|
旧吉原遊廓 五十間通り
吉原大門の標識まで道はS字を描いて曲がっており、五十間通りという。これは日本堤から遊廓が直接見えないようにするためと言われる。 |
|
旧吉原遊廓 五十間通り 吉原交番
吉原大門の標識手前のビルの1階にあり、角で右折して進むと旧吉原遊郭のお歯黒ドブの石垣跡がある。しかし、実際に行ってみると案内板はなく、普通の石の階段にしか見えず、差所に見に行った時は見過ごしている。 |
|
旧吉原遊廓 仲之町通り 吉原大門の標識
都営浅草線の駅名でもある芝増上寺の大門は「だいもん」であるが、吉原大門は「おおもん」である。 |
|
旧吉原遊廓 仲之町通り 旧町名由来 旧浅草新吉原江戸町二丁目
旧浅草新吉原江戸町二丁目
元和三年(一六一七)幕府は日本橋葺屋町東側(現日本橋人形町二丁目付近)に江戸では唯一の遊郭開設を許可した。遊郭は翌年、営業を開始したが葭の茂
るところを埋め立てて造ったことから、はじめのころは、”葭原”と呼ばれた。そして寛永三年(一六二六)に縁起のいい文字にかえて吉原となった。明暦二年(一
六五六)になると町奉行から、吉原を浅草日本堤へ移転するように命じられ、翌三年に移転した。それからこの付近は浅草新吉原と呼ばれるようになった。
日本橋に開設されたころの吉原は江戸町一丁目、二丁目、京町一丁目、二丁目、角町の五力町であった。そのうちの江戸町二丁目は元和四年(一六一八)にできたが、はじめは本柳二丁目と呼ばれていた。その後、江戸が大変繁盛していたことから、これにあやかって江戸町二丁目と改称した。 |
|
旧吉原遊廓 仲之町通り 吉原交番前
ソープ街で知られた吉原ではあるが、さすがに正月休みでソープ店は閑古鳥が鳴くものの営業しているが、酒類が飲める純喫茶店(本来は矛盾しているが、店は飲酒と喫煙を売り物にしている)以外は閉店している。時刻も13時半を過ぎ歩き疲れもあって食事をしたいが見つからない。
破魔矢を差したリュックを背負っているので無視されるが、たまに通る人を見つけると入店をかなりしつこくすすめる客引きもいる。やっと14時前に蜀料理店(四川料理店)を見つけ、担々麺を食べることができた。 |
|
旧吉原遊廓 仲之町通り 千束四丁目交差点
旧町名由来案内 旧浅草新吉原揚屋町
元和三年(一六一七)幕府は日本橋葺屋町東側(現日本橋人形町二丁目付近)に江戸では唯一の遊郭開設を許可した。遊郭は翌年、営業を開始したが葭の茂るところを埋め立てて造ったことから、はじめのころは“葭原”と呼ばれた。そして寛永三年(一六二六)に縁起のいい文字にかえて吉原となった。明暦二年(一六五六)になると町奉行から、吉原を浅草日本堤へ移転するように命じられ、翌三年に移転した。それから、この付近は浅草新吉原と呼ばれるようになった。 日本橋に開設されたころの吉原は江戸町一丁目、二丁目、京町一丁目、二丁目、角町の五カ町であった。揚屋町ができたのは、吉原が新吉原へ移転する際に、それまで各町にあったいくつかの揚屋を一カ所にまとめたときである。 |
|
旧吉原遊廓 仲之町通り 千束保健センター交差点 |
|
旧吉原遊廓 仲之町通り 吉原神社(弁財天)
仲之町通りが左に曲がりかける所に吉原神社がある。
吉原神社(弁財天)はもともと小さな神社で、境内も狭いこともあり立ち入ることはできなかった。 |
|
旧吉原遊廓 仲之町通り 吉原神社(弁財天)
吉原神社は、かつて吉原遊郭にお祀りされていた五つの稲荷神社と遊郭に隣接する吉原弁財天を合祀した神社です。五つの稲荷神社とは玄徳(よしとく)稲荷社、明石(あかし)稲荷社、開運(かいうん)稲荷社、榎本(えのもと)稲荷社、九郎助(くろすけ)稲荷社の五社で、倉稲魂命(うがのみたまのみこと)を御祭神としています。 また吉原弁財天の御祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)で、吉原神社にお祀りされていると共に、現在でも本宮が大切にお祀りされていて信仰が続いています。 |
|
旧吉原遊廓 仲之町通り 台東区立台東病院
仲之町通りが左に曲がった角に台東病院がある。台東区のコミュニティバスである北めぐりんは台東病院に寄った後、せんわ通りを元に戻り、カクヤス前交差点を直進して千束三丁目交差点に向かう。
吉原遊廓の仲之町通りはせんわ通りとなる。 |
|
せんわ通り 台東病院前 花園公園
鷲神社(寿老人)の酉の市に来た時、吉原を散策するため近道の花園公園を通り抜けた。その時はせんわ通りに飲食の屋台が並び、公園で飲み食いする人で賑わっていたが、屋台がないこともあって閑散としている。 |
|
せんわ通り 台東病院前 花園公園 |
|
せんわ通り 台東病院前 花園公園
花園公園の北西角の出口から出て住宅街を鷲神社(寿老人)に向かう。
せんわ通りを少し進むと、関東大震災の慰霊の大観音像や新吉原花園池(弁天池)跡などがある吉原弁財天本宮があるが、鷲神社(寿老人)やかっぱ橋道具街通りにある矢先稲荷神社(福禄寿)に行くことを考えスルーした。 |
|
花園公園から住宅街を遠て鷲神社(寿老人)へ
突き当りを左折する。道幅はどちらも同じようで、酉の市の時は人波に付いていけば良かったが、辺りを通る人もなく地元の人に道を聞いた。 |
|
花園公園から住宅街を遠て鷲神社(寿老人)へ
シャッターの家の横を曲がると鷲神社(寿老人)の参拝者用の駐車場に出る。 |
|
花園公園から住宅街を遠て鷲神社(寿老人)へ
いつもは国際通りの大鳥居からか、長國寺の裏道から鷲神社に入るので駐車場からは初めてである。 |
|
国際通り 鷲神社(寿老人)入口 叉木
鷲神社の叉木は酉の市などイベントの度に華やかな飾り物で有名である。 |
|
国際通り 鷲神社(寿老人)入口 叉木 |
|
国際通り 鷲神社(寿老人) 入場制限が厳しい参道
酉の市には何度も来ており、さして広くない参道一杯に参拝者が寸刻みで本殿に歩いていく。
参道を見て驚いた。朱塗りの柵で参道を仕切り、2列で本殿に向い左側は帰る人のために空けられている。寸刻みどころか全く動かない。礼儀に反するが、左側を歩けば本殿に簡単に辿り着けるが、それまでしても参拝する気になれず、最後の矢先稲荷神社(福禄寿)に向かうことにした。 |