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【撮影記録】
平成28年 3月 31日 快晴
10:50〜12:30 8,000歩(概算 5.2km 地図上の距離 4.0km)

地図システムの機能制約で上野東照宮や不忍池などの細かい経路は指定できず、距離に誤差が出る。

今年は桜にとって異常気象であり、いつまで経っても3〜4分咲であり、イライラしたが前日にやっと20℃を超え、当日も20℃を越して一気に満開とのことであった。事実家の近くの桜の名所も朝は7分咲が帰宅時には満開であった。
待ちかねた人々が殺到したため、特に上野公園は歩くのも大変でダラダラ歩きで腰痛が出たこともあって、隅田公園まで歩くことは断念した。
団子坂下交差点で不忍通りを渡り、都道神田白山線(三崎坂)へ 団子坂下交差点で不忍通りを渡り、都道神田白山線(三崎坂)へ 
団子坂下交差点 都道神田白山線(三崎坂)を東進 団子坂下交差点 都道神田白山線(三崎坂)を東進 

三崎坂は少し先で、団子坂下交差点界隈の商店街は団子坂下柳通りと称し、柳並木が続く。
団子坂下交差点 都道神田白山線(三崎坂)を東進する台東区めぐりんバス 団子坂下交差点 都道神田白山線(三崎坂)を東進する台東区めぐりんバス 

不忍通りを南下し、団子坂下交差点で左折して三崎坂に向かう台東区のコミュニティバスの東西めぐりんバスである。
都道神田白山線(三崎坂) 最初の交差点で左折、谷中よみせ通りへ 都道神田白山線(三崎坂) 最初の交差点で左折、谷中よみせ通りへ 
谷中よみせ通り 福丸饅頭(名物10円まんじゅう) 谷中よみせ通り 福丸饅頭(名物10円まんじゅう) 

1個10円の小さな饅頭で有名な店である。但し10個単位でしか買えないので、実際は100円饅頭(税抜き)である。

10円につられて何種類もの饅頭を1個づつ注文し、店員から10個単位と言われて驚き、中には文句をいう人を何回も見た。客が勘違いするような宣伝方法に問題があるように思う。
谷中よみせ通り ゲート 谷中よみせ通り ゲート 

よみせ通りはこのゲートから始まると言ってよく、不忍通りの東側に並行する商店街で、その途中に谷中ぎんざの入口があり、北出口は道灌山通りで右折すると西日暮里駅に向かう。

ゲート中央にはよみせ通りの出口近くにある延命地蔵尊が描かれている。
谷中よみせ通り 谷中ぎんざ入口 ゲート 谷中よみせ通り 谷中ぎんざ入口 ゲート 

谷中よみせ通りの途中に谷中ぎんざの入口があり、春や秋にはガイドマップを片手に中年女性のグループで溢れ返る。
谷中ぎんざを東進 谷中ぎんざを東進 

春になり、観光客がガイドマップを見ながら散策している。
谷中ぎんざを東進 肉屋すずき(名物谷中メンチ) 谷中ぎんざを東進 肉屋すずき(名物谷中メンチ) 

平日なので近所の人達がコロッケなど色々なものを買っていた。名物のメンチは150円で、立ち食いがしやすい専用の袋に入れてくれる。

谷中銀座には数軒の肉屋があり、それぞれ立ち食い用のコロッケやメンチカツが売られている。
谷中ぎんざを東進 谷中ぎんざを東進 

谷中ぎんざの出口にもゲートがあり、その先に夕やけだんだんが見える。
谷中ぎんざ 夕やけだんだん 谷中ぎんざ 夕やけだんだん 

日暮里は江戸時代に「ひぐらしの里」と呼ばれるほど夕焼けの美しい所で、「夕やけだんだん」は一般公募で名付けられた。
谷中ぎんざ商店街を舞台としたNHKの連続テレビ小説「ひまわり」で有名になった。「ひまわり」は平成8年上期の放送で、松嶋菜々子の出世作と言われる。
谷中ぎんざ 夕やけだんだん 谷中ぎんざ 夕やけだんだん 

夕やけだんだんを上った所に桜の老木があり、地域の名物となっていたが、倒壊の危険があり、平成23年に桜が散った後に切り倒された。
 夕やけだんだん坂上 御殿坂 経王寺 夕やけだんだん坂上 御殿坂 経王寺 

夕やけだんだん坂上の左手で御殿坂の手前に経王寺がある。その手前右に一方通行の諏訪台通り(初音のみち)があり、南下すると朝倉彫塑館があり、谷中霊園の西側沿いに南下する。
 夕やけだんだん坂上 御殿坂 経王寺 夕やけだんだん坂上 御殿坂 経王寺 

 経王寺は日蓮宗の寺院で山号を大黒山と称す。
明暦元年(一六五五)、当地の豪農冠勝平(新堀村の名主冠権四郎家の祖)が要詮院日慶のために寺地を寄進し、堂宇を建立したことに始まるという。本堂の隣の大黒堂には日蓮上人の作と伝えられる大黒天が鎮守として祀られており、地域の人々の崇敬を広くあつめている。
 慶応四年(一八六八)の上野戦争のとき敗走した彰義隊士をかくまったため、新政府軍の攻撃をうけることとなり、山門には今も銃弾の痕が残っている。
 夕やけだんだん坂上 御殿坂 経王寺 夕やけだんだん坂上 御殿坂 経王寺 
夕やけだんだん坂上 御殿坂 経王寺 山門の弾痕 夕やけだんだん坂上 御殿坂 経王寺 山門の弾痕 

大人の指が入るほどの大きさで、扉の両面に弾痕がある。
 夕やけだんだん坂上 御殿坂 経王寺 夕やけだんだん坂上 御殿坂 経王寺 
桜並木の御殿坂 月見寺(本行寺) 桜並木の御殿坂 月見寺(本行寺) 
桜並木の御殿坂 月見寺(本行寺) 桜並木の御殿坂 月見寺(本行寺) 

 本行寺は、大永六年(一五二六)江戸城内平河口に建立され、江戸時代に神田・谷中を経て、宝永六年(一七〇九)、現在地に移転した。景勝の地であったことから通称「月見寺」ともよばれていた。二十世の日恒上人(俳号一瓢)は多くの俳人と交遊があり、小林一茶がしばしば当寺を訪れ、「青い田の露をさかなやひとり酒」などの句を詠んでいる。
桜並木の御殿坂 月見寺(本行寺) 桜並木の御殿坂 月見寺(本行寺) 
桜並木の御殿坂 桜並木の御殿坂 

文政十二年(一八二九)に成立した「御府内備考」には、「感応寺後と本行寺の間より根津坂本の方へ下る坂なり」とあるが、「根岸」の誤写の可能性がある。明治五年「東京府志料」には、長さ十五間(約二七・三メートル)幅二間(約三・六メートル)とあるが、現在の坂の長さは五十メートル以上あり、数値が合致しない。以前は、谷中への上り口に当たる急坂を「御殿坂」と呼んだが、日暮里駅やJRの線路ができた際に消滅したため、その名残である坂の上の部分をこう呼ぶようになったと考えられる。俗に御隠殿(寛永寺輪王寺宮の隠居所)がこの先にあったからといわれるが、根拠は定かではない。
桜並木の御殿坂 桜並木の御殿坂 
桜並木の御殿坂 桜並木の御殿坂 
御殿坂 JR 日暮里駅 旧駅舎西口 御殿坂 JR 日暮里駅 旧駅舎西口  

日暮里駅は日暮里・舎人ライナーの開通に合わせて大改造され、薄汚い駅舎は一変している。



 
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