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皇居外苑 二重橋前広場
砂利が敷かれた広々とした広場で、皇居外苑を北上する。 |
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皇居外苑 二重橋前広場から見た丸の内オフィス街
中央やや左の赤茶色の低層ビルは、日比谷通りと行幸通りが交差する和田倉門交差点にある東京海上日動ビルである。その後ろに東京駅前の新丸ビル、その右に丸ビルがある。 |
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皇居外苑 二重橋濠 坂下門
写真右奥に坂下門がある。皇居前広場と坂下門とを結ぶ土橋の左側は二重橋濠で、右側は蛤濠である。 |
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皇居外苑 蛤濠 坂下門、宮内庁 |
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皇居外苑 蛤濠 内桜田門(桔梗門)
警視庁がある桜田門は外桜田門である。 |
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皇居外苑 和田倉噴水公園前交差点で左折、内堀通りへ
内堀通りの名前のない交差点でいちょう並木で有名な行幸通りが始まる。写真には写っていないが、左には和田倉門噴水公園がある。 |
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内堀通り 桔梗濠 大手門前の修復工事を終えた石垣
ほぼ3年前の東日本大震災直後に歩いた時、大規模な石垣工事が行われていた。修復部分の石垣は色が違うのですぐ分かる。当時震災で崩落したにしては大規模と思い、被災した大手門で警官に聞いたら無関係とのことだった。 |
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内堀通り 大手門交差点 パレスホテル東京
平成21年1月末で閉鎖され、平成24年5月にパレスホテルからパレスホテル東京と改名してオープンした。以前は10階建てで周囲に比べその低さが目立ったが、今はこれがあのパレスホテルか、と思うほどモダンな構造になっている。 |
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内堀通り 大手門交差点 パレスビル
交差点右側のビルはオフィスビルのパレスビルで、パレスホテル東京の改築に合わせて一変した。 |
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内堀通り 大手門
大手門は正門であるが、田安門や桜田門などの有名な門と違ってこじんまりとした目立たない門である。しかし、ここから東御苑に入るとさすがは正門、ということがよく分かる。 |
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内堀通り 大手門 東御苑 大手門入口
残念ながら毎週月、金は休園日で、東御苑に入ることはできなかった。 |
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内堀通り 大手濠 丸紅東京本社ビル、竹橋合同ビル
左の白いビルが丸紅東京本社ビル、右が竹橋合同ビルである。 |
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内堀通り 気象庁前交差点で左折
左が竹橋合同ビル、右が気象庁である。直進すると千代田通りで、駿河台下交差点で靖国通りを渡ると明大通りになる。 |
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内堀通り 気象庁前交差点 和気清麻呂像
今はほとんど話題にもならないが、弓削道鏡による皇位簒奪未遂事件を阻止した大忠臣である和気清麻呂の巨像である。
いつもは台座に皇居一周のジョギングをする人の荷物が散乱して見苦しいが、周囲の芝生や木立整備工事が行われており、すっきりしている。 |
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内堀通り 気象庁前交差点 和気清麻呂像
像の後ろの銘板には、
紀元二千六百年記念
建設委員長
陸軍大将
従二位 勲一等 功四級
林銑十郎
寄贈者 石川博資
紀元二千六百年記念の像などはこれ以外にも多く見られる。戦前の雰囲気がよく分かる。 |
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内堀通り 気象庁前交差点 和気清麻呂像前 震災いちょう
冬枯しているが、秋には見事な黄葉となる。
この木は、震災いちょうと呼ばれています。樹齢一五〇年を超えると思われるこのイチョウは、かつて文部省の跡地である一ツ橋一丁目一番一帯(現在のパレスサイドビル・住友商事竹橋ビル・一橋総合ビルー帯)にありました。大正十二年(一九二三)九月の関東大震災によって一面焼け野原となった都心にあって奇跡的に生き残り、このイチョウは当時の人々に復興への希望を与えました。その後、復輿事業に伴う区画整理によって切り倒されることになった際、当時の中央気象台長岡田武松氏がこれを惜しみ、なんとか後世に残したいと思い帝都復興局長官清野長太郎氏に申し入れたところ、長官もその意義を理解しこの地に移植されたという由緒をもっています。
以下岡田武松、清野長太郎の略歴があるが省略。 |
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内堀通り 気象庁前交差点 和気清麻呂像前 震災いちょう |
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内堀通り 大手濠 平川橋、パレスサイドビル(毎日新聞本社)
大手濠の先に見える円筒が付いたパレスサイドビルは竹橋交差点にあり、毎日新聞本社などが入っている。手前の橋は平川橋で左に平川門がある。 |
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内堀通り 平川門交差点で直進
右折すると白山通りで、都営三田線はこの地下を走って神保町に向かう。交差点のビルはパレスサイドビルである。 |
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内堀通り 平川門 東御苑 平川門入口
大手門入口同様、休園日なので閉鎖されている。 |
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内堀通り 竹橋交差点で左折、代官町通りへ
右折すると清水門を経て九段下交差点に向い、地下を東西線が走る。 |