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JR 埼京線 始発 大崎駅(東口)
埼京線は大崎駅を始発とし、渋谷、新宿、池袋、赤羽、戸田公園、武蔵浦和、与野本町を経て大宮を終点とする。 駅数 19、営業距離 36.9km
【撮影記録】
平成25年 7月 9日 晴れ
9:45〜11:10 11,600歩 (概算 7.0km 地図上 4.9km)
埼京線 大崎〜山手通り〜恵比寿
営業距離 3.6km 駅数 2
過去2回は五反田や目黒、恵比寿ガーデンプレイスに立ち寄ったりしたが、今年の2月に山手線外回りを歩いたこともあって、寄り道せずに恵比寿に直行した。しかし、例年の2週間ほど早く梅雨明けしたこともあって、体が高温多湿に慣れてなく、恵比寿までで断念した。 |
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大崎駅 東口 大崎ニューシティ1号館 TOC大崎ビルディング |
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大崎駅 東口から山手通り 大崎陸橋へ
大崎駅から取付道路を北上して山手通りに出る。右手の青いビルはアートヴィレッジ大崎セントラルタワーである。 |
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山手通り 大崎陸橋
大崎陸橋はJR各線を跨ぐ跨線橋で、かなりの高さがある。 |
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山手通り 大崎陸橋 熱中症計は危険
現在時刻は9:50で、熱中症計は、温度は34.6℃、湿度は60%である。
朝から暑い、とは思っていたが、まさか危険とは思わなかった。温度も高いが、高湿度であり、汗が流れ落ちるので早く熱中症対策の冷えたマフラーを装着しなければ、と思うものの適当な場所が見つからない。 |
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山手通り 大崎広小路交差点、西五反田一丁目交差点 路線案内図
大崎広小路交差点と西五反田一丁目交差点は隣接しているが、桜田通り(国道1号)など重要な幹線と交差しており、320m手前であるが分かりやすく説明されている。 |
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山手通り 大崎警察署前交差点
交差点の左に大崎警察署がある。 |
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山手通り 東急 池上線 大崎広小路駅
山手通りの左手に大崎広小路駅があり、道路を跨いで線路が架けられており、左に駅のホームが見える。 |
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山手通り 東急 池上線 大崎広小路駅 |
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山手通り 大崎広小路交差点 ゆうぽうとホール
色々なイベントが行われる有名なホールである。 |
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山手通り 大崎広小路交差点でソニー通り(山手通り支線)を渡る
交差点手前左角に「ゆうぽうとホール」があり、右折するとJRと東急池上線の五反田駅の間を通って御殿山に向かう。 |
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山手通り 西五反田一丁目交差点で桜田通りを渡る
交差点の右に中原口交差点があり、中原街道(都道2号)と第二京浜(国道1号)が交差する。第二京浜は桜田通りとなって西五反田一丁目交差点で山手通りと交差し、中原街道はソニー通り(山手通り支線)として大崎広小路交差点で山手通りと交差する。 |
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山手通り 西五反田一丁目交差点で桜田通りを渡る
交差点を渡った所に首都高中央環状品川線の五反田換気所の換気塔工事が行われている。 |
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中央環状品川線五反田換気所 工事案内
中央環状品川線五反田換気所
換気塔設置工事及び付帯設備設置工事のお知らせ
日頃より、中央環状品川線事業へのこ理解とご協力をいただき、ありがとうございます.
