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万歩計



(From H14-10-28)

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掲示板(一言どうぞ)


門前仲町〜佃島・月島〜勝どき駅

【関連サイト】 都営地下鉄 大江戸線(平成14年)
有名仏閣 深川不動尊
有名神社 富岡八幡宮
東京の名所 月島・佃島界隈


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清澄通り 門前仲町交差点で左折、永代通りへ 清澄通り 門前仲町交差点で左折、永代通りへ 

右折すると茅場町、日本橋に至る。永代通りには東京メトロ(旧営団)の東西線が走る。
永代通り 門前仲町商店街 永代通り 門前仲町商店街 

寒風が吹く平日だが、深川不動尊や、富岡八幡宮への参拝客も結構いる。
永代通り 深川不動尊 永代通り 深川不動尊 

深川不動尊は、元禄15年(1703年)に成田山新勝寺の別院として建立された。隣接して勧進相撲など相撲関係の碑が多い富岡八幡宮があり、参道を飾る「人情深川御利益通り」の幟や、深川めしなどの店が並ぶ。
永代通り 富岡八幡宮 永代通り 富岡八幡宮 
永代通り 富岡八幡宮 永代通り 富岡八幡宮 

富岡八幡宮の3年に一度の本祭りは、夏祭にふさわしく神輿に水をかけながら練り歩くので、「水かけ祭り」の名もあり、50基余の連合渡御は江戸三大祭りのひとつとして有名です。
寛文元年(1624)、当時永代島と呼ばれた小島に、京都の公卿が八幡神像を奉安したのが、始まりといわれています。
 境内には、「横綱力士像」、「カ持碑」、「木場角乗碑」など深川にまつわる石碑等があります。
永代通り 門前仲町交差点で左折、清澄通りへ 永代通り 門前仲町交差点で左折、清澄通りへ 
清澄通り 大横川に架かる黒船橋 清澄通り 大横川に架かる黒船橋 
清澄通り 東京海洋大学(旧 東京商船大学) 清澄通り 東京海洋大学(旧 東京商船大学) 

東京海洋大学(旧 東京商船大学)は、越中島の東京商船大学と、天王洲の東京水産大学とが統合、平成15年に発足した。
清澄通り 大川端リバーシティ21 清澄通り 大川端リバーシティ21 

大川端リバーシティ21は、バブル期に再開発で作られた佃島の高層マンション群で、東京海洋大学前からその姿がよく見える。
清澄通り 東京海洋大学(旧 東京商船大学) 明治丸 清澄通り 東京海洋大学(旧 東京商船大学) 明治丸 

明治丸は、海の日のようなイベントがある時は正門から入ってOBの説明を聞きながら見学できる。

明治丸は明治政府が英国グラスゴーのネピア造船所に燈台巡廻船として発注し、明治7年(1874)に竣工した鉄船(現在の船はすべて鋼船)で翌8年横浜に回航された。明治天皇はじめ多くの高官が度々乗船し、わが国近代海運史の重要な場面で活躍した。なかでも明治9年、明治天皇は東北・北海道御巡幸の帰途青森から函館経由横浜まで乗船され7月20曰に帰着された。この曰を記念して昭和16年に「海の記念日」が制定され平成8年(1996)に国民の祝日「海の日」となった。
昭和53年(1978)わが国に現存する唯一の鉄船であり短かった鉄船時代の造船技術を今に伝える貴重な遺産として国の重要文化財に指定された。
清澄通り 晴海運河に架かる相生橋 清澄通り 晴海運河に架かる相生橋 

相生橋は、隅田川派川に架かる橋で、上流の永代橋に相対する橋として名付けられました。
形式は。大正8年に市電を通すため改築した先々代の橋の姿にならいトラス橋としました。
トラス橋は、細長い部材を三角形に組みたてて橋桁とした橋です。
新しい相生橋は、隅田川や中の島公園とともに多くの人々の憩いの場として親しまれるよう整備しました。
橋の長さは149m、幅員36.8mです。平成10年12月19日に全線関通しました。
清澄通り 大川端リバーシティ21 清澄通り 大川端リバーシティ21 

相生橋を渡り、清澄通りの右側の写真の相生橋南詰の交差点で右折して進むと、大川端リバーシティ21を経て隅田川に架かる中央大橋に至り、橋を渡ると八丁堀に着く。中央大橋手前で隅田川沿いに下流に向かって歩くと、石川島人足寄せ場跡や、灯台がある。更に進むと佃島で、住吉神社や、佃煮販売店、佃島渡船跡などがある。
交差点からは月島駅が見えており、このコースを歩くのはあまりも遠周りになるので、清澄通りを直進する。
都営 大江戸線 月島駅 都営 大江戸線 月島駅 

清澄通りを走る大江戸線とこの初音橋交差点とで東京メトロ(旧営団)有楽町線とが交差する。新月陸橋手前の小交差点で右折して佃島に向かう。
清澄通り 佃・月島散歩マップ 清澄通り 佃・月島散歩マップ 

小交差点を入り、新月陸橋越しの左手に月島西仲通り(もんじゃ街)が見える付近にある。地図でおおよその位置関係を覚え、西に進むと隅田川に出る。その辺一帯が佃島である。
案内図右の高層ビルが大川端リバーシティ21である。
佃島 佃小橋 佃島 佃小橋 

