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大久保通り 袖摺坂
俗に袖摺坂と呼ばれ、、両脇が高台と垣根の狭い坂道で、すれ違う人がお互いの袖を摺り合わしたという(『御府内備考』)。
初め袖摺坂の柱を見た時、なぜこんなに広い大久保通りが、と思った。坂名としてはよくある名前である。 |
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大久保通り 袖摺坂 |
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都営 大江戸線 牛込神楽坂駅 |
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大久保通り 神楽坂上交差点で早稲田通りを渡る
東西線は交差点の左からこの交差点に入り、大久保通りを下って飯田橋に向かう。 |
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大久保通り 神楽坂上交差点で早稲田通りを渡る
交差点で右折すると神楽坂で、下ると毘沙門天で有名な善國寺がある。 |
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大久保通り 牛込消防署前交差点で右に曲がる |
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大久保通り 筑土八幡町交差点
筑土八幡神社はこの交差点手前左側にある。少し奥まった所にあり、たまたま正月準備をしているトラックが参道を塞ぐように停まっており、見落として交差点を渡ってしまい、引き返した。 |
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大久保通り 筑土八幡神社
昔、嵯峨天皇の御代(今から約千二百年前)に武蔵国豊島郡牛込の里に大変熱心に八幡神を信仰する翁がいた。ある時、翁の夢の中に神霊が現れて、「われ、汝が信心に感じ跡をたれん。」と言われたので、翁は不思議に思って、目をさますとすぐに身を清めて拝もうと井戸のそばへ行ったところ、かたわらの一本の松の梢の上に細長い旗のような美しい雲がたなびいて、雲の中から白鳩が現れて松の梢にとまった。翁はこのことを里人に語り神霊の現れたもうたことを知り、すぐに注連縄ををゆいまわして、その松を祀った。 その後、伝教大師がこの地を訪れた時、この由を聞いて、神像を彫刻して祠に祀った。その時に筑紫の宇佐の宮土をもとめて礎としたので、筑土八幡神社と名づけた。さらにその後、文明年間(今から約五百年前)に江戸の開拓にあたった上杉朝興が社壇を修飾して、この地の産土神とし、また江戸鎮護の神と仰いだ。 |
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大久保通り 筑土八幡神社 石造鳥居
石造の明神型鳥居で、享保十一年(一七二六)に建立された区内で現存最古の鳥居である。高さ三七五センチ、幅四七〇センチ、柱経三五センチ。
柱に奉納者名と奉納年が刻まれており、それにより常陸下館藩主黒田豊前守直邦により奉納されたことがわかる。
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大久保通り 筑土八幡神社 |
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大久保通り 筑土八幡神社 |
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大久保通り 筑土八幡神社
参道の手前左に田村虎蔵先生をたたえる碑、右後方に庚申塔がある。 |
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大久保通り 筑土八幡神社 田村虎蔵先生をたたえる碑
田村虎蔵は碑の金太郎をはじめ、多くの唱歌を作曲した。 |
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大久保通り 筑土八幡神社 庚申塔、百度石
寛文四年(一六六四)に奉納された舟型(光背型)の庚申塔である。高さ一八六センチ。最上部に日月、中央部には一対の雌雄の猿と桃の木を配する。右側の牡猿は立ちあがり実の付いた桃の枝を手折っているのに対し、左側の牝猿はうずくまり桃の一枝を持つ。
二猿に桃を配した構図は全国的にも極めて珍しく、大変貴重である。 |
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大久保通り 筑土八幡神社 |
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大久保通り 東京厚生年金病院 |
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大久保通り 飯田橋交差点で左折、外堀通りへ
この交差点は五差路で、斜め右下から左上に外堀通りが、右上から左下に目白通りが走り、中央下から中央に大久保通りが交差点に入る。図にすると分かりやすいが、交差点に入ると分かりにくい。 |
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大久保通り 飯田橋交差点で斜め上に左折、外堀通りへ |
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外堀通り 飯田橋交差点の歩道橋から見た外堀通り |
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外堀通り 飯田橋公共職業安定所
飯田橋公共職業安定所のビルの手前に飯田橋駅の案内柱がある。 |
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都営 大江戸線 飯田橋駅 |