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中野通り 中野五差路交差点で右折、大久保通りへ
直進すると杉山公園交差点で青梅街道に戻る。高円寺の地名の由来になった名刹高円寺に寄るため、大久保通りに入る。 |
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大久保通り 桃園橋交差点
左折すると桃園川を暗渠化した桃園川緑道が見える。 |
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大久保通り 桃園川緑道 |
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大久保通り 中央五丁目バス停先から杉並区 |
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大久保通りを西進
どんよりした曇り空のため夕方のようであるが、時刻は12時20分である。 |
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大久保通り 大久保通り入口交差点で右折、環七通りへ |
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環七通り 高円寺南五丁目交差点で左折、南中央通りへ |
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地名の由来になった名刹 高円寺 |
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地名の由来になった名刹 高円寺
宿鳳山高円寺は、弘治元年(一五五五)中野成願寺三世建室宗正によって開山された曹洞宗の寺です。本尊は観音菩薩像で、室町期の作と伝えられる阿弥陀如来坐像も安置されています。
かつてこの地は、周辺に桃の木が多くあったことから桃園と称され、本尊は桃図観音、寺は桃堂の名で呼ばれていました。
当寺が広くその名を知られるようになったのは、第五世耕岳益道の時、三代将軍徳川家光の知遇を得たことによります。現本堂裏の高台が「御殿跡」と呼ばれるのは、家光が遊猟のおり当寺に立ち寄り休息した茶室跡に由来するといわれ、付近には「御殿前」の名称もありました。境内にある茶園の名残も家光の寄進と仕えられます。また、それまで小沢村と呼ばれた村名を、寺名をとって高円寺村と改めさせたのも家光といわれています。
当寺は今日まで寛保二年(一七四二)、弘化四年(一八四七)、明治三十三年、昭和二十年と四度も罹災し、堂舎と共に古記録類の多くを焼失しました。現在の本堂は昭和二十八年に建立したものです。 |
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地名の由来になった名刹 高円寺 |
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地名の由来になった名刹 高円寺
山門の扉には木製の葵の御紋が付けられている。 |
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地名の由来になった名刹 高円寺 |
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地名の由来になった名刹 高円寺 |