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巣鴨地蔵通り散策H240930

【関連サイト】   三田線H1909
東京メトロ沿線ウォーキング 第19回 江戸の風情を残す町並みと寺院をのんびり歩くH240301(旧中山道(巣鴨駅〜巣鴨地蔵通り〜庚申塚通り))


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巣鴨地蔵通り(旧中山道) 入口 巣鴨地蔵通り(旧中山道) 入口 

巣鴨地蔵通りは旧中山道で、北西に進むと庚申塚を経て新撰組局長近藤勇が斬首された墓所があるJR埼京線板橋駅に着く。その先が今回歩く板橋本町駅までの板橋宿である。
巣鴨地蔵通り(旧中山道) 入口 福島県 物産展 巣鴨地蔵通り(旧中山道) 入口 福島県 物産展 
巣鴨地蔵通り(旧中山道) 入口 福島県 物産展 巣鴨地蔵通り(旧中山道) 入口 福島県 物産展 

イベントがあるとあちこちで行われているおなじみの風景である。
巣鴨地蔵通り(旧中山道) 巣鴨地蔵通り(旧中山道) 

まだ10時前と早いため、日曜だが人出は少ない。おばあちゃんの山下通と言われるだけあって、普段は中高年女性で混雑する。
巣鴨地蔵通り(旧中山道) 高岩寺(とげぬき地蔵尊)  巣鴨地蔵通り(旧中山道) 高岩寺(とげぬき地蔵尊) 
巣鴨地蔵通り(旧中山道) 高岩寺(とげぬき地蔵尊) 山門 巣鴨地蔵通り(旧中山道) 高岩寺(とげぬき地蔵尊) 山門 

 慶長元年(1596)に湯島に開かれ、下谷屏風坂を経て明治24年、現在地に移転した。本尊の延命地蔵尊は「とげぬき地蔵」として親しまれ、境内の「洗い観音」は病気や痛いところを洗うと治るといわれる。毎月4のつく日には縁日が立つ。
巣鴨地蔵通り(旧中山道) 高岩寺(とげぬき地蔵尊) 本堂 巣鴨地蔵通り(旧中山道) 高岩寺(とげぬき地蔵尊) 本堂 
巣鴨地蔵通り(旧中山道) 高岩寺(とげぬき地蔵尊) 洗い観音 巣鴨地蔵通り(旧中山道) 高岩寺(とげぬき地蔵尊) 洗い観音 

まだ10時前で列も短いが、混雑時には杭にそって長い行列が出来る。
巣鴨地蔵通り(旧中山道) 高岩寺(とげぬき地蔵尊) 洗い観音 巣鴨地蔵通り(旧中山道) 高岩寺(とげぬき地蔵尊) 洗い観音 

治癒したい所を濡れタオルで拭うと公験があるといわれ、以前はタワシで擦っていたため摩耗が激しく、平成4年に2代目の像になった。
巣鴨地蔵通り(旧中山道) 高岩寺(とげぬき地蔵尊) 巣鴨地蔵通り(旧中山道) 高岩寺(とげぬき地蔵尊) 
巣鴨地蔵通り(旧中山道) 巣鴨地蔵通り(旧中山道) 
巣鴨地蔵通り(旧中山道)  巣鴨名物の婆シャツ、婆パンツ 巣鴨地蔵通り(旧中山道)  巣鴨名物の婆シャツ、婆パンツ 

巣鴨名物の婆パンツで、同じ系列の数店がある。写真のように専門店だとさすがに赤がどぎつく感じられるが、普通の商品と一緒だと、それ程でもない。

こんな派手な下着ではあるが、けっこう客が入って買っていく人も多い。
巣鴨地蔵通り(旧中山道) すがもの史跡マップ 巣鴨地蔵通り(旧中山道) すがもの史跡マップ 

正確な距離感で表現はされてはいないが、明暦の大火(振袖火事)の火元で、供養塔や遠山景元(遠山の金さん)の墓がある本妙寺、江戸時代の画家司馬江漢、芥川龍之介、谷崎潤一郎の墓がある慈眼寺なども表記されている。
巣鴨地蔵通り(旧中山道) 行燈風の街灯 巣鴨地蔵通り(旧中山道) 行燈風の街灯 
巣鴨地蔵通り(旧中山道) 行燈風の街灯 巣鴨地蔵通り(旧中山道) 行燈風の街灯 

