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新目白通り 高戸橋交差点を渡りすぐ左折、都電線路沿いに北上 |
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都電線路沿いに北上 突き当りで右折 |
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神田川沿いに東進 高戸橋 神田川散策案内図
左の淀橋から小滝橋を経て、高戸橋、面影橋を経て豊橋に至る神田川沿いの案内図である。桜並木としてはさらに江戸川公園を経て江戸川橋まであるが、豊島区なので新宿区の案内板には掲載されていない。 |
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神田川沿いに東進 満開の桜並木
高戸橋までの雰囲気とは全く違い、満開の立派な桜の老木が続く。神田川沿いの柵と建物との間も狭く、花見客専用の遊歩道である。 |
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神田川沿いに東進 満開の桜並木 |
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神田川沿いに東進 曙橋(上流側)
上流側の風景で広い川幅を両岸の桜が覆い尽くす。 |
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神田川沿いに東進 曙橋(下流側)
下流側と上流側とでは風景も異なる。 |
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神田川沿いに東進 満開の桜並木
新目白通り沿いを歩く。先に都電荒川線の面影橋駅が見える。 |
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神田川沿いに東進 面影橋
面影橋の北詰のオリジン電気会社の門脇には太田道灌の蓑借用の故事に因む「山吹の里」の碑があり、そのまま北上すると江戸五色不動の目白不動尊(金乗院),、目白通りの高田一丁目交差点を過ぎ、雑司ヶ谷鬼子母神に出る。 |
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神田川沿いに東進 面影橋(下流側)
面影橋の由来
目白台から続く鎌倉街道と推定される古い街道沿いにあり、姿見の橋ともいわれていました。 橋名の由来には諸説あり、高名な歌人である在原業平が鏡のような水面に姿を映したためという説、鷹狩の鷹をこのあたりで見つけた将軍家光が名付けたという説、近くにいた和田靭負(ゆきえ)の娘であった於戸姫(おとひめ)が、数々の起こった悲劇を嘆き、水面に身を投げた時にうたった和歌から名付けられたという説などが知られています。 なお、姿見の橋は面影橋(俤橋)の北側にあるもので、別の橋だという説もあります。 |
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神田川沿いに東進 早稲田さくら祭り名物 川柳
面影橋を過ぎると早稲田さくら祭り名物の川柳が続く。主催者とか、投稿者、選考基準などは分からないが、見ていて面白い。
柳より
桜が似合うと
町を上げ |
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神田川沿いに東進 早稲田さくら祭り名物 川柳
母校なら
下駄を履かせろ
子供らに
これは解説が必要で、かつて早稲田のシンボルだった「フクちゃん」は着物に下駄、座布団帽と称される早稲田大学帽という容姿だった。 |
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神田川沿いに東進 早稲田さくら祭り名物 川柳
バリ封で
授業ないのに
金をとる
これも解説が必要で、70年安保でバリゲート封鎖(バリ封)されているのに授業料(金)を取る、という意味で投稿者の年齢が想像できる。 |
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神田川沿いに東進 三島橋 |
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神田川と新目白通りの間の遊歩道を東進 |
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神田川と新目白通りの間の遊歩道を東進 早稲田さくら祭り名物 川柳
秋稲穂
春は桜の
早稲田なり |
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神田川と新目白通りの間の遊歩道を東進 早稲田さくら祭り名物 川柳
この町は
三田かと思えば
早稲田町
意味不明である。 |
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神田川沿いに東進 中之橋
ここで遊歩道は工事のため閉鎖される。 |
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神田川沿いに東進 中之橋 西早稲田シティタワー
西早稲田シティタワーの左で工事が行われており、桜並木の遊歩道が途切れる。そのため、西早稲田シティタワーの入口左から神田川に向かう。 |
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神田川沿いに東進 中之橋 西早稲田シティタワー裏の遊歩道
立派な遊歩道であり歩こうかと思ったが、早稲田大学に寄るため断念し新目白通りに戻った。 |
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新目白通りを東進
早稲田駅から三ノ輪橋駅に向かう都電荒川線である。 |
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新目白通りを東進
都電荒川線の早稲田駅が見える。 |
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新目白通り 都電荒川線 早稲田駅 |