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JR 山手線 浜松町駅
浜松町駅〜旧芝離宮〜浜離宮〜JR新橋駅
【撮影記録】
平成26年 9月 9日 晴れ
10:25〜13:00 9,600歩(歩行距離 概算 6.7km 地図上 2.3+αkm)
google mapの機能上、旧芝離宮、浜離宮内のコース設定、距離計測は出来ないので+αとした。
1週間前に歩いた時よりは腰痛は出なかったが、体力不足からくる疲労感は大きかった。浜離宮の水上バス発着場以降はバテバテだった。庭園内を歩いていたので休む所は幾つもあり、助かった。 |
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竹芝通り 浜松町駅 界隈案内図
中央上下の線はJRで、右上に浜離宮、中央下に旧芝離宮がある。両離宮の角を通る灰色の線は海岸通りで、旧芝離宮の北側を通り海岸通りを過ぎる道路が竹芝通りである。竹芝通りは浜松町駅北口を過ぎて西側を進むと大門通りとなる。 |
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竹芝通り 旧芝離宮前交差点 汐留芝離宮ビル、汐留ビル
左が汐留芝離宮ビルで歩道橋が接続しており、右が汐留ビルである。 |
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竹芝通り 旧芝離宮恩賜庭園 入口
延宝6年(1678)、4代将軍徳川家綱から老中大久保加賀守忠朝が下屋敷として拝領したのを初めとする。庭園を造り、楽寿園と命名、現存する大名庭園としては最古である。
旧芝離宮恩賜庭園については別ページにまとめた。 |
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竹芝通り 旧芝離宮前交差点で右折
旧芝離宮恩賜庭園を出て、旧芝離宮前交差点で竹芝通りを渡って右折する。 |
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竹芝通り 芝商業高校前交差点で左折、海岸通りへ
高架は首都高都心環状線で、その背後の青いビルは都立芝商業高校である。竹芝通りは交差点を渡り、ゆるやかに右折して竹芝桟橋に向かう。 |
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海岸通りを北上、ゆりかもめ線の高架下を進む |
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海岸通り 汐留第二ポンプ所 |
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海岸通り 浜離宮南縁を流れる汐留川 |
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海岸通り 浜離宮西縁を流れる汐留川
川というよりは下水路である。 |
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海岸通り 浜離宮西縁を流れる汐留川 |
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海岸通り 浜離宮 中の御門
海岸通り沿いの浜離宮の西縁にあり、入園すると右側に野外卓広場がある。 |
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海岸通り 浜離宮 中の御門 |
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海岸通り 汐先橋交差点で右折、新大橋通りへ |
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新大橋通り 浜離宮恩賜庭園 築地川に架かる大手門橋 |
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海岸通り 汐先橋交差点で右折、新大橋通りへ |
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新大橋通り 浜離宮恩賜庭園 築地川に架かる大手門橋
浜離宮恩賜庭園については別ページにまとめた。
徳川将軍家の庭園
海水を引き入れた潮入の池と、二つの鴨場を伝え、江戸時代には、江戸城の「出城」としての機能を果たしていた徳川将軍家の庭園です。承応3(1654)年、徳川将軍家の鷹狩場に、四代将軍家綱の弟で甲府宰相の松平綱重が、海を埋め立てて甲府浜屋敷と呼ばれる別邸を建てました。その後、綱重の子、綱豊(家宣)が六代将軍になったのを契機に、この屋敷は将軍家の別邸となり、「浜御殿」と呼ばれるようになりました。以来、歴代将軍によって幾度かの造園と改修工事が行われ、十一代将軍家斉の時代にほぼ現在の姿の庭園が完成しました。
明治維新ののちは皇室の離宮となり、名称を「浜離宮」と変えました。関東大震災や戦災によって、御茶屋など数々の建造物や樹木が損傷し、往時の面影はなくなりましたが、昭和20(1945)年11月3日、東京都に下賜され、整備ののちに昭和21(1946)年4月から「浜離宮恩賜庭園」として公開されました。その後、昭和27(1952)年11月22日に「旧浜離宮庭園」(文化財指定名称)として国の特別名勝及び特別史跡に指定されました。 |
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新大橋通り 汐先橋交差点で左折、環二通りへ
環状二号線の虎ノ門から新橋までの通称新虎通りは開通し、有明までの区間の工事が行われている。この開通により、今年(平成26年)4月に虎ノ門から有明までが環二通りと名付けられた。 |
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環二通り 汐留シオサイト 電通本社ビルの階段を上り、ペデストリアンデッキへ |
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汐留シオサイト ペデストリアンデッキを右に進む
ペデストリアンデッキとは、歩行者専用の通路のことである。階段を上った所の左に東京汐留ビルがあり、正面に三角形の汐留メディアタワー、右に資生堂が入る茶色のロイヤルパーク汐留タワーがある。ここでは右折して新橋駅に向かう。 |
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汐留シオサイト ペデストリアンデッキを北上
青いガラスが特徴の汐留シティセンター角で左折し、新橋駅に向かう。 |
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汐留シオサイト ペデストリアンデッキを西進 |
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ゆりかもめ線 新橋駅 |
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JR 新橋駅 烏森口 |