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目黒不動尊(瀧泉寺/恵比寿神)

【関連サイト】   山手線五反田駅開業100周年記念ウォーク 山手七福神H231015(羅漢寺交差点〜目黒不動尊(瀧泉寺)〜大鳥神社)
東急 目黒線H2510(目黒不動尊(瀧泉寺)散策H251027)

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目黒 目黒不動尊(瀧泉寺/恵比寿神) 墓地 青木昆陽(甘藷先生)墓 目黒 目黒不動尊(瀧泉寺/恵比寿神) 墓地 青木昆陽(甘藷先生)墓 

墓地の東端の下り階段手前にある。

国指定史跡 青木昆陽墓

 江戸中期の儒者。通称は文蔵。元禄十一年(一六九八)に生まれ、京都の儒者伊藤東涯に学ぶ。幕臣大岡忠相の知遇を得て幕府に仕え書物方となり、のち評定所儒者・書物奉行となる。
 彼は八代将軍徳川吉宗の命により蘭学を学び、長崎に遊学し、「和蘭文字略考」「和蘭貨幣考」「和蘭語訳」などを著述する。また『蕃薯考』を著し、救荒作物として甘藷の栽培を奨励したために″甘藷先生″と呼ばれた。一方、幕命によりしばしば関東・東海地方に出向き古文書を調査・収集した。明和六年(一七六九)歿。行年七十二歳。
目黒 目黒不動尊(瀧泉寺/恵比寿神) 墓地 青木昆陽(甘藷先生)墓 目黒 目黒不動尊(瀧泉寺/恵比寿神) 墓地 青木昆陽(甘藷先生)墓 
 目黒 目黒不動尊(瀧泉寺/恵比寿神) 目黒不動尊の北辺の遊歩道を西進 目黒 目黒不動尊(瀧泉寺/恵比寿神) 目黒不動尊の北辺の遊歩道を西進 

左は目黒不動尊で、右は不動公園である。
 目黒 目黒不動尊(瀧泉寺/恵比寿神) 西北入口から本堂裏へ 目黒 目黒不動尊(瀧泉寺/恵比寿神) 西北入口から本堂裏へ 
 目黒 目黒不動尊(瀧泉寺/恵比寿神) 本堂裏 銅造大日如来坐像 目黒 目黒不動尊(瀧泉寺/恵比寿神) 本堂裏 銅造大日如来坐像 
 目黒 目黒不動尊(瀧泉寺/恵比寿神) 本堂裏 銅造大日如来坐像 目黒 目黒不動尊(瀧泉寺/恵比寿神) 本堂裏 銅造大日如来坐像 

 蓮華座に結跏趺坐しているこの坐像は宝髪、頭部、体躯、両腕、膝等十数か所に分けて鋳造し、それを寄せて一体とした吹き寄せの技法で造られています。総高385cm、座高281.5cm、頭長は121cmで、体躯にくらべ頭部を大きく造るのは大仏像共通の特色であり、面相も体躯の衣文表現もよく整っています。
 現在は露座となっていますが、「江戸名所図会」の「目黒不動堂」の挿図より、江戸時代には堂舎の中にあったことがわかります。
 台座の蓮弁には開眼の年、入仏開眼供養の際の導師や僧侶の歴名が刻まれると共に、多数の施主名と供養者名がみえることから、大衆による造像だったことがうかがえます。また、刻銘から制作年の天和三年(1683)と、制作者が江戸に住む鋳物師横山半右衛門尉正重であることがわかることも貴重です。
目黒 目黒不動尊(瀧泉寺/恵比寿神) 本堂の回廊を歩き表へ 目黒 目黒不動尊(瀧泉寺/恵比寿神) 本堂の回廊を歩き表へ 

本堂表に出るためには回廊を歩く以外は全て立入禁止となっている。
目黒 目黒不動尊(瀧泉寺/恵比寿神) 本堂 目黒 目黒不動尊(瀧泉寺/恵比寿神) 本堂 

江戸五色不動尊は、徳川家光が天海大僧正の献策により天下泰平を祈願し、設けたもので、目黒、目白、目赤、目青、目黄である。成立年代、寺の特定などには異論がある。

目黒不動 - 瀧泉寺(目黒区下目黒) 東急目黒線 不動前駅
目白不動 - 金乗院(豊島区高田) 副都心線 雑司が谷駅
目赤不動 - 南谷寺(文京区本駒込) 南北線 本駒込駅
目青不動 - 教学院(世田谷区太子堂) 東急田園都市線 三軒茶屋駅
目黄不動 - 永久寺(台東区三ノ輪) 地下鉄日比谷線 三ノ輪駅
目黒 目黒不動尊(瀧泉寺/恵比寿神) 表参道 男坂 目黒 目黒不動尊(瀧泉寺/恵比寿神) 表参道 男坂 
目黒 目黒不動尊(瀧泉寺/恵比寿神) 表参道 男坂 目黒 目黒不動尊(瀧泉寺/恵比寿神) 表参道 男坂 
目黒 目黒不動尊(瀧泉寺/恵比寿神) 三福神 恵比寿神 目黒 目黒不動尊(瀧泉寺/恵比寿神) 三福神 恵比寿神 

目黒不動尊は何度も来ているが、どこに山手七福神の恵比寿神があるのか分からなかった。仁王門の西にある渋谷行きなどのバス停の前に鳥居があり、その奥に恵比寿神が鎮座していた。
目黒 目黒不動尊(瀧泉寺/恵比寿神) 三福神 恵比寿神 目黒 目黒不動尊(瀧泉寺/恵比寿神) 三福神 恵比寿神 
目黒 目黒不動尊(瀧泉寺/恵比寿神) 三福神 恵比寿神 目黒 目黒不動尊(瀧泉寺/恵比寿神) 三福神 恵比寿神 
目黒 目黒不動尊(瀧泉寺/恵比寿神) 三福神 恵比寿神 目黒 目黒不動尊(瀧泉寺/恵比寿神) 三福神 恵比寿神 

恵比寿神の場所から振り返ると右奥に仁王門が見える。
目黒 目黒不動尊(瀧泉寺/恵比寿神) 三福神 恵比寿神 目黒 目黒不動尊(瀧泉寺/恵比寿神) 三福神 恵比寿神 

恵比寿神

右手に釣竿、左手に鯛を抱え、異郷から来臨して、商売繁盛・多幸をもたらす記紀にも登場する日本古来の民族神です。
目黒 目黒不動尊(瀧泉寺/恵比寿神) 仁王門 目黒 目黒不動尊(瀧泉寺/恵比寿神) 仁王門 

目黒不動尊は、天台宗で泰叡山滝泉寺といい、大同3年(808)に慈覚大師が開創したといわれています。徳川3代将軍家光が堂塔伽藍を造営し、それ以来幕府の保護があつく、江戸近郊におけるもっとも有名な参拝行楽の場所となって、明治まで繁栄をきわめました。
境内は台地の突端にあり、水が湧き老樹が茂り、独鈷の滝や庭の池が美しく、庶民の信仰といこいの場所でした。
壮麗をきわめた古い建物は、戦災で大半が焼失しましたが、本堂、仁王門、書院、鐘楼などの再建が着々と進められ、「前不動堂」(都指定文化財)、「勢至堂」(区指定文化財)は、江戸時代の仏堂建築としての面影を残しています。
また、境内には「銅造役の行者倚像」「銅造大日如来坐像」(区指定文化財)があります。
裏山一帯は、縄文時代から弥生時代までの遺跡として知られ、墓地には青木昆陽の墓(国の史跡)があります。



 
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