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団子坂通り 次の交差点で左折、谷中よみせ通りへ
団子坂下交差点の次の無名の交差点で左折する。 |
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谷中よみせ通りを北上 |
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谷中よみせ通り 福丸饅頭(名物10円まんじゅう)
1個10円の小さな饅頭で有名な店である。但し10個単位でしか買えないので、実際は100円饅頭(税別)である。初めての人が色々な種類の饅頭を味見したい、とのことで1個単位で注文し、店員から10個単位と聞かされ不満気な顔をするのをよく見かける。
この一帯は谷中よみせ通り商店街ではあるが、コンビニや魚屋などがある普通の商店街である。 |
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谷中よみせ通り ゲート
よみせ通りはこのゲートから始まると言ってよく、不忍通りの東側に並行する商店街で、その途中に谷中ぎんざの入口があり、北出口は道灌山通りで右折すると西日暮里駅に向かう。
ゲート中央にはよみせ通りの出口近くにある延命地蔵尊が描かれている。 |
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谷中よみせ通り 谷中ぎんざ入口 ゲート
谷中よみせ通りの途中に谷中ぎんざの入口があり、春や秋にはガイドマップを片手に中年女性のグループで溢れ返る。 |
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谷中よみせ通り 谷中ぎんざを東進
面倒なので場所を選んで撮影しているが、根津神社のつつじ祭りの帰りと一見して分かる中高年グループが屯している。 |
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谷中よみせ通り 谷中ぎんざを東進 |
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谷中よみせ通り 谷中ぎんざを東進
谷中ぎんざの出口にもゲートがあり、その先に夕やけだんだんが見える。 |
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谷中ぎんざ 夕やけだんだん
日暮里は江戸時代に「ひぐらしの里」と呼ばれるほど夕焼けの美しい所で、「夕やけだんだん」は一般公募で名付けられた。谷中ぎんざ商店街を舞台としたNHKの連続テレビ小説「ひまわり」で有名になった。 |
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谷中ぎんざ 夕やけだんだん
夕やけだんだんを上った所に桜の老木があり、地域の名物となっていたが、倒壊の危険があり、4年前(平成23年)に桜が散った後に切り倒された。 |
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夕やけだんだん坂上 御殿坂 経王寺 |
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夕やけだんだん坂上 御殿坂 経王寺 |
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夕やけだんだん坂上 御殿坂 経王寺
経王寺は日蓮宗の寺院で山号を大黒山と称す。 明暦元年(一六五五)、当地の豪農冠勝平(新堀村の名主冠権四郎家の祖)が要詮院日慶のために寺地を寄進し、堂宇を建立したことに始まるという。本堂の隣の大黒堂には日蓮上人の作と伝えられる大黒天が鎮守として祀られており、地域の人々の崇敬を広くあつめている。 慶応四年(一八六八)の上野戦争のとき敗走した彰義隊士をかくまったため、新政府軍の攻撃をうけることとなり、山門には今も銃弾の痕が残っている。 |
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夕やけだんだん坂上 御殿坂 経王寺 山門に残る上野戦争時の弾痕
大人の親指ほどの大きな穴である。 |
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夕やけだんだん坂上 御殿坂 経王寺 |
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御殿坂 月見寺(本行寺)
夕やけだんだんから更に東進すると桜並木の御殿坂となり、坂を下った所に日暮里駅がある。 |
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御殿坂 月見寺(本行寺)
本行寺は、大永六年(一五二六)江戸城内平河口に建立され、江戸時代に神田・谷中を経て、宝永六年(一七〇九)、現在地に移転した。景勝の地であったことから通称「月見寺」ともよばれていた。二十世の日恒上人(俳号一瓢)は多くの俳人と交遊があり、小林一茶がしばしば当寺を訪れ、「青い田の露をさかなやひとり酒」などの句を詠んでいる。 |
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御殿坂 月見寺(本行寺) |
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桜並木の御殿坂を下る
御殿坂
西日暮里三丁目と台東区谷中七丁目の境を七面坂上から日暮里駅方面へ下る坂。江戸時代から用いられていた呼称である。
当時の絵図などから、天王寺(現谷中墓地)の下を通り芋坂下に続いていたことがうかがえる。
天保九年(一八三八)刊の妙めを奇談』は、寛永(一六二四〜四四)の頃、白山御殿(将軍綱吉の御殿)や小菅御殿(将軍御膳所)と同様の御殿がこのあたりにあったことにより付いたというが、坂名の由来は明確ではない。 |
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御殿坂 月見寺(本行寺) |
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御殿坂 JR 日暮里駅 旧駅舎西口
日暮里駅は大改造され、趣は一変している。 |