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外堀通り 飯田橋駅前 飯田橋セントラルプラザ 外堀通り 飯田橋駅前 飯田橋セントラルプラザ 
外堀通り 神楽河岸 旧飯田濠 思い出のせせらぎ 外堀通り 神楽河岸 旧飯田濠 思い出のせせらぎ 

飯田橋セントラルプラザから神楽坂下交差点まで、飯田濠を摸した小公園がある。

 ここから飯田橋まで、現在ビルが建っている一帯全部が、以前は深い濠になっており、飯田濠と呼ばれていた。
 飯田濠は市ヶ谷濠、牛込濠から神田川にかけて続いている江戸城外濠の一つであった。
 昭和四十七年に都の市街地再開発事業としてビル建設が決定され、飯田濠は埋め立てられることになったが、濠を保存して欲しいという都民の強い要望から飯田濠の一部を復元した。
 この道路脇の石垣は、江戸時代のものである。
外堀通り 神楽河岸 牛込揚場の碑 外堀通り 神楽河岸 牛込揚場の碑 

江戸時代には海からここまで船が上ってきた。全国各地から運ばれてきた米、味噌、醤油、酒、材木などがこの岸で荷揚げされたので、この辺は揚場と呼ばれた。
 昭和四十七年に都の市街地再開発事業として、ビル建設が決定され飯田濠は埋め立てれることになったが、濠を保存してほしいという都民の強い要望から、ビルの西側に飯田濠の一部を復元すると共に、以前水面があったことにちなんで約二百三十メートルのせせらぎを造った。
 外濠の水は、このせせらぎの地下水路を通って昔のとおり神田川に注いでいる。
外堀通り 神楽河岸 旧飯田濠 思い出のせせらぎ 外堀通り 神楽河岸 旧飯田濠 思い出のせせらぎ 

後方は飯田橋セントラルプラザのショッピングプラザのラムラである。
外堀通り 神楽坂下交差点で早稲田通りを渡る 外堀通り 神楽坂下交差点で早稲田通りを渡る 
外堀通り 神楽坂下交差点で早稲田通りを渡る 外堀通り 神楽坂下交差点で早稲田通りを渡る 

有名な神楽坂だが、狭い道である。坂の途中には「神楽坂の毘沙門さま」として有名な善国寺がある。
外堀通り サクラ並木の牛込濠沿いを西進 外堀通り サクラ並木の牛込濠沿いを西進 

神楽坂下交差点から外堀沿いのサクラ並木は有名で、満開の時期には散策する人も多い。
外堀通り 市谷見附交差点手前のDNP(大日本印刷) 外堀通り 市谷見附交差点手前のDNP(大日本印刷) 
外堀通り 市谷見附交差点で直進 外堀通り 市谷見附交差点で直進 
外堀通り 市谷見附交差点 市ヶ谷橋下の釣り堀 外堀通り 市谷見附交差点 市ヶ谷橋下の釣り堀 

市ヶ谷橋下の外堀に設けられた釣り堀が有名で、小学生以前から総武線の車窓越しに見ていたので半世紀以上の歴史がある。
 外堀通り 市谷見附交差点で直進 外堀通り 市谷見附交差点で直進 

左折すると外堀に架かる市ヶ谷橋で、渡った右に市ケ谷駅がある。
靖国通り 市ヶ谷橋を渡った右に総武線の市ケ谷駅 靖国通り 市ヶ谷橋を渡った右に総武線の市ケ谷駅 

市ヶ谷橋の左下に名物の釣り堀がある。
外堀通り 市谷八幡町交差点で左に進む 外堀通り 市谷八幡町交差点で左に進む 

右に進むと都営新宿線が走る靖国通りとなり、すこし進むと防衛省庁舎がある。
外堀通り サクラ並木の市谷濠沿いを南西に歩く 外堀通り サクラ並木の市谷濠沿いを南西に歩く 
外堀通り 高力坂を上る 外堀通り 高力坂を上る 

かつて東京マラソンが国立競技場をゴールとしていたとき、この坂で力尽き逆転が起きたりした。TVではかなりの急坂に見えるが、長いけれどもそれほどの急坂ではない。箱根の難所である権太坂は非常に長いが、歩くとそれほど急ではないのと同じで、急坂で有名な靖国神社の九段坂とは違う。
外堀通り 高力坂を上る 外堀通り 高力坂を上る 

 新撰東京名所図会によれば「市ヶ谷門より四谷門へ赴く、堀端辺に坂あり。高力坂という。幕臣高力小次郎の邸あり、松ありしかば地名を得たり、高力松は枯れて、今、人見の合力松を存せり、東京電車鉄道の外堀線往復す。」とある。
 すなわち、高力邸にあった松が高力松と呼ばれ有名だったので、その松にちなんで、坂名を高力坂と名付けたものと思われる。
外堀通り 国史跡 江戸城外堀跡 外堀通り 国史跡 江戸城外堀跡 
外堀通り 国史跡 江戸城外堀跡 外堀通り 国史跡 江戸城外堀跡 

 牛込門から赤坂門に続く江戸城外堀は、寛永13年(1636)に3代将軍徳川家光の命により東国の大名52家が分担して開削したものです。
 この部分の外堀は、起伏のある山手の地形を巧みに取り入れ、北側の牛込から市谷付近では神田川から延びる谷筋を、南側の喰違から赤坂門にかけては溜池から延びる谷筋を利用しています。しかし、市谷から喰違付近、現在の外濠公園から上智大学真田濠グランドの一帯は高台となるため、最大13メートルも地面を掘り下げています。そして、掘り出された大量の土は、周辺の谷に運ばれ武家地や町地の造成に利用されたと考えられます。この土木工事はすべて人力で行われましたが、堀工事の約1/7を分担した仙台藩伊達家では、5,700人の人足を動員した記録が残されています。
 現在も残る江戸城外堀跡は、江戸幕府が諸大名を動員して行った、一大土木工事を物語る貴重な遺構です。
外堀通り 国史跡 江戸城外堀跡 外堀通り 国史跡 江戸城外堀跡 

外堀水面の高低差

 江戸城外堀跡は、現在一部が埋め立てられていますが、かつては湧水や玉川上水の水を満々と湛えた水堀でした。起伏のある山手に位置する外堀では、堀の水深を一定に保つため、牛込・市谷・四谷門橋と喰違土橋に堰が設けられ水位が調整されていました。このため、水位の最も低い神田川につながる牛込門東側と水位の最も高い真田濠では水面に約20mもの差がありました。
外堀通り 国史跡 江戸城外堀跡 外堀通り 国史跡 江戸城外堀跡 
外堀通り 本塩町南交差点周辺に咲くキリシマツツジ 外堀通り 本塩町南交差点周辺に咲くキリシマツツジ 

左には外濠公園が続く。
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