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小石川後楽園 梅林の案内に従い進む |
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小石川後楽園 鳴門
大泉水からの引き込みのための水門のように見えるが、なぜ「鳴門」なのかの説明はなく、調べたが分からなかった。
大泉水に岩がいくつか見えるが、案内図によれば竹生島とのことである。 |
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小石川後楽園 大泉水
小石川後楽園の東沿いに歩く。 |
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小石川後楽園 えい鷂碑
えい鷂碑
七代治紀は将軍家から賜った鷹を大切にしていた。鷹は治紀が没した四年後に亡くなったため、八代斉脩がこれを哀しみ碑を建てたものである。
「えい」は病だれの字であるが、パソコンでは表示できない。 |
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小石川後楽園 えい鷂碑 |
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小石川後楽園 大泉水、蓬莱島 |
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小石川後楽園 松原 鉢植えの花 販売店
普段はないので、梅まつり期間の臨時店舗と思われる。 |
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小石川後楽園 松原 水戸名産品 販売店
「水戸の梅」、「のし梅」などのお菓子や、藁巻納豆など水戸の名産品が売られている。 |
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小石川後楽園 松原
松原
往時は松うっそうとして空もみえざりしと伝えられる。
光圀最も珍重せる所にして将軍来園の際にも「これ天下の威光をもっても能はず」と感賞せられたる由なり。 |
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小石川後楽園 松原
「往時は松うっそうとして」いたらしいが、今は何も無い広場である。 |
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小石川後楽園 松原 九八屋
江戸時代の風流な酒亭の様子を現した。この名の由来は「酒を飲むに昼は九分夜は八分にすべし」と酒飲みならず万事控えるを良しとする、との教訓による。戦災により焼失したが昭和三十四年に復元した。 |
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小石川後楽園 松原 九八屋 |
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小石川後楽園 咲きが期待はずれの梅林
パンフレットには梅林について次のように書かれている。
光圀は号を「梅里」と称するほど梅を好みました。2月上旬には紅梅、白梅など20種類ほどの梅が咲きます。
確かに咲いて入るが、これが「咲いている」と言えるか疑問である。 |
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小石川後楽園 田端 |
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小石川後楽園 田端
田端
二代光圀が嗣子綱條の夫人に農民の苦労を教えようと作った田圃で、現在は毎年文京区内の小学生が五月に田植え、九月に稲刈りを行っている。 |
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小石川後楽園 不老水
不老水
この井戸がいかなる旱魃にも水が枯れず、またいかなる洪水にもあふれ出すことがなかったことから不老水と呼ばれる。 |
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小石川後楽園 不老水 |
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小石川後楽園 三分咲の梅林
梅林に入った所ではかろうじて三分咲である。 |
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小石川後楽園 三分咲の梅林 |
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小石川後楽園 三分咲の梅林 |
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小石川後楽園 咲きが期待はずれの梅林
梅林を少し北に進むと咲き始め状態になる。すでに2月も末というのにである。 |
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小石川後楽園 咲きが期待はずれの梅林 |
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小石川後楽園 藤田東湖護母致命之記念碑
東北の角にひっそりとある。
藩邸跡である東京都文京区後楽には「藤田東湖護母致命の処」と記された案内板がある。藩邸跡に建立されていた記念碑は道路拡張の際に小石川後楽園へと移されている。 |
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小石川後楽園 咲きが期待はずれの梅林
10日前に訪れた向島百花園は五分咲だったので、小石川後楽園はもっと咲いているだろう、との期待は見事に裏切られた。 |
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小石川後楽園 咲きが期待はずれの梅林 |