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穴八幡宮H281105

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早稲田通り 馬場下町交差点 穴八幡宮 朱塗りの大鳥居 早稲田通り 馬場下町交差点 穴八幡宮 朱塗りの大鳥居 

交差点の左角に大きな朱塗りの鳥居があり、その奥に参道の階段がある。

穴八幡宮神社は、 源義家が奥州征伐の帰りに、この地に兜と太刀を奉納したのが始まりと伝えられる。江戸時代、 敷地内に不思議な穴が見つかり、金属製の阿弥陀像が出土したことから、穴八幡宮というようになった。一般には穴八幡と呼ぶ。
早稲田通り 馬場下町交差点 穴八幡宮 高田馬場の流鏑馬 早稲田通り 馬場下町交差点 穴八幡宮 高田馬場の流鏑馬 

 享保十三年(一七二八)徳川将軍吉宗が世嗣の疱瘡平癒祈願のため、穴八幡神社へ奉納した流鏑馬を起源とし、以来将軍家の厄除けや若君誕生の祝いに高田馬場で流鏑馬が奉納された。
 明治維新以降中断し、昭和九年に皇太子(現天皇)誕生祝いのため再興され、数回行われだが、戦争のため中断された。昭和三十九年流鏑馬の古式を保存するため、水稲荷神社境内で復活し、昭和五十四年からは都立戸山公園内に会場を移し、毎年十月十日高田馬場流鏑馬保存会により公開されている。
 古式豊かで勇壮な高田馬場の流鏑馬は、小笠原流によって現在に伝えられており、貴重な伝統行事である。
早稲田通り 馬場下町交差点 穴八幡宮 早稲田通り 馬場下町交差点 穴八幡宮 
早稲田通り 馬場下町交差点 穴八幡宮 早稲田通り 馬場下町交差点 穴八幡宮 
早稲田通り 馬場下町交差点 穴八幡宮 御由緒 早稲田通り 馬場下町交差点 穴八幡宮 御由緒  
早稲田通り 馬場下町交差点 穴八幡宮 御由緒 早稲田通り 馬場下町交差点 穴八幡宮 御由緒  

《御祭神》 應神天皇・仲哀天皇・神功皇后
《御由緒》
 康平五年(一〇六二)奥州の乱を鎮圧した源義家(八幡太郎)が凱旋の折り、日本武尊命の先蹤にならってこの地に兜と太刀を納めて氏神八幡宮を勧請し、永く東北鎮護の社として祀られました、
 寛永十八年(一六四一)宮守の庵を造るために南側の山裾を切り開いたところ神穴が出現し、この時期から穴八幡宮と唱えられるようになりました、同年この地に居住していた幕府の祐筆大橋龍慶が方百間の地を献じ、社殿を壮大に造営しました。この頃神木の松から瑞光を放ち、色々奇瑞のあったことが、三代家光将軍の上聞に達し、当社を江戸城北の総鎮護として総営繕を命ぜられました。
 慶安元年(一六四八)社殿再興の折りに幕府から氏子として牛込郷三十六ヶ町が定められ、翌年の慶安二年(一六四九)社殿を始め数々の殿舎が竣工し、八千八百余坪の境内地に壮麗な建物が櫛比して将軍家祈顧所としての規模も整い、以後江戸屈指の大社として重んぜられました。その後も幕府により数次にわたって造営・営繕が行われましたが、特に元禄十六年(一七〇三)の造営は、江戸権現造り社殿として壮麗を極めました。
 安政元年(一八五四)青山火事のため類焼し、幕府より造営料などが奉納されましたが、幕末の多事と物価高騰のため仮社殿のまま明治維新を迎えました。その後、昭和初年に旧時の盛観に復しましたが、今次大戦により社殿はことごとく罹災しました。しかし戦後はいち早く仮社殿により再興し、その後崇敬者の御芳志等により平成元年から慶安・元禄の江戸権現造りの当社設計絵図を基に御本殿御社殿の造営をはじめ、平成十年の随神門竣工をもちまして往時を偲ぶ姿に復し、引き続きその他の再建、また境内地の整備に着手し今日に至ってています。
早稲田通り 馬場下町交差点 穴八幡宮 早稲田通り 馬場下町交差点 穴八幡宮 
早稲田通り 馬場下町交差点 穴八幡宮 随神門 早稲田通り 馬場下町交差点 穴八幡宮 随神門 

