鉄人形町駅入口の所を外すので人形町通り沿いに列は続く。待ち時間1時間だとか、1時間半だとかの声が聞こえるが、13時か14時分までで打ち切りである。このことは列を整理する係員が話している。 |
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人形町交差点で左折 金座通りを日本橋に向う。 |
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江戸橋で昭和通りを渡る。 | |
三越新館 日本橋北詰にあり、その先に三越本店、三井信託銀行などいわゆる三井村が続く。 神田明神の天下祭りの神幸祭の時は右折し、三越で最大の見物客の中を進む。 |
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日本橋 言うまでも無く、日本橋は日本の道路の原点である。高速道路に頭を押さえられて、見直し運動が起きるのも当然と思う。 |
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日本橋 魚市場発祥の地碑 昔は無く、ある時から出来た品の無いギリシャ風の女神像の由来が不思議だった。魚市場の碑の下にある碑を読んで分った。「乙姫広場」だが、下品な乙姫様である。 |
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日本橋 今から50年程前、小学生低学年の頃に田町駅前から都電に乗り、祖父に連れられて三越にお土産を買いによく行った。その都度、祖父から麒麟が見えると言われたが、ジラフのキリンしか知らず、訳が分らなかった。 |
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日本橋 COREDO 赤い幟に「アレ・コレセール」と書かれていた。「コレド」そのものが造語であり、品の無い駄洒落に見える。 COREDOは、英語のCORE(核)と、江戸(EDO)をつなげた造語である。 |
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日本橋風景 | |
東京駅と日本橋界隈を巡回する「メトロリンク日本橋」 三菱グループが強い東京駅の丸の内や日比谷界隈を巡回する無料バス「丸の内シャトル」に対抗し、「メトロリンク日本橋」は三井グループが始めた無料バスである。 |
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東京駅と日本橋界隈を巡回する「メトロリンク日本橋」 | |
東京駅 八重洲口 平和の鐘 | |
東京駅 八重洲口 平和の鐘 | |
東京駅 八重洲口 平和の鐘 | |
東京駅 八重洲口 ヤン・ヨーステン像 平和の鐘と一緒の所にあり、中央上のV字のマークはオランダ東インド会社の印である。 |
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東京駅 八重洲口 ヤン・ヨーステン像 1600年(慶長5年)、ウイリアム・アダムス(三浦安針)らと共に豊後に漂着した。江戸屋敷が和田倉門から日比谷門沿いにあったことから、この地一帯を八代洲河岸と呼ばれ、現在は八重洲と呼ばれている。 |
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東京駅 八重洲口 |