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東京メトロ 南北線 王子駅 
王子駅〜音無親水公園〜飛鳥山公園〜旧古河庭園〜六義園〜駒込駅
【撮影記録】
平成28年 3月 26日 晴れ
10:40〜11:55 5,600歩(概算 3.9km 地図上の距離 3.3km)
靖国神社の標本木で開花が確認されたのが4日前で、その時の天気予報では1週間後には満開だった。寒の戻りで真冬並みの温度が続いたが、ホームページでは5〜6分咲であり、名所巡りの第1回として城北を歩いた。ところが音無親水公園、飛鳥山公園では1分咲も良いほうで、裸木だらけである。入園料もかかる旧古河庭園入口で公園ガイドに聞いたら1分咲だということで入園を断念した。六義園では名物の枝垂れ桜は4〜5分咲だが、普通の桜は1分咲とのことで歩くのを止めた。 |
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JR 王子駅前(東口) バスターミナル 
桜の名所を宣伝する幕も飾られている。昨年(平成27年3月31日)も訪れたが、その時は桜の開花宣言から数日で満開となり、今回も楽しみである。 |
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JR 王子駅(北口) 東西連絡通路 
JR王子駅北口にある東西連絡通路を使って西に進む。
大きなバスターミナルがあり、一見東口に見えるが北口で、明治通りを渡った所の都電荒川線王子駅前駅がホームの中央、南口が飛鳥山公園南端の児童エリア近くと変則的な駅構造である。表示は北口だが、駅構内図では明治通りを渡った向かいが中央口改札口である。 |
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JR 王子駅 親水公園口(西口) 音無親水公園 
王子駅の親水公園口(西口)を出ると、北口とは雰囲気が一変していわゆる飲み屋街となって音無川(石神井川)沿いの親水公園となる。 |
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王子駅 せいぜい1〜2分咲の音無親水公園 
例年なら親水公園口(西口)を出ると満開の桜並木が見られるが、せいぜい1〜2分咲で、嫌な予感がよぎる。並木手前の入口に明らかに桜と違う白い花が満開の木がある。 |
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王子駅 せいぜい1〜2分咲の音無親水公園 
何故か満開の木蓮が入口に1本だけある。普段は満開の桜並木なので樹にしたこともなかった。 |
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王子駅 せいぜい1〜2分咲の音無親水公園 
少し先に進むと1分咲どころか開花もしていない桜並木が続く。 |
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王子駅 せいぜい1〜2分咲の音無親水公園 舟串橋 
王子神社へ向かう階段の向い側にある。 |
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王子駅 せいぜい1〜2分咲の音無親水公園  |
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王子駅 せいぜい1〜2分咲の音無親水公園 案内図 
音無親水公園だけでなく、さらに上流(左側)の石神井川に架かる紅葉橋付近も立派な桜並木である。 |
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王子駅 せいぜい1〜2分咲の音無親水公園 旧岩槻街道の音無橋 
右に王子神社があり、旧岩槻街道を走る音無橋で、かなりの高低差がある。 |
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王子駅 せいぜい1〜2分咲の音無親水公園 
音無親水公園
音無川のこのあたりは、古くから名所として知られていました。江戸時代の天保七年に完成した「江戸名所図会」や、嘉永五年の近吾堂板江戸切絵図、また、安藤広重による錦絵など多くの資料に弁天の池、不動の滝、石堰から落ちる王子の大滝などが見られ、広く親しまれていたことがわかります。 「江戸名所花暦」 「遊歴雑記」などには、一歩ごとにながめがかわり、投網や釣りもできれば泳ぐこともできる、夕焼けがひときわ見事で川の水でたてた茶はおいしいと書かれており、 江戸幕府による地誌、「新編武蔵風土記稿」には、このあたりの高台からの眺めについて、飛鳥山が手にとるように見え、眼の下には音無川が勢いよく流れ、石堰にあたる水の音が響き、 谷間の樹木は見事で、実にすぐれていると記されています。 こうした恵まれた自然条件をいまに再生し、後世に伝えることを願って、昭和六十三年、北区は、この音無親水公園を整備した。 たきらせの 絶えぬ流れの末遠く すむ水きよし 夕日さす影
飛鳥山十二景のうち滝野川夕照より |
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王子駅 音無親水公園 音無橋を過ぎた所で唯一8分咲の桜 
