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名刹 称名寺(金沢文庫) 謡曲「六浦」と青葉楓
謡曲「六浦」は、梅、松、藤、柳等を人格化し、草木の精として扱った曲の一つです。
京の僧が称名寺を訪れて、山々の楓は紅葉の盛りなのに本堂前の楓が一葉も紅葉していないのを不審に思うと、楓の精が現れて、昔鎌倉の中納言為相卿が、山々の紅葉はまだなのにこの楓だけが紅葉しているので『いかにしてこの一本に時雨けん山に先立つ庭の
紅葉』と詠むと、楓は非常に光栄に思い『功なり名とげて身退くは天の道』の古句に倣い、その後は紅葉せず常緑樹なったこと、草木にはみな心があることを語り、僧に仏法を説ぐよう頼み、木の間の月に紛れて消え去ります。
新植された青葉楓の幼木の長寿を祈ります。 |
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名刹 称名寺(金沢文庫) 謡曲「六浦」と青葉楓 |
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名刹 称名寺(金沢文庫) 庫院 |
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名刹 称名寺(金沢文庫) 阿字ヶ池、反橋、平橋 |
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名刹 称名寺(金沢文庫) 称名寺市民の森案内図 |
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名刹 称名寺(金沢文庫) 芝生広場 |
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名刹 称名寺(金沢文庫) 中世の隧道(史跡・称名寺) |
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名刹 称名寺(金沢文庫) 中世の隧道(史跡・称名寺)
この隧道(トンネル)は、中世につくられたものです。
称名寺の伽藍が完成した元亨3年(1323)に描がれた「称名寺絵図」には、阿彌陀堂のうしろの山麓に両開きの扉が あり、その洞門の位置にー致します。
江戸時代には、隧道の向う側には「文庫がやつ」という地名があったことが、記録されており、鎌倉時代の金沢文庫の遺跡の有力な候補地です。県立金沢文庫の建設直前の発掘調査では、この隧道に続く中世の道路が検出されております。
なお、東側は風化が進んでいますが、西側は比較的旧状を残しており、扉の支柱の痕跡も見られます。この隧道は、国指定の史跡称名寺と金沢文庫をつなぐ重要な遺跡で、永久に文化財として保存されます。 |
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名刹 称名寺(金沢文庫) 県立金沢文庫(歴史博物館への連絡道 |
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名刹 称名寺(金沢文庫) 県立金沢文庫(歴史博物館) |
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名刹 称名寺(金沢文庫) 金沢文庫と称名寺の文化財
右手のトンネルの先に神奈川県立金沢文庫が建つ。この一帯は「文庫ヶ谷」と呼ばれていたので、中世の金沢文庫がこのあたりにあったものと推定されている。
金沢文庫は、北条実時・顕時・貞顕の金沢北条氏三代によって収集された和漢の貴重書を納めた書庫であったが、元弘三年(一三三三)五月、鎌倉幕府滅亡によって主を失い、蔵書は称名寺が管理するところとなった。しかし金沢文庫本の大半は、室町幕府・上杉氏・小田原北条氏・豊臣秀次・徳川家康・加賀前田家など、歴代の権力者によって外へ持ち出されてしまった。
現在の金沢文庫は、称名寺に伝来した美術工芸品・古書・古文書などおよそ二万点を収蔵する博物館として運営さわている。大橋新太郎氏の寄付を受け、神奈川県によって昭和五年に史跡称名寺境内(後方阿弥陀院跡の芝地)に建設され、平成二年に現在地の新館に移転した。
神奈川県立金沢文庫では、国宝「四将像」(金沢北条氏歴代肖像画)・「文選集注」をはじめ、重要文化財「金沢文庫文書」(四、一四九通)・「宋版一切経」(三、四八六帖)・「称名寺聖教」(一三、〇二七点)および絵画・彫刻・工芸品など、鎌倉文化の精華を伝える貴重な文化財を保管し、調査を進めるとともに、展覧会を開催して研究成果を一般に公開している。 |
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名刹 称名寺(金沢文庫) 北條実時公像 |
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名刹 称名寺(金沢文庫) 芝生広場 |
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名刹 称名寺(金沢文庫) 阿字ヶ池、反橋、平橋、金堂 |
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名刹 称名寺(金沢文庫) 二王門 |
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名刹 称名寺(金沢文庫) 桜並木の参道 |
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名刹 称名寺(金沢文庫) 惣門(赤門)
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