馬場下町交差点の朱塗りの大鳥居では村社で小社と見えるが、丘の上に上ると意外に広い境内である。
早稲田通り 馬場下町交差点 穴八幡宮 随神門 早稲田通り 馬場下町交差点 穴八幡宮 随神門 
早稲田通り 馬場下町交差点 穴八幡宮 随神門 早稲田通り 馬場下町交差点 穴八幡宮 随神門 

随神門の裏には神馬が飾られている。
早稲田通り 馬場下町交差点 穴八幡宮 境内 鼓楼 早稲田通り 馬場下町交差点 穴八幡宮 境内 鼓楼 

広々とした境内の左に4年前にはなかった鼓楼があり、調べたら昨年(平成27年)に造営された。
 早稲田通り 馬場下町交差点 穴八幡宮 境内 神武天皇遙拝所 早稲田通り 馬場下町交差点 穴八幡宮 境内 神武天皇遙拝所 
 早稲田通り 馬場下町交差点 穴八幡宮 境内 神武天皇遙拝所 早稲田通り 馬場下町交差点 穴八幡宮 境内 神武天皇遙拝所 

由緒などの案内はない。
早稲田通り 馬場下町交差点 穴八幡宮 境内 早稲田通り 馬場下町交差点 穴八幡宮 境内 
 早稲田通り 馬場下町交差点 穴八幡宮 境内 布袋像の水鉢 早稲田通り 馬場下町交差点 穴八幡宮 境内 布袋像の水鉢 
 早稲田通り 馬場下町交差点 穴八幡宮 境内 布袋像の水鉢 早稲田通り 馬場下町交差点 穴八幡宮 境内 布袋像の水鉢 

 慶安二年(一六四九)の紀年銘がある水鉢で、同年将軍家光が江戸城吹上御苑にあったものを穴八幡神社へ奉納したと伝えられている。
 布袋像は、左足を立てて水鉢を脇にかかえ、容姿は中国近世の弥勒像に類似し、作柄も優れている。
 他に類例のない特異な形をしており、また布袋像の古様を示すものとして貴重である。
 早稲田通り 馬場下町交差点 穴八幡宮 境内 布袋像の水鉢 早稲田通り 馬場下町交差点 穴八幡宮 境内 布袋像の水鉢 
早稲田通り 馬場下町交差点 穴八幡宮 境内 本殿 早稲田通り 馬場下町交差点 穴八幡宮 境内 本殿 
早稲田通り 馬場下町交差点 穴八幡宮 境内 本殿 早稲田通り 馬場下町交差点 穴八幡宮 境内 本殿 
早稲田通り 馬場下町交差点 穴八幡宮 境内 新宿区 保護司顕彰碑 早稲田通り 馬場下町交差点 穴八幡宮 境内 新宿区 保護司顕彰碑 
早稲田通り 馬場下町交差点 穴八幡宮 境内 新宿区 保護司顕彰碑 早稲田通り 馬場下町交差点 穴八幡宮 境内 新宿区 保護司顕彰碑 
早稲田通り 馬場下町交差点 穴八幡宮 境内 新宿区 保護司顕彰碑脇階段から放生寺への階段 早稲田通り 馬場下町交差点 穴八幡宮 境内 新宿区 保護司顕彰碑脇階段から放生寺への階段 

放生寺は穴八幡宮の別当寺で、早稲田大学の文学部キャンパス正門前から入ることが出来る。
 早稲田通り 馬場下町交差点 穴八幡宮 朱塗りの大鳥居 早稲田通り 馬場下町交差点 穴八幡宮 朱塗りの大鳥居 
早稲田通り 馬場下町交差点 穴八幡宮 高田馬場の流鏑馬 早稲田通り 馬場下町交差点 穴八幡宮 高田馬場の流鏑馬 

朱塗りの大鳥居の高い石垣の上にあり、馬場下町交差点から来ると意識的に見上げないと見落とす。
早稲田通り 馬場下町交差点 大隈侯御用達の蕎麦屋 三朝庵 早稲田通り 馬場下町交差点 大隈侯御用達の蕎麦屋 三朝庵 

早稲田には三朝庵を始め、金城庵高田牧舎など伝統ある店が多い。

当初計画では早稲田通りを東進して地下鉄早稲田駅前交差点にある夏目漱石の父親由来の夏目坂、夏目漱石誕生之地碑に寄ってからこの交差点に戻るつもりだった。しかし、大学に向かう学生で歩道は一杯であり断念した。



 
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