開花前の桜並木ばかりだったので、唯一8分咲の桜が新鮮に見える。 |
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王子駅 音無親水公園 音無橋先で桜並木は終わる 
右側には北区役所の庁舎が並び、左には殺風景な堤防が続く。 |
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王子駅 せいぜい1〜2分咲の音無親水公園 音無橋に戻る 
音無橋と親水公園とはかなりの高低差があり、左にはエレベーターも用意されている。 |
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王子駅 音無親水公園 王子神社への入口の階段 
桜並木の向い側には舟串橋がある。 |
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王子駅 音無親水公園から王子神社へ 
階段を上り切った所の左に名物のイチョウがある。 |
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王子駅 王子神社 イチョウ 
王子神社のイチョウ
音無川(石神井川)左岸崖線の肩の部分に一際高くそびえ立つ大イチョウです。幹囲五・二m、樹幹の先端部は欠損していますが、高さは二四・二mあり、全体的にはほぼ自然樹形を保っています。 王子神社の創初については、飛鳥山公園内にある「飛鳥山碑」(都指定有形文化財・古文書)に書かれています。それによれば、元亨(げんこう)年間(一三三ニー〜二四)に豊島氏がが勧請したことが始まりとされていますので、その頃にこのイチョウが植えられたとすると、六〇〇年近い樹齢と考えられます。 戦災によって王子神社の社殿や太田道灌がが雨宿りをしたという伝説を持つシイの大木など多くのものが失われた中で、このイチョウは生き延び、今も高台から東京の街の移り変わりを静かに見つめています。 |
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王子駅 王子神社 
「王子」の地名の発祥となった古社で、熊野三社権現(本宮・那智・新宮)の王子神を祀る。代々の領主や徳川将軍家の崇敬も篤く、江戸時代には「王子権現」と呼ばれ名所の一つとなった。末社の関神社は全国でも珍しい「髪の祖神」で、髢、鬘、床山業界の信仰を集める。
王子といえば、「王子の狐」が有名で、毎年大晦日に関東各地から狐が集まり、装束の榎と言われる榎の下で装束を改めて参詣したと言われる。この狐が集まる神社は王子神社ではなく、装束稲荷神社で装束を整え、王子稲荷神社に向かう。 |
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王子駅 王子神社 大鳥居 
鳥居の先は、旧岩槻街道である。 |
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王子駅 王子神社 王子神社(由来) 
元亨二年(一三二二)、豊島郡を支配していた豊島氏が、熊野の方向を望む石神井川沿いの高台に、紀川熊野三社 権現から王子大神を勧請し、若一王子宮として祀られるようになりました。これにより、村名が岸村から王子村に改められ、王子という地名の由来となりました。また、石神井川がこの地域ては音無川と呼ばれているのも紀州の地名に擬したとの説があります。 王子神社は、豊島氏に続いて領主となった小田原北条氏 からも寄進をうけ、江戸時代には、徳川家康が社領として 二○○石を寄進しました。これは、王子村の村高の三分の二 にあたります。別当寺は、王子神社に隣接していた禅夷山 金輪寺で、将軍が日光社参や鷹狩の際に休息する御膳所となっていました。将軍家の祈願所として定められた王子神社は将軍家と関係が深く、三代将軍家光は社殿を新造し、林羅山に命じて「若一王子縁起」絵巻三巻を作らせて奉納しました。家光の乳毋である春日局も祈願に訪れ、その後も、五代綱吉、十代家治、十一代家斉が社殿の運営修繕をし、境内には神門、舞殿などをそなえ、摂末社も十七社を数えました。 紀州徳川家の出であった八代吉宗は、紀川ゆかりの王子をたびたび訪れ、飛鳥山に桜を植樹して寄進しました。この後、花見の名所となった飛鳥山や王子神社周辺は、江戸近郊の名所として多くの人が訪れるようになります。特に、七月十三日に行われた王子神社の祭礼は「槍祭」ともよばれ、小さな槍を買い求める人や田楽躍を見物する多くの人でにぎわったことが見物記などからうかがえます。 明治時代にはいると明治元年(一八六八)、准勅祭社となり、東京十社に選ばれ東京北方の守護とされました。 戦前の境内は「太田道灌雨宿りの椎」と呼ばれた神木を はじめ、多くの樹木が茂っていましたが、戦災で焼失したため、境内に現存する東京都指定天然記念物の大イチョウは、戦災を逃れた責重な文化財です。戦後は、氏子一同により権現造の社殿が再建され、児在の景観に至っています。
末社関神社 蝉丸法師を祭神とし、理容業者により信仰されている全国でも珍しい「髪」の祖神です。 |
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王子駅 王子神社 大鳥居を出て左折、旧岩槻街道へ  |