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二本榎通り 味の素 食とくらしの小さな博物館 |
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二本榎通り 味の素 食とくらしの小さな博物館
「味の素」グループの100年にわたる歴史を、その時々の食卓風景や世相とともに展示。食品・アミノ酸事業を中心に、最先端の研究開発、安全安心への取り組みなどを紹介している。入館無料。 |
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二本榎通り(メリーロード高輪)
高輪町栄会が商店街の発展を期し、高輪消防署二本榎出張所の前後の二本榎通りをメリーロード高輪として整備した。 |
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二本榎通り(メリーロード高輪) 高野山東京別院 |
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二本榎通り(メリーロード高輪) 高輪警察署前交差点 高輪消防署二本榎出張所
高輪消防署二本榎出張所の反対側に二本榎の碑がある。
その昔、江戸時代に東海道を日本橋からきて品川宿の手前、右側の小高い丘陵地帯を「高縄手」と呼んでいましたが、そこにある寺に大木の榎が二本あって、旅人のよき目標になっていたそうです。
誰いうとなくこの榎を「二本榎」と呼ぶようになりました。それがそのまま「二本榎」(にほんえのき)という地名になって続き、榎が枯れた後でも地名だけは残りました。 |
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二本榎通り(メリーロード高輪) 東海大学 高輪キャンパス |
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二本榎通り(メリーロード高輪) 赤穂義士 大石良雄等自刃ノ跡(細川藩 下屋敷)
都営アパートの奥に大石内蔵助が自刃した細川藩下屋敷の遺構がある。参加者2,000人以上のイベントでは見学時に迷惑がかかるため、コース図には描かれていない。図の上の2号館斜め右に遺構がある。現在地は斜め中央下の赤字である。 |
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二本榎通り(メリーロード高輪) 赤穂義士 大石良雄等自刃ノ跡(細川藩 下屋敷)
都営高輪アパートの奥にあるが、これが「都営」と思うほどややけばけばしい色彩のアパート群である。
摩滅した「大石良雄等自刃ノ跡」の碑がなければ見落とすし、自刃跡地も一番奥なので分り難い。
この地については、細川藩中屋敷とする資料もある。「大石良雄外十六人忠烈の跡」碑によれば、下屋敷とあり、ここでは後者を採った。 |
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二本榎通り(メリーロード高輪) 旧高松宮邸(高輪皇族邸)
伊皿子交差点手前にあり、有栖川宮家を継いだ高松宮家も廃絶となり、現在は無住の高輪皇族邸となっている。 |
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二本榎通り(メリーロード高輪) 伊皿子交差点で右折、伊皿子坂へ
直進すると聖坂を経て慶応大学正門近くに出る。左折して魚藍坂を下ると、桜田通り(国道1号)沿いにある赤穂義士の切腹を提言した荻生徂徠の墓がある長松寺がある。右折すると伊皿子坂を下り、泉岳寺に至る。 |
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伊皿子坂を下る
写真の突き当りでほぼ直角に右折し、更に突き当りで右折すると泉岳寺である。 |
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伊皿子坂を下る
明国人伊皿子(いんぺいす)が住んでいたと伝えるが、ほかに大仏(おさらぎ)のなまりとも「いいさらぶ(意味不明)」の変化ともいう。 |
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伊皿子坂を下る |
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泉岳寺 中門
普段の泉岳寺はイベントがあってもさして混んでもいないが、12月14日の義士祭では140mほど東の都営浅草線泉岳寺駅からものすごい人混みで、特に義士墓所では一寸刻みである。 |
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泉岳寺 山門
山門の右後ろの建物は、大石内蔵助が自刃した細川藩邸跡がある都営アパートの前に建つ東海大学付属中高校である。伊皿子坂を大分下ってきたが、その高さが良く分る。 |
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泉岳寺 本堂
赤穂藩主・浅野氏の菩提所で、浅野内匠頭の墓所と赤穂浪士が葬られている四十七士墓所、赤穂義士記念館等がある。毎年12月14日と4月17日には義士祭が催される。 |
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泉岳寺 赤穂義士墓所参道
昔はこのような参道はなかったが、墓所の前に門があり、入ってすぐ右に浅野内匠頭長矩夫妻の墓、奥正面に主君より立派な大石内蔵助の墓がある。 |
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伊皿子坂 泉岳寺交差点で右折、第一京浜へ
第一京浜の左向かい側に、旧東海道高輪大木戸遺構のこんもりした塚が見える。 |
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第一京浜 高輪二丁目交差点
右折し桂坂を上ると、メリーロード高輪の高輪消防署二本榎出張所がある高輪警察署前交番前交差点に出る。
向かい側に品川駅港南口再開発で出来た高層オフィスビル群が聳え立つ。 |
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第一京浜 高輪歩道橋
この歩道橋の手前を右折し、高輪公園を経て進むと、幕末にイギリス公使館が置かれ、水戸藩の攘夷派浪士などによる焼打ち事件があった東禅寺がある。
ここも住宅街の奥にあり、コース図には書かれていない。 |
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第一京浜 品川駅前 ホテル パシフィック東京 |
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第一京浜 品川駅前の歩道橋でざくろ坂を渡る
ざくろ坂を上ると、往路のユニセフハウスに至る。 |
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第一京浜 品川駅 高輪口
品川駅東側の港南口再開発で出来た高層オフィスビル群が聳え立つ。高輪口は大型のホテルが建ち並ぶ。 |