右手奥に住吉神社が見え、橋の右手下の川の中にに住吉神社の札が立っている。書かれている内容は、寛政10年(1798年)に幕府より建立を許された大幟などが埋設されており、立ち入ったり、掘り起こしたりしないように、との注意書きである。
佃島 住吉神社 佃島 住吉神社 

佃島の漁民が創建し、3年毎の例大祭は「佃島の祭倒れ」と昔から有名である。

天正十八年(1590)徳川家康公が関東下降の際、家康公の命により摂津国佃の漁夫三十三人と住吉の社(田蓑神社)の神職平岡正大夫の弟、権大夫好次が分神霊を奉載して江戸に下リ、寛永年間に幕府より鉄砲洲向いの干潟を賜り、築島工事を起こし、正保二年に竣工し、元の名から佃島と名付け、住吉明神の社地を定めて、正保三年(1646)六月二十九月、住吉三神、神功皇后、徳川家康公の御霊を奉遷祭祀ました。
佃島 住吉神社 陶製扁額 佃島 住吉神社 陶製扁額 

正面鳥居の上にある扁額は、珍しい陶製で、白地に呉須で額字や雲文を染付けています。明治十五年(一八八二)六月に制作され、額字の筆者は有栖川官職仁親王です。

住吉神社には、この他にも伝 東洲斎写楽終焉地の碑などが狭い境内に所狭しと多くの遺構がある。
佃島 住吉神社 銅製 大鳥居 佃島 住吉神社 銅製 大鳥居 

参道の先にあり、進んで階段を上ると隅田川がある。右折すると石川島人足寄せ場跡があり、左折すると佃島渡船跡の碑や、佃煮店がある。
佃島 佃島渡船跡 佃島 佃島渡船跡 
佃島 佃島渡船跡 佃島 佃島渡船跡 

佃島は隅田川河口にできた自然の寄洲である。徳川初代将軍家康の時、摂津国佃村(大阪市西淀川区佃町)の漁師を招いて住わせたところという。この島と対岸の佃大橋西詰付近との間を通ったのが佃の渡しである。昭和39年の佃大橋の完或によって廃止された。
佃島 佃煮店 佃島 佃煮店 

佃島渡船跡の碑の周辺にはいくつかの佃煮店があり、時間帯によっては佃煮を作る甘辛い醤油の香りがする。土産に買おうかと思ったが、100gで1000円前後で、種類も多く、あきらめた。
佃島 佃大橋沿いに東進 佃島 佃大橋沿いに東進 
佃島 月島機械本社前交差点で右折、月島西仲通り(もんじゃ街)へ 佃島 月島機械本社前交差点で右折、月島西仲通り(もんじゃ街)へ 

直進すると月島駅がある初音橋交差点で、清澄通りと交差する。
月島西仲通り(もんじゃ街) 月島西仲通り(もんじゃ街) 

月島西仲通り(もんじゃ街)は、清澄通りの西に並行する商店街で、月島川の手前まで続き、もんじゃ焼の店が建ち並ぶ。
この案内の柱の反対側に有楽町線の月島駅出入口がある。
月島西仲通り(もんじゃ街) 月島西仲通り(もんじゃ街) 

もんじゃ焼のお土産販売や、商店街の案内、パンフレット配布などを行うセンターで、月島西仲通りに入ってすぐの茶色のビルの1階にある。
月島西仲通り(もんじゃ街) 月島西仲通り(もんじゃ街) 
月島西仲通り(もんじゃ街) 月島西仲通り(もんじゃ街) 

札幌すすき野のラーメン横丁もそうだが、流行っている店と、閑散としている店の差が大きい。
月島西仲通り(もんじゃ街) 4番街入口で左折、清澄通りへ 月島西仲通り(もんじゃ街) 4番街入口で左折、清澄通りへ  
月島西仲通り(もんじゃ街) 4番街入口で左折、清澄通りへ 月島西仲通り(もんじゃ街) 4番街入口で左折、清澄通りへ 

交差点の先はマンションなどが建ち、先には月島川に架かる西仲橋が見える。西仲橋を渡ってさらに進むと、勝どき一丁目交差点で晴海通りに出る。
清澄通りに出て右折 清澄通りに出て右折 
清澄通り 月島川に架かる月島橋 清澄通り 月島川に架かる月島橋 
清澄通り 月島橋から見た晴海トリトンスクエア 清澄通り 月島橋から見た晴海トリトンスクエア 

晴海トリトンスクエアは、かつて晴海展示場があった晴海三丁目交差点の一角に出来たショッピング街とオフィスビルがある。
清澄通り 月島橋界隈 案内図 清澄通り 月島橋界隈 案内図 

上が晴海トリトンスクエアがある東で、下に隅田川に架かる勝どき橋がある。右が門前仲町の北である。
清澄通り 勝どき駅前交差点で右折、晴海通りへ 清澄通り 勝どき駅前交差点で右折、晴海通りへ 
都営 大江戸線 勝どき駅 都営 大江戸線 勝どき駅 



 
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