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白山通り 福音館書店前交差点
交差点名はないが、文京区のコミュニティバスであるB−ぐるバスが六義園を経て交差点から出てきて左折、白山通りを南下する。
左折すると名園六義園の西側のレンガ塀になる。 |
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白山通り 千石一丁目交差点で左折、不忍通りへ |
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白山通り 千石一丁目交差点 小石川中等教育学校(旧 都立小石川高校)
かつての都立小石川高校(旧制府立5中)だったが、平成18年に中高一貫校となり、平成23年3月に高校は閉校となった。
マザコン、鳩ポッポ宰相で知られる某元首相は卒業生で、その無神経、脳天気な言動に怒り、小石川の名折れ、と罵る人もいる。 |
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不忍通り 文京グリーンコート前交差点で左折
文京グリーンコートは小石川中等教育学校に隣接し、オフィス、住宅、商業の複合施設である。 |
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不忍通り 文京グリーンコート前交差点で左折 |
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六義園のレンガ塀に沿って北東に進む
レンガを使用した外周塀
江戸時代中期に作庭された文化財庭園に、幕末以降にもたらされた技術を用いたしンガが使われている理由には、この文化財庭園の歴史的な変遷が大きく関わっています。 江戸時代当時の柳沢家の屋敷範囲と、明治年間以降の岩崎家の敷地とは、文化財庭園として指定された現在の六義園の範囲よりも東西南北にそれぞれ広がっていました。指定文化財範囲から外れた、これらの土地では、日露戦争の祝勝会が開催され、第二次大戦当時には児童向けの科学館なども置かれていました。従って、改修前のレンガ塀は、第二次大戦後に、国指定の文化財として整備する前後の時期に、管理用に構築されたものであり、岩崎家所有当時の外周塀ではありません。しかしながら、柳沢家から岩崎家、そして東京市(府)から東京都へと、所有者や管理者が移り変ってゆく中で、岩崎家が所有していた湯島や本所などの屋敷でも採り入れられた、洋風の意匠であるレンガ塀も、歴史的な変遷を物語る貴重な文化財といえます。 |
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六義園 正門
元禄8年(1695)、5代将軍徳川綱吉の側用人柳沢吉保が下屋敷に自ら設計し、7年かけて築いた回遊式築山泉水庭園。小石川後楽園とともに江戸の二大庭園と呼ばれる。 明治時代に三菱財閥の創業者岩崎弥太郎氏の所有となり、昭和13年に東京市に寄付され、一般公開。国の特別名勝。
六義園は春の枝垂れ桜、秋の紅葉が有名であるが、桜にはまだ早く、通り過ぎることとした。 |
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六義園前の道を進み、突き当りで左折、本郷通りへ |
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本郷通り 文京区 Bーグルバス #24 六義園入口 |
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本郷通り 駒込橋交差点 六義園 染井門
JR駒込駅から駒込橋を渡ってくると、この門が目に入る。東京メトロ(旧営団)の南北線では地上に出た所がこの門である。 しかし、ここからは六義園に入れない。 |
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本郷通り 跨線橋 駒込橋、JR 駒込駅 |
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JR 山手線 駒込駅 南口 |
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JR 山手線沿いに東北に進む |
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JR 山手線沿いに東北に進む
土手沿いを山手線が走り、その右で道路との間の谷間を湘南新宿ラインが走る。 |
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突き当りの富士見橋交差点で右折、田端高台通りへ |
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突き当りの富士見橋交差点で右折、田端高台通りへ
左折して富士見橋を渡るとと西ヶ原交差点で本郷通りと交差し、少し先に旧古河庭園があり、左斜め下を下ると駒込駅に着く。
駒込駅に向かう分かりやすいコースではあるが、かなり遠回りになる。 |
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田端高台通りを南下 |
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田端高台通り 田端高台交番前交差点で左折、江戸坂へ
後方の高層ビルは田端アスカタワー、手前の低層ビルは田端文士村記念館である。 |
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江戸坂を下る |
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江戸坂を下る
田端の台地から下谷浅草方面へ出る坂道で、坂名もそれに由来するもののようてす。この坂の近くに、詩人の室生犀星、俳人の瀧井孝作、画家の池田輝方、池田蕉園夫妻、画家の岩田専太郎、詩人の福士幸次郎が住んていました。坂上の左手に露月亭という茶屋があり、陶芸家である板谷波山が三十歳の頃、そこで、飛烏山焼と銘を入れた徳利と猪口を売ったことがあったということです。 |
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江戸坂 田端文士村記念館
田端文士村記念館には、芥川龍之介、室生犀星、小杉放庵、板谷波山ら、田端にゆかりのある作家・芸術家の原稿、書簡、絵画、彫刻などを展示されている。 |
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江戸坂 田端駅前交差点で左折、田端駅前通り(都道458号)へ
田端駅前通りは、都道458号(白山小台線)の田端新町三丁目交差点までの通称である。 |
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JR 山手線 田端駅 |