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掲示板(一言どうぞ)


国技館通り(ライオン本社ビル〜旧安田庭園〜両国回向院)

【関連サイト】   初冬の浅草寺羽子板市〜東京都慰霊堂・旧安田庭園〜回向院散策H301218(石原一丁目交差点〜東京都慰霊堂〜旧安田庭園)
初冬の浅草寺羽子板市〜東京都慰霊堂・旧安田庭園〜回向院散策H301218(国技館〜回向院〜両国駅)

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xd2101 春日通り 厩橋東詰交差点で右折、国技館通りへ 

交差点の少し先に見える本所一丁目交差点で右折すると二の橋通りである清澄通りである。大きな清澄通り比べ、首都高6号向島線沿いの片道一車線の地味な国技館通りは、標識がないと見落としかねない。
国技館通り 厩橋東詰交差点 ライオン本社ビル 国技館通り 厩橋東詰交差点 ライオン本社ビル 

国技館通りに入ると場違いなほど立派なビルがあり、営業だろうかビシッとスーツを決めた数人が門から出てきた。頭を上げるとビルにあのライオン像が付いていた。
国技館通り 厩橋東詰交差点 ライオン本社ビル 国技館通り 厩橋東詰交差点 ライオン本社ビル 

隅田川の堤防に首都高6号向島線が走り、歩道はプラタナスの並木が続く。
国技館通り 厩橋東詰交差点 ライオン本社ビル 国技館通り 厩橋東詰交差点 ライオン本社ビル 
国技館通り ろうけん隅田秋光園 国技館通り ろうけん隅田秋光園 
国技館通り 蔵前橋 国技館通り 蔵前橋 
国技館通り プラタナスの並木が続く歩道 国技館通り プラタナスの並木が続く歩道 
国技館通り 旧安田庭園 刀剣博物館 国技館通り 旧安田庭園 刀剣博物館 

刀剣博物館は旧安田庭園敷地の北西角にある。
国技館通り 旧安田庭園 刀剣博物館 国技館通り 旧安田庭園 刀剣博物館 

刀剣博物館は日本刀を保存・公開し、 日本刀文化の普及のため、日本美術刀剣保存協会の付属施設として昭和43年に開館しました。

日本刀は古来武器という性質以外に、信仰の対象や権威の象徴としての側面をもち、また美術品として鑑賞の対象にもなっていました。廃刀令後本来の日本刀の役割を終え、更に第二次世界大戦後、日本刀は武器と見なされ駐留軍による没収の的となり壊滅の危機に瀕しました。しかしながら本間順治、佐藤貫一氏等の活動により戦後の混乱を脱し、両氏を中心として昭和23年に美術工芸品としての日本刀の保存・鑑賞・研究・伝統継承のため日本美術刀剣保存協会が設立されました。

日本刀は日本人の豊かな感性により武器が美術工芸品にまで昇華されたといわれる文化財で、千年を越えて大切に保存され、歴史的・文化的にもその果たした役割が大きいと言えます。日本刀に美を感じることは、日本の文化を感じることではないでしょうか。いまなお製作当時の姿を伝え、燦然と輝いている日本刀は、国内のみならず海外からも非常に高い関心が寄せられています。
当館は刀剣類、刀装、刀装具、甲胃、 金工資料、古伝書等を多数所蔵し、その中には国宝の太刀 銘 延吉や国行 (来)、国行(当麻)、重要文化財 太刀 銘 信房、重要美術品 太刀 銘 真景など、国の指定・認定物件も数多く含まれています。

日本刀という特殊な伝統文化の保存、また日本のみならず世界に日本刀を発信していく拠点となるベく、当館は今後も活動を展開していきます。
国技館通り 旧安田庭園 北門 国技館通り 旧安田庭園 北門 
国技館通り 旧安田庭園 北門 国技館通り 旧安田庭園 北門 

横網町公園の東京都慰霊堂(旧陸軍被服廠跡)を見物後、旧安田庭園の正門(東門 案内図の左下)から入って西門(案内図の右上)から出て、国技館通りを南下して国技館を経て両国駅に向かうのが通常のコースである。

そのため、北西角に建物があるのは知っていたが、それが刀剣博物館であり、北門があるのは知らなかった。
国技館通り 旧安田庭園 国技館通り 旧安田庭園 

旧安田庭園は何度も訪れているので国技館通りに戻った。
国技館通り 旧安田庭園 国技館通り 旧安田庭園 
国技館通り 旧安田庭園 北門 国技館通り 旧安田庭園 北門 

