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JR 中央線快速 四ツ谷駅
【撮影記録】
平成26年 5月 29日 晴れ
10:00〜11:10 5,700歩(歩行距離 概算 4.0km 地図上 4.1km)
中央線快速 四ツ谷駅〜於岩稲荷〜新宿駅
駅数 2、営業距離 3.7km
少し歩いただけで汗が滴り落ち、途中で熱中症計を見たら30℃を超えており、いよいよ梅雨の季節が近づいてきたと感じた。わずかに腰がうずく程度まで体調は良くなってきたので、次回はなんとか新宿から荻窪まで歩きたいと思う。 |
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外堀通り 四谷見附交差点で右折、新宿通りへ
直進すると赤坂迎賓館前を通り、赤坂見附に向かう。
四ツ谷駅から新宿駅まで中央線快速は赤坂迎賓館、赤坂御用地、神宮外苑、代々木駅と進むが、それは総武線と同じであり、丸ノ内線と同じ新宿通りを歩くことにした。 |
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新宿通り 四谷小学校前交差点 |
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新宿通り 四谷二丁目交差点
6月6日から9日までの須賀神社御遷座380年奉祝大祭のゲートが作られている。
須賀神社は四谷総鎮守で、寛永14年(1634年)に創建であり、於岩稲荷の近くである。 |
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新宿通り 四谷三丁目交差点で左折、外苑東通りへ
交差点の右角に四谷消防署と併設した消防博物館がある。 |
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新宿通り 四谷三丁目交差点で左折、外苑東通りへ
於岩稲荷に寄るため左折して外苑東通りを南下する。そのまま直進すると信濃町駅に着く。 |
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於岩稲荷
於岩稲荷と、於岩稲荷田宮神社については、次ページにまとめた。 |
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外苑東通り 四谷三丁目交差点で左折、新宿通りへ
交差点の左角に四谷消防署と併設した消防博物館がある。 |
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新宿通り 四谷四丁目東交差点 |
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新宿通り 四谷四丁目交差点で外苑西通りを渡り、右に進む
自動車で隠れて見えないが、この交差点で左から来る新宿御苑の地下を通る甲州街道と、新宿駅東口から来る右の新宿通りとが合流する。
新宿通りは正面奥の四谷区民ホールの右側に進む。 |
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新宿通り 四谷四丁目交差点 新宿御苑トンネル
甲州街道は新宿御苑の地下をトンネルで走り、明治通り手前の新宿高校付近で地上に出る。 |
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新宿通り 四谷四丁目交差点 四谷区民ホール前 玉川上水水番所跡、水道碑記、四谷大木戸跡 |
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新宿通り 四谷四丁目交差点 四谷区民ホール前 玉川上水水番所跡、水道碑記、四谷大木戸跡
四谷四丁目交差点のすぐ先にあり、四谷上水番所跡、水道碑記、四谷大木戸跡碑の3件の説明がされている。
玉川上水水番所跡 玉川上水は、多摩川の羽村堰で取水し、四谷大木戸までは開渠で、四谷大木戸から江戸市中へは石槌・木槌といった水道管を地下に埋設して通水した。 水番所には、水番人一名が置かれ、水門を調節して水量を管理したほか、ごみの除去を行い水質を保持した。当時、水番所構内には次のような高札が立っていた。 定 一、此上水道において魚を取水をあび ちり芥捨べからず何にても物あらひ申間敷 並寮側三間通に在来候一木下草 其外草刈取申間敷候事 右之通相背輩あらば可為曲事者也 元文四巳未年十二月 奉行 |
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新宿通り 四谷四丁目交差点 水道碑記
玉川上水開削の由来を記した記念碑で、高さ四六〇センチ、幅二三〇センチ。上部の篆字は徳川家達、撰文は胆付兼武、書は金井之恭、刻字は井亀泉によるもので、表面に七八〇字、裏面に一三〇字が陰刻されている。 碑の表面には明治十八年の年記が刻まれているが、建立計画中に発起人西座真治が死亡したため、一時中断し、真治の妻の努力により明治二十八年(一八九五)完成したものである(裏面銘文)。 |
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新宿通り 四谷四丁目交差点 四谷大木戸跡の碑
都指定の旧跡・四ツ谷大木戸の記念碑。昭和三十四年の地下鉄丸の内線工事の際に出土した玉川上水の石樋を使っている。記念碑から約八〇m東の四ツ谷四丁目交差点が本来の場所。 第一京浜の泉岳寺の近くにある高輪大木戸跡は石垣の遺構があるが、四谷は碑だけである。 |
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新宿通り 新宿一丁目交差点
左折すると新宿御苑の大木戸門入口である。 |
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新宿通り 新宿御苑前駅交差点
丸ノ内線の新宿御苑前駅の四谷方向の端に当たる。 |
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新宿通り 新宿二丁目交差点で明治通り(バイパス)を渡る
左折して突き当りを左折、旧甲州街道をすこし進むと新宿御苑の新宿門に出る。 |
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新宿通り 新宿三丁目交差点で明治通りを渡る
新宿三丁目交差点は新宿で最も有名な交差点で、伊勢丹本店がある。 |
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新宿通り 新宿三丁目西交差点 |
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新宿通り 新宿駅東口交差点 |
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JR 中央線快速 新宿駅 |