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大阪城公園 二の丸地区 桜門前 豊国神社 豊臣秀吉公像
秀頼・淀殿ら自刃の地碑から天守閣に行けないので、昨年(平成28年)と同じくスロープを上ることにした。 |
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大阪城公園 山里丸地区 山里口出枡形 |
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大阪城公園 山里丸地区 山里口出枡形 |
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大阪城公園 山里丸地区 山里口出枡形
本丸と山里丸とを結ぶ通路に設けられた枡形で、徳川幕府が行った大坂城再築工事によって築かれた。外敵に備えるための、石組みに囲まれた四角い区画を枡形といい、特にこの場所は本丸から山里丸側に突き出していることから出枡形という。南には本丸に通じる姫門、奥には山里丸に通じる山里口門があったが、いずれも明治維新の大火により、石垣上の塀ともども焼失したと考えられる。なお西は埋門となっていて隠し曲輪へと通じている。 |
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大阪城公園 山里丸地区 山里口出枡形 |
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大阪城公園 本丸地区 天守閣裏 |
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大阪城公園 本丸地区 天守閣 東道路
異様な感じだが、バリアフリーとして天守閣入場口までのエレベーターが設置されている。勝手に乗ることは出来ず、入場券の改札口で係員の指示に従って利用できる。
改札口から天守閣入場口までは結構急な階段があり、エレベーターが無いと厳しい。 |
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大阪城公園 本丸地区 天守閣 天守下仕切門跡
天守下仕切門跡
天守台の西側は石組によって南北が隔てられており、通路となった個所の門を仕切門と呼んだ。北から本丸中心部へ侵入しようとする敵の直進を妨げるため両脇の石垣を行き違いとし、そのため門は東に向いていた。徳川幕府による大坂城再築時に築かれ、明治維新の大火により石垣上にあった塀ともども焼失したと考えられる。 |
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大阪城公園 本丸地区 本丸広場 |
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大阪城公園 本丸地区 本丸広場 天守閣
天守閣は4年(平成25年)前に来ており、今回はスルーした。 |
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大阪城公園 本丸地区 本丸広場 天守閣入場発券場 |
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大阪城公園 本丸地区 本丸広場 改修工事中の旧大坂市立博物館(旧陸軍第4師団司令部庁舎)
旧陸軍第4師団司令部庁舎を利用して昭和35年に開館したが、平成13年に馬場町交差点に大阪歴史博物館が開館することにともない、閉館した。現在は使用されていない。
旧第四師団司令部庁舎改修整備工事に伴う解体工事が行われている。 |
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昨年(平成28年)の大河ドラマを記念して真田丸記念写真が行われていたが、今年も行われている。さすがに参加する人は稀で、六文銭の幕は色あせている。 |
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大阪城公園 本丸地区 本丸広場 改修工事中の旧大坂市立博物館(旧陸軍第4師団司令部庁舎) |
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大阪城公園 本丸地区 本丸広場 本丸御殿跡
城の中心部を本丸といい、大坂城の本丸には天守のほか、政治を行うための御殿があった。豊臣時代の本丸御殿は大坂の陣で焼失し、その後、徳川幕府によって本丸に盛土をほどこし再び築かれた。幕末には十四代将軍徳川家茂が長州戦争の指揮をとるなど、重要な歴史の舞台にもなっている。慶応4年(=明治元年、1868)、明治維新の動乱の中で全焼し、明治18年、跡地に和歌山城二の丸御殿の一部が移されたが(紀州御殿)、これも昭和22年(1947)に焼失した。ここは江戸時代の本丸御殿の玄関付近にあたる。 |
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大阪城公園 本丸地区 桜門枡形 |
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大阪城公園 本丸地区 桜門枡形の巨石
桜門の内側には、本丸の正面入口を守るため、石垣で四角く囲まれた「枡形」とよばれる区画が設けられ、上部に多聞櫓【たもんやぐら】が建てられた。この枡形は、徳川幕府による大坂城再築工事の第2期工事が始まった寛永元年(1624)、備前岡山藩主池田忠雄【いけだただお】の担当によって築かれ、石材は備前 (岡山県)産の花崗岩【かこうがん】が用いられている。正面の石は蛸石【たこいし】とよばれる城内第1位の巨石で、表面積がおよそ36畳敷(59.43平方メートル)、重量は約108トンと推定される。向かって左手の巨石は振袖石【ふりそでいし】(袖石【そでいし】)とよばれ、表面積はおよそ33畳敷(53.85平方メートル)で、城内第3位である。なお、上部の多聞櫓は慶応4年(=明治元年、1868)、明治維新の大火で焼失した。 |
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大阪城公園 本丸地区 桜門枡形の巨石 |
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大阪城公園 本丸地区 桜門枡形
今どく珍しいガイド付き団体が桜門の枡形にいた。中国語で桜門の巨石を説明しているらしい。 |
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大阪城公園 本丸地区 桜門枡形 桜門
重要文化財 桜門
本丸の正門にあたる。徳川幕府による大坂城再築工事が行われていた寛永3年(1626)に創建されたが、慶応4年(=明治元年、1868)に起きた明治維新の大火によって焼失し、明治20年(1887)に陸軍が再建し現在に至る。左右の塀も桜門再建にあわせて新築されたが、戦後に台風の被害を受けて倒壊し、昭和44年(1969)に復元されている。桜門の名称は豊臣秀吉が築いた大坂城以来のもので、当時二の丸に桜の馬場とよばれる場所があったことから、門付近に植えられた桜並木にちなんで命名されたと考えられる。ただし豊臣時代の大坂城は、徳川幕府再築の今の大坂城とは地形や構造が大きく異なり、桜門を含む本丸への入口は現在よりも西にあり、入る方向も違っていた。なお門の両脇に見える巨石ぱ龍虎石【りゅうこいし】と呼ばれ、江戸時代には、雨が降ると右に龍の姿が、左に虎の姿がそれぞれ現れるといわれた。 |
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大阪城公園 本丸地区 桜門枡形 桜門 |
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大阪城公園 本丸地区 桜門土橋 |
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大阪城公園 本丸地区 桜門土橋 空堀 |
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大阪城公園 二の丸地区 桜門前 豊国神社 |
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大阪城公園 二の丸地区 桜門前 豊国神社 豊臣秀吉公像
かつては中之島に鎮座していた。秀吉のほか豊臣秀頼、豊臣秀長も祭神とする(京都市の豊国神社は秀吉のみが祭神)。
明治12年(1879年)11月 京都市の豊国神社の別社として創建、大正10年(1921年)に独立した。当初は中之島公園の大阪市中央公会堂がある地点に鎮座しし、昭和36年に現在地に遷座した。 昭和18年に戦時供出された秀吉像は平成19年に復元された。 |
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大阪城公園 二の丸地区 桜門前 豊国神社 本殿 |
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大阪城公園 二の丸地区 桜門前 豊国神社 本殿左側から出る |