旧安田庭園の沿革

 元禄年間(1688−1703)に、徳川5代将軍綱吉の生母である桂昌院の実弟で後の常陸笠間藩5万石の藩主、本庄因幡守宗資が下屋敷として拝領し、この庭園を築造したと伝えられている゜中央に「心」字をかたどった池を配し、かつては隅田川の水を引き入れ、潮の干満によって変化する景観を楽しむ、いわゆる潮入り池泉廻遊式庭園である。
 明治になって旧備前岡山藩主池田章政侯爵邸となり、明治24年(1891)には、安田財閥の創始者である初代安田善次郎の所有となった。安田翁の逝去後、故人の遺志により大正11年(1922)に家屋及び庭園は、東京市に寄付された。
 大正12年(1923)9月1日の関東大震災により壊滅的な被害を受けたが、残った地割り石組みを基にして復元工事が行われた。旧安田邸跡地は寄付者の名を冠して「旧安田庭園」と命名され、昭和2年(1927)に民間篤志家の寄付による和風庭園として都内初の一般公開となった。
 昭和42年(1967)、東京都から墨田区に移管されたのを機に、全面的な改修工事を行い、昭和46年(1971)に新装開園し、現在に至っている。
 明治時代の文献の中で記載されている姿を今日までよくとどめており、清澄庭園に匹敵する明治時代の代表的庭園の一つであることから、平成8年(1996)、東京都の「名勝」に指定された。
 国技館通り 旧安田庭園沿いに南下 国技館通り 旧安田庭園沿いに南下 
 国技館通り 旧安田庭園 西門 国技館通り 旧安田庭園 西門 
国技館通り 旧安田庭園 西門前 舟橋聖一生誕記念碑 国技館通り 旧安田庭園 西門前 舟橋聖一生誕記念碑 

旧安田庭園の西門前のビルの外壁にあるが、文字が劣化して読みにくい。

花の生涯

作家舟橋聖一は明治37年(1904)12月25日に、本所区横網町二丁目二番地に生誕。
作家、国文学者として盛名高く、その七十二年の生涯は権威に屈せず、市井の文人、文学者として独自の風格を以って貫かれている。
代表作の一つ、「花の生涯」は井伊大老の生涯を綴った醇乎たる逸品であるが、文学者、文化人として、前人未踏の道を歩いた作者の人生行路もまた、そのまま花の生涯と呼ぶにふさわしいものである。

井上 靖
 国技館通り 国技館 国技館通り 国技館 
国技館通り 墨田区コミュニティバス すみだ百景 すみまるくん(両国ルート) #13 国技館 国技館通り 墨田区コミュニティバス すみだ百景 すみまるくん(両国ルート) #13 国技館 

理由は分からないが、墨田区のホームページによればバス停は国技館・水上バス乗り場であるが、後半部は消されている。
 国技館通り 国技館 国技館通り 国技館 

国技館前は幾度となく歩いたが、中に入れたことは数回に過ぎない。昨年(平成30年)の2月に偶然南門から入ることができ、相撲土産売店を見物することができた。
 国技館通り 両国駅 西口の総武線高架を潜り抜ける 国技館通り 両国駅 西口の総武線高架を潜り抜ける 

左の両国駅側の高架下は国技館通りで、右は一の橋通りとなって徐々に右にずれていく。
 国技館通り 両国駅 西口 国技館通り 両国駅 西口 
国技館通り 両国駅 西口から見た国技館 国技館通り 両国駅 西口から見た国技館 
国技館通り 両国駅 西口の総武線高架下を進む 国技館通り 両国駅 西口の総武線高架下を進む 
国技館通り 両国二丁目交差点 両国回向院山門前で右折、京葉道路へ 国技館通り 両国二丁目交差点 両国回向院山門前で右折、京葉道路へ 

両国回向院の山門は改修中である。山門から参道を直進し、正面の本堂で左折すると鼠小僧次郎吉や、山東京伝、海難慰霊碑などの史跡記念墓地がある。
京葉道路 両国花火資料館 京葉道路 両国花火資料館 

京葉道路の回向院山門に隣接したビルの西側にある。



 
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