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日光街道 南千住交差点 素盞雄(すさのお)神社 飾られた雛人形

【関連サイト】   初春の日光街道 旧千住宿散策H270311(日光街道〜素盞雄神社〜千住大橋)

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日光街道を北上 南千住警察署入口交差点 日光街道を北上 南千住警察署入口交差点 

右折するとコツ通り(吉野通り)を経て南千住駅に向かう。左折すると南千住警察署を通り、明治通りのサンパール荒川前交差点に出る。
日光街道を北上 南千住交差点陸橋 日光街道を北上 南千住交差点陸橋 
日光街道を北上 南千住交差点陸橋 日光街道を北上 南千住交差点陸橋 

南千住交差点で小塚原回向院、南千住駅前を通る吉野通り(コツ通り)が合流する。
日光街道 南千住交差点 素盞雄(すさのお)神社 日光街道 南千住交差点 素盞雄(すさのお)神社 
日光街道 南千住交差点 素盞雄(すさのお)神社 日光街道 南千住交差点 素盞雄(すさのお)神社 

素盞雄神社
  あすかの杜に悠久の千弐百年
       心のふるさと此処に在り

 当社の開祖となる黒珍(修験道の開祖・役小角の高弟)の住居東方にある小高い塚上に奇岩がありました。黒珍はこの場所を霊場と崇め、日夜斎戒礼拝すると、平安時代延暦14年(795)年四月八日の夜、小塚の中の奇岩が突如光を放ち、二柱の神様が翁に姿を変えて現れ「吾れはスサノオ大神・アスカ大神なり。吾れを祀らば疫病を祓い福を増し、永くこの郷土を栄えしめん。」と御神託を授け、黒珍は一祠を建て丁重にお祀りし、当社の御創建となりました。その後、時を経て素盞雄大神の御社殿を西向きに御造営し六月三日、飛鳥大神の御社殿を南向きに御造営し九月五日、それぞれ御神霊をお遷ししました。これにより、四月八日「御創建疫神祭」・六月三日「天王祭」・九月十五日「飛鳥祭」の祭禮日が定まります。
 江戸時代享保三年(一七一八)の類焼による両御社殿炎上のため、同十二年に相殿(一つの御社殿)として二柱の御祭神を御一緒にお祀りする御社殿(瑞光殿)を新たに建てました。
 荒川区南千住・三河島(現在の荒川・東西日暮里一部)・町屋・台東区三の輪の区内で最も広い氏子地域六十一ヶ町の鎮守で、平成七年にはご鎮座千二百年祭が盛大に斎行されました。
日光街道 南千住交差点 素盞雄(すさのお)神社 日光街道 南千住交差点 素盞雄(すさのお)神社 

素盞雄神社

 小塚原・三の輪・下谷通新町・三河島・町屋など、区内で最も広い地域を氏子圏とする鎮守で「てんのうさま」とも呼ばれる。
 石を神として尊崇する信仰は全国各地に見られるもので、当社も石神信仰に基づく縁起を有する。延暦14年(795)、荊石が微妙な光を放ち、その光のうちに翁の姿をした二神(素盞雄命・事代主命)が現れて神託を告げたという。そのためその石は、「瑞光石」と呼ばれ、出現した二神を祭神として祀る。
 宝暦年間頃まて行われていたという千住大橋綱曳は、その年の吉凶を占う当社の神事て、『東都歳時記』(天保九年)にその雄壮な様が描かれている。
日光街道 南千住交差点 素盞雄(すさのお)神社 日光街道 南千住交差点 素盞雄(すさのお)神社 
日光街道 南千住交差点 素盞雄(すさのお)神社 日光街道 南千住交差点 素盞雄(すさのお)神社 
日光街道 南千住交差点 素盞雄(すさのお)神社 日光街道 南千住交差点 素盞雄(すさのお)神社 
日光街道 南千住交差点 素盞雄(すさのお)神社 日光街道 南千住交差点 素盞雄(すさのお)神社 
日光街道 南千住交差点 素盞雄(すさのお)神社 日光街道 南千住交差点 素盞雄(すさのお)神社 

旗の日付が正月であり、氏子が捧げたものと思われる。
日光街道 南千住交差点 素盞雄(すさのお)神社 富士山 日光街道 南千住交差点 素盞雄(すさのお)神社 富士山 

