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巣鴨駅〜とげ抜き地蔵〜巣鴨庚申塚

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【撮影記録】
平成22年 11月 27日 晴れ 
09:30〜12:20(昼食15分) 16,500歩(概算 11.6km)

巣鴨から池袋、目白と行けばさして距離はないが、池袋村の鎮守の氷川神社に行くため、ひたすら歩かされた、という感じである。14℃前後とこの時期では暑く、汗だくになった。都電荒川線東池袋四丁目駅手前の大勝軒本店で創業者が入口に座り、あたかも道頓堀のくいだおれ太郎のようだった。
白山通り JR 巣鴨駅 白山通り JR 巣鴨駅 

白山通りを北上し、巣鴨のとげ抜き地蔵に向かう。
白山通り 江戸六地蔵 真性寺 白山通り 江戸六地蔵 真性寺 

地蔵通りのすぐ手前で、左手にある。

真性寺由緒沿革

 当寺は、医玉山東光院真性寺と称し、真言宗豊山派に属し、奈良県桜井市初瀬にある総本山長谷寺の末寺てあります。
 当寺の開基は、聖武天皇勅願行基菩薩開基と伝えられています。中興開基は元和元年(西暦1615年)祐遍法印であります。御本尊は薬師如来でありまして、古来より秘仏として一切開扉されて来ておりません。当寺は江戸時代より弘法大師御府内八十八ヶ所第三十三番札所・江戸六地蔵参り第3番となっています。
 巣鴨は中山道の江戸への入り口に当り、八代将軍徳川吉宗公が度々狩りに来られ、当寺が御膳所とされていました。
白山通り 江戸六地蔵 真性寺 白山通り 江戸六地蔵 真性寺 

像の高さは二.二.六八八メートル。深川の地蔵坊正元が発願し、江戸市中から多くの賛同者を得て、江戸六地蔵第四番(巡拝の順番は三番目)として、正徳四年(一七一四)ごろ建立したものである。
製作者は神田鍋町の鋳物師太田駿河守正儀。大正一二年(一九二三)の震災により破損したが修理されている。

なお、江戸六地蔵は次のとおりである。
  品川寺  品川区南品川三丁目
  東禅寺  台東区東浅草二丁目
  太宗寺  新宿区新宿二丁目
  真性寺  豊島区巣鴨三丁目
  霊巌寺  江東区白河一丁目
  永代寺  江東区(消滅)・・・深川不動尊に遺構あり
巣鴨地蔵通り(旧中山道) 巣鴨地蔵通り(旧中山道) 

いわゆる「おばあちゃんの原宿」で、まだ9時半と早いためそれほどではないが、昼過ぎには多くのグループで賑わう。
巣鴨地蔵通り(旧中山道) 巣鴨地蔵通り(旧中山道) 
巣鴨地蔵通り(旧中山道)巣鴨とげ抜き地蔵(高岩寺) 山門 巣鴨地蔵通り(旧中山道) 巣鴨とげ抜き地蔵(高岩寺) 山門 

 萬頂山高岩寺という曹洞宗の寺。慶長元年(1596)に湯島に開かれ、下谷屏風坂を経て明治24年、区画整理のため現在地に移転した。本尊の延命地蔵尊は「とげぬき地蔵」として親しまれ、また境内の「洗い観音」は病気や痛いところを洗うと治ると言われ信仰を集めている。毎月4の付く日に縁日が立ち、たくさんの人で賑わう。
巣鴨とげ抜き地蔵(高岩寺) 洗い観音 巣鴨とげ抜き地蔵(高岩寺) 洗い観音 
巣鴨地蔵通り(旧中山道) 名物「赤婆パンツ」 巣鴨地蔵通り(旧中山道) 名物「赤婆パンツ」 

けばけばしい真っ赤なパンツや、肌着、靴下であるが、何故か店は賑わっている。
巣鴨地蔵通り(旧中山道)を北上 巣鴨地蔵通り(旧中山道)を北上 
巣鴨地蔵通り(旧中山道) 庚申塚出口 巣鴨地蔵通り(旧中山道) 庚申塚出口 

門を出て右手の折戸通り側に庚申塚がある。
巣鴨地蔵通り(旧中山道) 庚申塚交差点で右折、折戸通りへ 巣鴨地蔵通り(旧中山道) 庚申塚交差点で右折、折戸通りへ 
折戸通り 庚申塚交差点 巣鴨庚申塚 折戸通り 庚申塚交差点 巣鴨庚申塚 

庚申信仰は、中国の道教の三尸(さんし)説による。庚申の日の夜に三尸と言う虫が体から抜け出し、点綴に罪状報告をする、と言われている。そのため、この晩は寝ずに過ごし、寿命の縮むのを防いだ。

江戸時代に書かれた紀行文の「遊歴雑記」に当庚申塚を次のように書いている。「武州豊島郡巣鴨庚申塚は江戸より板橋の駅に入る立場なりよしず囲いの茶店巣鴨 とげ抜き地蔵通りり団子茶屋と称す。石碑を見るに明暦三年と彫られ、又、古老からの聞き書きとして文亀二年(一五〇二年)に塔を建立高さ八尺なり然るに明暦三年正月世にいう振袖火事の大火おこり江戸市中九分通りを焼き払う。復興資材をひさぐものひきもきらず、たまたま当庚申塔に立懸けたる竹木倒れ石碑四つ五つに砕けたり。故に村中相議し丈を縮めてめて今の塔を再建し、文亀二年の碑を塚の下に埋めたりと言い伝えを物語る。



 
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