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万歩計



(From H14-10-28)

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掲示板(一言どうぞ)


谷中 三崎坂〜言問通り〜都立上野高校

【関連サイト】   台東区 コミュニティバス 東西めぐりん
散策点描 特選シリーズ コミュニティバス 


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都道 神田白山線 よみせ通りへの交差点 都道 神田白山線 よみせ通りへの交差点 

団子坂下交差点から最初の交差点で、往路の東西めぐりんは三崎坂を下り、この交差点で右折して谷中よみせ通りに向かう。
都道 神田白山線を走る東西めぐりん 都道 神田白山線を走る東西めぐりん 

谷中よみせ通りに向かう往路の東西めぐりんで、レトロな外観が特徴である。この先の坂が三崎坂である。
都道 神田白山線(三崎坂) 大円寺 都道 神田白山線(三崎坂) 大円寺 

三崎坂より北側の谷中一帯は典型的な寺町で、色々な寺が並び、有名人の墓所がある。全ては掲載できないが、東西めぐりんの該当するページを参照いただきたい。
都道 神田白山線(三崎坂) 東西めぐりん 谷中小学校バス停 都道 神田白山線(三崎坂) 東西めぐりん 谷中小学校バス停 
都道 神田白山線(三崎坂) 全生庵 都道 神田白山線(三崎坂) 全生庵 

全生庵には、幕末の江戸無血開城の功労者である山岡鉄舟と、初代三遊亭円朝の墓がある。
都道 神田白山線(三崎坂) 東西めぐりん 三崎坂上バス停 都道 神田白山線(三崎坂) 東西めぐりん 三崎坂上バス停 

道の反対側には永久寺があり、仮名垣魯文の墓がある。
都道 神田白山線 東西めぐりん 谷中霊園入口バス停 都道 神田白山線 東西めぐりん 谷中霊園入口バス停 
都道 神田白山線 谷中霊園入口 都道 神田白山線 谷中霊園入口 

左折すると谷中霊園を南北に貫くさくら通りにで、北上するとぎんなん通りと交差する地点の天王寺五重塔跡を経て、日暮里駅に至る。
都道 神田白山線 谷中霊園界隈案内図 都道 神田白山線 谷中霊園界隈案内図 
都道 神田白山線 上野桜木交差点で右折、言問通りへ 都道 神田白山線 上野桜木交差点で右折、言問通りへ 

都道 神田白山線は直進して上野公園に至るが、連絡道は一方通行の一車線である。
xd411 言問通り 谷中六丁目交差点で左折 

東西めぐりんは往路ではこの交差点から出てきて、上野桜木交差点に向かう。袋はさらに進んで左折、別の道を進む。
谷中清水公園 谷中清水公園 

公園の前に東西めぐりんの往路時のバス停がある。
護国院前交差点で右折 護国院前交差点で右折 

 護国院は、天海の弟子生順が、釈迦堂の別当寺として、現在の東京国立博物館の右手裏に開創した.承応二年(一六五三)・延宝八年(一六八〇)に寺地を西方へ移転し、さらに、宝永六年(一七O九)現在地に移った。延宝八年・宝永六年の移転は、それぞれ四代将軍家綱廟・五代将軍綱吉廟の建立にともなうものである.また、昭和二年、第二東京市立中学校(現都立上野高校)建設にともない、本堂を現在の位置に移した。
都立 上野高校前を進む 都立 上野高校前を進む 

上野高校の校舎は左にあり、連絡橋を経て右に運動場がある。

因みに上野高校は旧制「市立」中学で、日比谷や、戸山などの旧制「府立」中学のナンバースクールではない。市立の第一中学校は靖国神社裏にある九段高校である。
清水坂を下る 清水坂を下る 
清水坂を下る 清水坂を下る 

坂近くに、弘法大師にちなむ清泉が湧いていたといわれ、坂名はそれに由来したらしい。坂上にあった寛永寺の門を清水門と呼び、この付近を清水谷と称していた。かっては樹木繁茂し昼でも暗く、別名「暗闇坂」ともいう。
清水坂を下る 清水坂を下る 
清水坂を下り、突き当りで左折、動物園通りへ 清水坂を下り、突き当りで左折、動物園通りへ 

東西めぐりんは上野高校の運動場脇を通り、動物園通りを南下する。



 
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