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金沢 長町武家屋敷跡 長町武家屋敷休憩館 |
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金沢 長町武家屋敷跡 長町武家屋敷休憩館
部屋はムッとするほど暖かい。 |
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金沢 長町武家屋敷跡 長町武家屋敷休憩館
金沢市内案内が英語、中国語だけでなくいろいろな言語で用意されている。 |
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金沢 長町武家屋敷跡 長町武家屋敷休憩館 熱中症計はほぼ安全
現在時刻は10:45で、温度19.5℃、湿度は54%、熱中症計はほぼ安全である。
昨日金沢駅前で時刻は13:10で、温度16.5℃、湿度は低くて測定不能だった。その時より寒いはずなので、休憩館にいて出てすぐに測ったから温度が異常に高いのだと思う。
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金沢 長町武家屋敷跡 長町武家屋敷休憩館
長町武家屋敷界隈
かつて、長町界隈には加賀藩の上・中級武士が多く暮らしており、細い路地や土塀・長屋門は往時の姿を留めています。界隈に流れる大野庄用水は、金沢最古の用水であり、港から城下へ物資を運ぶ水路として利用されていました。 |
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金沢 長町武家屋敷跡 大野庄用水沿いに散策 |
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金沢 長町武家屋敷跡 加賀藩千二百石 武家屋敷跡野村家 |
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金沢 長町武家屋敷跡 加賀藩千二百石 武家屋敷跡野村家 |
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金沢 長町武家屋敷跡 加賀藩千二百石 武家屋敷跡野村家
天正十一年(一五八三年)藩祖前田利家が金沢城に入城した際直臣として従った野村伝兵衛信貞家は禄高千石千二百石と累進し十一代にわたって御馬廻組組頭各奉行職を歴任千有余坪の屋敷を拝して連綿と明治四年廃藩までつづいた由緒深い家柄である。
武家制度の解体はついに、この地を庭園土塀を残して菜園としていたがその窮乏は次第に土地を分譲したり更に文明開化の町づくりの妨げとなって大正に入るや住宅街として現在に至ったのである。
しかし未だに一部藩政時代の面影をとどめている。
いくたびか住人をかえたが昭和の初期藩政時代蝦夷遠くはロシアに通商し藩政をも支えた「北前船」の旧橋立村の傑商久保彦兵衛が藩主を招くために造った豪邸上段伺候の間を移築したものである。
今更のように時代の推移盛衰を身近に感じられてならないし加賀文化を知る貴重な文化遺産である。 |
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金沢 長町武家屋敷跡 加賀藩千二百石 武家屋敷跡野村家 界隈案内図 |
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金沢 長町武家屋敷跡 和菓子 村上 本店 |
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金沢 長町武家屋敷跡 大野庄用水沿いに散策 |
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金沢 長町武家屋敷跡 大野庄用水沿いに散策
大野庄用水
藩政前からある用水で、犀川から取水し、旧石川郡大野庄
の感慨、物資運搬、市街地の防火、防ぎょ、融雪のための多目的用水で御荷川、鬼川、オホノヒ川の別名があり、下流は木曵川という。今も庭に「やり水」するなど城下町に景趣をそえている。 |
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金沢 長町武家屋敷跡 土塀のまちなみ
土塀のまちなみとして有名な一角で、前回(平成20年)もここから歩いて百万石通りの香林坊に出た。この通りに入ろうとしたが、前方にガイドの説明を聞きながら歩く団体がいたので少し立ち寄ってから元に戻り大野庄用水通りに歩いた。 |
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金沢 長町武家屋敷跡 土塀のまちなみ |
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金沢 長町武家屋敷跡 土塀のまちなみ |
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金沢 長町武家屋敷跡 中央公民館 長町館 |
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金沢 長町武家屋敷跡 中央公民館 長町館 |
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金沢 長町武家屋敷跡 中央公民館 長町館 |
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金沢 長町武家屋敷跡 中央公民館 長町館 |
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金沢 長町武家屋敷跡 老舗記念館 |
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金沢 長町武家屋敷跡 老舗記念館 |
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金沢 長町武家屋敷跡 木倉町通り入口
少し先に中央通りの長町交差点が見えるが、大野庄用水に架かる橋に「味覚の街・木倉町通り」と書かれており、橋を渡って様子を見たが、それほど魅力的なものもないので長町交差点に向かった。 |
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金沢 長町武家屋敷跡 木倉町通り入口 |
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金沢 長町武家屋敷跡 長町交差点で左折、中央通りへ |
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中央通りを南下 |
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中央通り 片町交差点で右折、国道157号へ
国道157号でもある百万石通りは、片町交差点の北にある香林坊交差点で分岐して左折する。 |
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中央通り 片町交差点 北國銀行片町支店 その日の金沢市天気予報
曇り後雨で、最高気温は11℃である。曇りの期間は分からないが、時折傘が必要なほど雨が降る。また風も時々強い時があり、寒風なので腰痛対策で貼るカイロをしていても効果は少なく、屈伸運動をしたり、休憩所で休んだりしている。 |
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中央通り 片町交差点で右折、国道157号へ
国道157号の先に犀川に架かる犀川大橋が見える。 |