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大山街道 二子神社
多摩川に架かる二子橋手前にある神社である。 |
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大山街道 二子神社
大山燈篭
大山は神奈川県中央部にある山岳で標高一、二四六メートル、年間降雨量が多く雨降山の別名がある。山頂に阿夫利神社があり、山腹に不動尊で有名な大山寺がある。雨者を総称して一般に大山様と呼ばれ、古くから農業、商売繁盛、技能芸能の神仏として農工商の庶氏に厚く信仰された。阿夫利神社の神官や大山寺の社僧を「御師」といった。御師は関東一円に特定の受持ち区域を持ち常々村々を巡回し大山信仰の布教と大山講の組織作りにつとめた。 大山信仰がさかんになったのは江戸文化が発達した中期頃からで、江戸市民は多くの大山講を組織して集団で登山参拝した。 落語の題材にもなっているように、江戸から大山街道を通り伊勢原に至り大山登山参拝後は一路平塚に出て、江ノ島 鎌倉 藤沢の名所旧跡を見物し神奈川より舟で品川に渡り江戸に帰る行程は、江戸市民が大山詣を兼ねた、三、四泊の観光慰安旅行であった。往来する大山詣での鈴の音は夜の大山街道に遠くからひびき、二子宿や溝口宿は大山詣の御客でにぎわった。 古くから阿夫利神社は農業の神として信仰され、特に日照りが続くと大山様に雨乞いすればかならず雨が降ると信じられた。事実雨乞いすれば不思議と雨が降った。このため各村々には早くから大山講が組織され信者は毎年七月二十六日の山開きには村内一定の場所に大山燈籠を建て八月二十七日まで、連夜かかさず灯明をつけた。 大山街道沿いに立つ大山燈籠は夜間通過する大山講中の道標ともなった。この燈籠は当時の夏の風物詩であった。旧高津村が二子神社前に建てた実物です。総桧造りで大正末期に再築されたもので電球で灯明した。その昔は二子の渡場に建てられ油、ローソクで灯明されていた。 |
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大山街道 二子神社
二子神社とかの子碑
境内わきにある「かの子碑」は、岡本太郎の作。母を想い「誇り」と題している。昭和三七年秋完成。現代的なこの抽象彫刻と隣り合う二子神社の創建は古く、優に三百年をこえる。 |
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大山街道 二子神社 社殿
社殿の右の広場に岡本かの子文学碑「誇り」がある。 |
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大山街道 二子神社 岡本かの子文学碑 「誇り」 岡本太郎作
以前あった説明板には以下のように記されていた。
若くして歌人として活躍し、後に名作「老妓抄」を著し、小説家として文筆をふるった岡本かの子は明治22年、二子の旧家大貫家の長女として生まれ、若き日の一時期を当地ですごしました。幼少の頃から天才の片鱗を示しはじめていたかの子にとって、多摩川の清流が与えた影響は、はかり知れぬものがあります。子供ながらに深い憂愁や、自分でもわけのわからない熱い情熱にかられると、かの子は、よく多摩川の河原へおりて気を鎮めたり、いっまでも物思いにふけっていたといいます。こうして、終生思慕してやまなかった多摩川への夢と憧れは、かの子文学の基調として後の作品の中に昇華していきます。 この文学碑は、昭和37年、かの子の実子岡本太郎が、建築家丹下健三や地元の多くの人々の手を借りて建立したものです。築山の上の歌碑には、歌集「わが世」の一首で、また「老妓抄」の巻末を飾る「としとしにわが悲しみの深くしていよよ華やぐいのちなりけり」という歌が、かの子自筆で刻まれています。副碑は、かの子のよき理解者だった亀井勝一郎の撰文を、かの子が小説の師と仰いだ川端康成の楷書でしるしたものです。多摩川を見下し、大空に向って飛び立つようにそびえているのは、「誇り」と名づけられた岡本太郎の作品で、稀有な愛で結ばれ、芸術への殉死をとげたかの子と夫一平の愛の記念碑といえます。 |
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大山街道 二子神社 岡本かの子文学碑 「誇り」 岡本太郎作 |
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大山街道 二子神社 2月下旬に19.5℃
現在時刻は10:30で、熱中症計はほぼ安全、温度は19.5℃、湿度は29%である。
朝から暑い、とは思っていたが、まさか2月下旬で19.5とは思わなかった。直前まで最高気温が5℃前後、天気予報では当日12度だったが、やけに暑いので熱中症計を見たらほぼ20℃であった。ブルゾンは脱ぎ捨て、長袖シャツをめくり上げて歩いたが、帰宅時は汗だくだった。 |
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大山街道 二子神社 岡本かの子文学碑 「誇り」 岡本太郎作
泥が入ったりして非常に読みにくい碑文であるが、亀井勝一郎文、川端康成書に友人関係の深さを感じる。
岡本かの子は明治二十二年三月一日誕生し多摩河畔二子の郷家にて成長せり。祖先代代武蔵相模に栄えし旧家の血脈と多摩川の清流とはかの子の生命に深く愛染し作品のうちに多様なる姿をもつて表現されたり。かの子は若くして和歌を学び長じて仏道を修めあるひは東西の藝文にひろく接して昭和十四年二月十八日眠去の日まで華麗なる命を燃えあがらせつつ幽玄にしてまた絢爛たる文学の道を辿れり。ここに川崎市有志ならびに友人知己その業績を讃へ故人をしのびてかの子文学碑を建立す。 昭和三十七年十一月一日
亀井勝一郎文
川端康成書 |
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大山街道 旧大山街道 二子の渡し場入口
二子神社の広場から横の小道を歩いて、交差点手前に二子の渡し場入口の案内柱がある。
入口とあるので奥に進んだらマンションの駐車場で、その先は多摩沿線道路の土手であった。 |
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大山街道 二子橋交差点
二子の渡し場入口の案内柱の先の交差点で大山街道に戻り、左折すると二子橋交差点である。二子新地駅に行くため田園都市線の高架下を通り抜けて右折、住宅街を歩いて駅に向かう。 |
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大山街道 二子橋交差点 旧二子橋 親柱 |
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大山街道 二子橋交差点 二子の渡し
二子橋の完成は大正十四年。それまで、街道を行く人々はここ二子の渡しから多摩川を渡った。徒歩舟、馬船。河原には茶屋、蕎麦屋。舟待ちや、川遊びで、渡し場は大いに賑わった。 |
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田園都市線 二子新地駅 |
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二子新地駅前道路 突き当り交差点で右折、大山街道へ
この交差点の先には二子の渡し場入口の案内柱が見える。要するに案内中を見た後、そのまま直進すれば二子新地駅に着いた。 |
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二子新地駅前道路 突き当り交差点で右折、大山街道へ
交差点角に大山街道の説明が掲示されている。
内容は栄橋交差点の案内板と同じである。 |
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大山街道 二子橋交差点で多摩沿線道路を渡り、玉川通り(国道246号)へ
国道246号は、上流側に架けられた自動車専用の新二子橋手前で厚木街道と、二子橋を渡る玉川通りの2本に分かれ、瀬田交差点手前で合流する。 |