ひと目で富士講の富士塚と分かる。
日光街道 南千住交差点 素盞雄(すさのお)神社 富士山 日光街道 南千住交差点 素盞雄(すさのお)神社 富士山 

 素盞雄神社には「瑞光石」が鎮座する塚がある。縁起の中で2社の神が現れたとする祭祀上重要な場所である。この塚はある人の眼には富士塚として映り、″南千住富士″とも呼ばれる。また古墳が富士塚に転用されたと見る人もある。いずれにせよこの場所が聖なる場所であることに違いはない。
 この塚には、「瑞光石」に奉納された石造物以外に人工の富士山ー富士塚としての構造物がある。瑞光石の左側に「浅間神社」の碑@がある。その脇から頂上に登山道が伸び、途中、五合目として小御嶽石尊大権現の碑B、頂上には浅間神社奥宮Cがある。塚には、「黒ぼく」という溶岩塊が積まれている。冨士講が建てた碑の多くは西側に林立し、北側には人穴も造られている。
 明治28年(1895)の由緒書によれば、元治2年(1865)に、黒ぼくなどの石を積んで塚を築き、浅間大神を祀ったという(但し、元治元年とする説もある)。現存する碑を見ると、造立当初から大正期にかけて、碑が断続的に建てられていったようである。    その後時期は定かでないが、黒ぼくや碑をコンクリートで固め、土中に埋める措置が施(以下読めず)
日光街道 南千住交差点 素盞雄(すさのお)神社 社殿前に飾られた雛人形 日光街道 南千住交差点 素盞雄(すさのお)神社 社殿前に飾られた雛人形 

2年前に来たときも雛人形が神社の建物やテントに飾られていた。人形はいずれも古びており、特に説明はなく、ホームページにも記載がないが、氏子が不要になった雛人形を奉納、それを展示しているように思える。

これだけでもかなりの数だが、境内を巡るとあちこちにテントがあり、全体では相当な数になると思われ、その保存の手間を考えると神社の苦労が忍ばれる。
日光街道 南千住交差点 素盞雄(すさのお)神社 社殿前に飾られた雛人形 日光街道 南千住交差点 素盞雄(すさのお)神社 地蔵堂脇のテントに飾られた」雛人形 
日光街道 南千住交差点 素盞雄(すさのお)神社 拝殿 日光街道 南千住交差点 素盞雄(すさのお)神社 拝殿 
日光街道 南千住交差点 素盞雄(すさのお)神社 神楽殿に飾られた」雛人形 日光街道 南千住交差点 素盞雄(すさのお)神社 神楽殿に飾られた」雛人形 
日光街道 南千住交差点 素盞雄(すさのお)神社 境内に咲く梅 日光街道 南千住交差点 素盞雄(すさのお)神社 境内に咲く梅 
日光街道 南千住交差点 素盞雄(すさのお)神社 拝殿 日光街道 南千住交差点 素盞雄(すさのお)神社 拝殿 
日光街道 南千住交差点 素盞雄(すさのお)神社 御本社 大神輿 もみ綱 新調ご奉賛の御案内 日光街道 南千住交差点 素盞雄(すさのお)神社 御本社 大神輿 もみ綱 新調ご奉賛の御案内 

内容は少しづつ違うが、大神輿のもみ綱新調のご奉賛の案内が境内のあちこちに掲示されていた。実物は見たことがないが、写真のとおりとすれば相当大きな神輿である。
日光街道 南千住交差点 素盞雄(すさのお)神社 御本社 大神輿 もみ綱 新調ご奉賛の御案内 日光街道 南千住交差点 素盞雄(すさのお)神社 御本社 大神輿 もみ綱 新調ご奉賛の御案内 
日光街道 南千住交差点 素盞雄(すさのお)神社 御本社 大神輿 もみ綱 新調ご奉賛の御案内 日光街道 南千住交差点 素盞雄(すさのお)神社 御本社 大神輿 もみ綱 新調ご奉賛の御案内 
日光街道 南千住交差点 素盞雄(すさのお)神社 日光街道 南千住交差点 素盞雄(すさのお)神社 



 
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