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鶴見市場 熊野神社
踏切を渡り、右に熊野神社が見え、その先の突き当たりで右折、旧東海道に入る。 |
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突き当りを右折、旧東海道へ
熊野神社は右角にある。
旧東海道は3年前に川崎から横浜まで歩いたが、ここから先は同じ遺構を見ることとなる。 |
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鶴見市場 熊野神社 |
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鶴見市場 熊野神社
広々とした境内である。 |
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旧東海道 市場一里塚 |
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旧東海道 市場一里塚
慶長9年(1604)徳川幕府は、江戸から京都までの街道を整備し、合わせて宿場を設け、交通の円滑を図りました。里程の目標と人馬の休憩のための目安として,江戸日本橋から一里(約4km)毎に街道の両側に五間四方(9m四方)の塚を築造し、塚の上には榎を植えました。
ここは江戸より五里目の塚に当り、市内で最初の一里塚です。左の塚が現存しています。昭和初期まで塚の上には榎の大木が繁茂していました。 |
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旧東海道 市場一里塚 |
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旧東海道 鶴見川に架かる鶴見川橋
江戸日本橋から来た場合、最初に渡る橋であった鶴見川橋(当時の名称は「鶴見橋」でした。)は、「東海道五十三次」や「江戸名所図会」|こ描かれ、ここからの眺めは海原や富士山が臨め、茶屋などが多く賑わっていたといいます。 |
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旧東海道 鶴見川に架かる鶴見川橋 |
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旧東海道(鶴見東口駅前通り) 寺尾稲荷道 道標
鶴見川橋を渡って鶴見図書館手前にある。
江戸時代、ここは寺尾稲荷社(現・馬場稲荷社)へ向う道との分岐点で、このように「寺尾稲荷道」と記された大きな道標がたてられていました。寺尾稲荷社は、馬術上達や馬上安全の祈願で知られ、江戸からの参拝者も多かったといいます。またこの道は菊名へ向かう寺尾道や川崎へ向う小杉道にもつながる、この地域の大切な道でした。なお、当時の道標は、現在、鶴見神社境内にあり、ここにあるのはその複製です。 |
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旧東海道(鶴見東口駅前通り) 寺尾稲荷道 道標 |
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旧東海道(鶴見東口駅前通り) 鶴見図書館 |
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旧東海道(鶴見東口駅前通り) 旧東海道 案内板
鶴見図書館前にある。
古代から多くの人に利用されていた東海道は、17世紀のはじめ、徳川家康により江戸と京都を結ぶ重要な街道として整備されました。宿場が設けられ、距離の目安として一里(約4km)ごとに道の両側に一里塚を築きました。市場西中町には、この一里塚が片側だけ、今も残っています。海に面して景色が優れていた鶴見や生麦は、川崎宿と神奈川宿の間の「間の宿」としてにぎわい名物、「よねまんじゅう」を商う店や茶屋が繁盛したといいます。 |
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旧東海道(鶴見東口駅前通り) 鶴見駅東口入口交差点で区役所通りを渡る |
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旧東海道(鶴見東口駅前通り) 鶴見駅東口入口交差点 |
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旧東海道(鶴見東口駅前通り) 鶴見駅東口入口交差点 界隈案内図 |
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旧東海道(鶴見東口駅前通り)
旧東海道
古代から多くの人に利用されていた
東海道は、17世紀のはじめ、徳川家康により江戸と京都を結ぷ重要な街道として整備されました。宿場が設けられ、
距離の目安として一里(約4km)ごとに道の両側に一里塚を築きました。市場西中町には、この一里塚が片側だけ、今も残っています。
海に面して景色が優れていた鶴見や
生麦は、川崎宿と神奈川宿の「間の宿」としてにぎわい、名物「よねまんじゅう」を商う店や茶屋が繁盛したといいます。 |
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旧東海道(鶴見東口駅前通り) 京急本線 京急鶴見駅 |
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JR 京浜東北線 鶴見駅
ロータリーを挟んで北側にJRの鶴見駅がある。鶴見總持寺はJRの北側を西に進むとあるが、今回は旧東海道を歩くため、立ち寄らなかった。 |