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京葉道路 緑三丁目交差点で左折、三ツ目通りへ
竪川に架かる五つの橋に因む5本の道の3本目である。
一ツ目通りは両国橋手前の細道で言われなければ分からず、三ツ目通りはありきたりの道である。ちなみに二ツ目通りは清澄通り、四ツ目通りは東陽町から錦糸町を通り、押上までの幹線道路、五ツ目通りは明治通りである。 |
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三ツ目通り 間垣部屋
総武線の高架をくぐってすぐにあり、北の湖部屋同様、屋上から干されている黒いけいこまわしがなければ普通のマンションにしか見えない。 |
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三ツ目通り 亀沢四丁目交差点で左折、北斎通りへ |
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北斎通りを西進
江戸東京博前交差点の手前に葛飾北斎生誕の地碑がある。街灯が和風の行燈風で、それぞれに北斎の代表的な版画が街歩き「北斎ギャラリー」として飾られている。
写真は富嶽三十六景の相州箱根湖水である。 |
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北斎通り 野見宿禰神社
亀沢二丁目交差点の次の交差点にあり、交差点名はない。 |
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北斎通り 野見宿禰神社
普段は閉鎖されており、入ることはできない。 |
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北斎通り 野見宿禰神社
かつてこの東側に相撲の高砂部屋がありました。明治十八年(一八八五)に親方の高砂浦五郎が、津軽家上屋敷の跡地であったこの地に、相撲の神様として知られる野見宿禰を祀ったのが、この神社の始まりです。
石垣の石柱には、力士や相撲関係者の名前が刻まれており、本場所前には必ず、相撲協会の神事が行われます。
境内には、昭和二十七年(一九五三)に相撲協会によって建てられた歴代横綱石碑があり、その一基には、初代の明石志賀之助から四十六代朝潮太郎までの名が、もう一基には四十七柏戸剛以降の名前が刻まれています。 |
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北斎通り 野見宿禰神社 |
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北斎通りを西進 |
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北斎通り 江戸東京博前交差点で清澄通りを渡る
江戸東京博物館は、階段を上る。 |
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江戸東京博物館脇遊歩道を西進 |
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江戸東京博物館脇遊歩道を西進 |
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江戸東京博物館 玄関入口 |
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江戸東京博物館 玄関入口 |
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江戸東京博物館から国技館へ |
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両国駅前 国技館 |
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JR 総武線 両国駅
如何にも往時の賑わいを思わせる駅舎だが、レストランや、土産物店である。改札口は奥の西口である。 |
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国技館通り JR両国駅西口風景
元大関の店、ちゃんこ霧島の大きな看板が目に付く。このようなちゃんこ店が総武線と、京葉道路との間にいくつもあるが、高い店もあり、安い店もある。量が多いので注意が必要である。 |
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国技館通り 力士像と手形のモニュメント
このようなモニュメントが国技館通りの両端に並ぶ。手形には力士名が書かれているが、像には書かれておらず、誰だか分からない。手形は栃若から曙などの歴代の横綱であり、像も横綱だとは思う。
右の手形は曙、左の手形は三代目若乃花である。 |
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国技館通りを南下 |
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国技館通り 両国二丁目交差点で右折、京葉道路へ
突き当りに回向院があり、左に隣接して旧国技館で日大講堂だった跡に建てられた両国シティコアがある。 |
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京葉道路 両国回向院
明暦三年(一六五七)、江戸史上最悪の惨事となった明暦大火(俗に振袖火事)が起こり、犠牲者は十万人以上、その多くが身元不明、引取り手のない有様でした。そこで四代将軍家綱は、こうした遺体を葬るため、ここ本所両国の地に「無縁塚」を築き、その菩提を永代にわたり弔うように念仏堂が建立されました。
有縁・無縁、人・動物に関わらず、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説くという理念のもと、「諸宗山無縁寺回向院」と名付けられ、後に安政大地震、関東大震災、東京大空襲など様々な天災地変・人災による被災者、海難事故による溺死者、遊女、水子、刑死者、諸動物など、ありとあらゆる生命が埋葬供養されています。 |