五反田換気所につきましては、地下部分の躯体構築工事が完了し、現在、換気塔設置工事、換気所内の付帯設備設置工事を実施しており、平成26年3月頃の完成を予定しています。
近隣の皆様には、引き続き、工事へのご理解とご協力をお顛いいたします。
中央環状品川線は当初今年度末(平成25年)開通を予定していたが、出水が発生し、その対応のため26年度末に延期された。 |
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山手通り 大崎郵便局前交差点で首都高2号目黒線の高架下を通る |
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山手通り 中央環状品川線の全体概要
よく知られたことであるが、中央環状品川線は多くの鉄道の地下を通り抜けているのが分かる図である。 |
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山手通り 東急 目黒線の高架下を進む
左折し、坂を上った所に目黒線の不動前駅がある。 |
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山手通り かむろ坂下交差点
かむろ(禿)坂を上って途中で右折すると目黒不動がある。「かむろ」の謂れには悲話がある。 |
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山手通り 目黒不動交差点
交差点の斜め後ろに道を進み、右折すると目黒不動に至る。 交差点名ではあるが、目黒不動には東急目黒線不動前駅からかむろ坂を通っていくか、この先の羅漢寺交差点から裏手に出るコースが普通である。 |
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山手通り 羅漢寺交差点
斜め後方の松雲羅漢の像がある横の道を進み、永代橋崩落横死者供養塔などがある海福寺,、羅漢寺を経て、目黒不動に至る。
目黒駅から、行人坂にある大円寺(江戸三大火事の一つ明和9年の行人坂の火事や、八百屋お七で有名)、大鳥神社を経てこの交差点から目黒不動に行くのが観光コースになっている。 |
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山手通り 羅漢寺交差点 松雲羅漢
山手通りから五百羅漢寺を経て、目黒不動尊に行く入口にある。松雲禅師は、元禄年中に536体の羅漢像を彫り、本所五ツ目に五百羅漢寺を築いた。明治42年に下目黒に移転、荒廃したが、昭和56年に再興した。その記念に松雲羅漢像を作った。 |
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山手通り 大鳥陸橋入口
山手通りと目黒通りとの交差点である大鳥神社交差点の地下を走る大鳥陸橋の入口は、下目黒3丁目歩道橋を過ぎた所にある。 |
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山手通り 蟠龍寺(弁財天)
蟠竜寺は歩道橋を過ぎて少し進んだ所にある。
目黒行人坂付近にあった称明院〔慶安元年(1648)開創〕を、増土寺の霊雲上人が浄土宗の戒律を復興するため現在地に移し、宝永6年(1709)「霊雲山称名院蟠龍寺」と改名再建されました。 次いで、寛致6年(1794)律院となりましたが、「不許辛肉酒入山門」の結界石がその名残りを今にとどめています。 本堂には本尊として「木造阿弥陀如来像」(都指定文化財)があり、天明年間(1781〜1788)に東都三番札所となり善光寺式阿弥陀三尊像も祀られています。 「江戸名所図会」にのった境内は、当時の風趣が偲ばれ、元禄11年(1698)建立の地蔵尊があります。また、山手七福神の一つであり、江戸裏鬼門の鎮守として岩窟内に石像弁財天、弁天堂内に木造弁財天(八臂の天女像)が安置されています。さらに境内には、藍蝋の歌碑や下目黒尋常小学校創立之碑などもあります。 |
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山手通り 蟠龍寺(弁財天)
蟠龍寺と弁天様
この寺の創建は宝永6年(一七〇九)。浄土律復興のため、増上寺の高僧・霊雲上人が行人坂下の称明院をここに移し、蟠竜寺と改名された。本尊阿弥陀如来像(都文化財)・善光寺如来像が安置されている。本堂横の祠の中に山手七福神の石仏の弁財天があり、木造の弁財天は、お堂にまつってある。池の奥に「おしろい地蔵」の異名をもつ地蔵がひっそりと立つ。 |
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山手通り 大鳥神社
この神社は、日本武尊の東征にゆかりがあるといわれるこの地に、大同元年(806)に創建された区内最古の神社です。江戸地図として古いものとされる「長禄江戸図」に書かれている古江戸9社の1つで、目黒村の総鎮守でもありました。祭神は日本武尊を主神とし国常立尊と弟橘媛命を合祀しています。 毎年11月に開かれる酉の市は、東京では古いものの1つといわれており、現在も都内では有数の賑わいを見せています。この市のいわれは日本書紀に「十月己酉に日本武尊を遣わして、熊襲を撃つ」とあり、尊の出発日が酉の日であったことから、おこったと伝えられています。 |
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山手通り 大鳥神社交差点で目黒通りを渡る
右折して権之助坂を上って行くと目黒駅に出る。 |