行燈風の街灯の柱に地域の名所などの案内が書かれている。

本妙寺

 このお寺は徳栄山惣持院本妙寺と号し、もともと本郷丸山にあった法華宗のお寺で、明治43年(1910年)に当地へ移転しました。明暦3年(1657年)に発生し、約 10万8000人の命を奪った史上最大の火事「明暦の大火(通称振袖 火事)」の火元とされていますが、実際は幕府の要請により火元の汚名をかぶったといわれています。
また、境内には遠山の金さんこと遠山金四郎景元の墓や江戸の剣豪千葉周作の墓、囲碁の本因坊歴代の墓などがあります。
巣鴨地蔵通り(旧中山道) 庚申塚交差点で右折、折戸通りへ 巣鴨地蔵通り(旧中山道) 庚申塚交差点で右折、折戸通りへ 
折戸通り 庚申塚交差点 巣鴨庚申塚 折戸通り 庚申塚交差点 巣鴨庚申塚 

庚申信仰は、中国の道教の三尸(さんし)説による。庚申の日の夜に三尸と言う虫が体から抜け出し、点綴に罪状報告をする、と言われている。そのため、この晩は寝ずに過ごし、寿命の縮むのを防いだ。
折戸通り 庚申塚交差点 巣鴨庚申塚 折戸通り 庚申塚交差点 巣鴨庚申塚 
折戸通り 庚申塚交差点 巣鴨庚申塚 縁起 折戸通り 庚申塚交差点 巣鴨庚申塚 縁起 

巣鴨旧中仙道庚申塚所在 猿田彦大神庚申堂は、古く江戸時代から当地にあって今上天皇御大典記念に、近隣有志により代々奉祭してきましたが、その後立派に建造し、社務所兼庚申塚町会事務所、会合場として時代に即応してきたが、昭和十九年三月 戦災により焼失し仮堂におまつりして来たのである。昭和四十七年隣接四町会及び広く崇敬する信者の賛同を得て、現在のような立派な御堂を建直すことが出来、又続いて御水屋も完成、境内も一層荘厳さを増したのでここに関係者の名を刻して後世に伝える。
折戸通り 庚申塚交差点 巣鴨庚申塚 折戸通り 庚申塚交差点 巣鴨庚申塚 

 巣鴨の中山道沿いにある庚申塚は、江戸時代から近郷近在に聞こえた名所でした。江戸と板橋宿との間にあり行き交う旅人たちで賑わっていたと伝えられ、その様子は「江戸名所図会」にも描かれています。現在では、特に庚申の日ともなると、近くの「とげぬき地蔵(高岩寺)」などの縁日(毎月四の日)と同様に多くの参拝者があります。庚申塚では町内会の季節ごとに趣向をこらした食事を作ってもてなしています。
 「江戸名所図会」のなかの茶店の屋根の葭簀(よしず)の上に見える石塔は、庚申塚のいわれを裏付けるものです。
現在、この石塔は当地の小さな社に鎮座し、その銘文によれば一六五七(明暦三)年に造立されたものということがわかります。これより以前一五〇二(文亀ニ)年に造立されたといわれる石碑がありましたが今はなく、「遊暦雑記」では、この塚の下に埋められていると伝えています。
 また、この庚申塚には、お猿さんが祀られているというようにいわれていますが、これは、この巣鴨近辺の有有志が、明治初期千葉県銚子市にある猿田神社から猿田彦大神を分祀したという歴史的事実によるものです。



 
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