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万歩計



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白山上交差点〜駒込大観音〜団子坂下交差点

【関連サイト】   下町散策 白山神社・根津神社〜谷中霊園・上野寛永寺〜入谷朝顔市(H18-07-08)
文京区 B−グルバス(H21−08−09)
谷根千(谷中・根岸・千駄木)散策(H21−09−13)


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旧白山通り 白山上交差点 右折して大観音通りへ 旧白山通り 白山上交差点 右折して大観音通りへ 

斜め右から左へ急角度で中山道(国道17号)が横断する交差点で、ビル工事の白い壁の右側を歩いて行く。旧白山通りはこの交差点までで、ここから大観音通りとなる。大観音通りは通称で、都道白山神田線(452号)である。
旧白山通り 白山上交差点 右折して大観音通りへ 旧白山通り 白山上交差点 右折して大観音通りへ 
大観音通り 向丘二丁目交差点で本郷通りを渡る 大観音通り 向丘二丁目交差点で本郷通りを渡る 

文京区のコミュニティバスであるBーぐるバスはここで右折、本郷通りを下り、日本医科大に向かう。
大観音通り 栄松院 大観音通り 栄松院 

薩摩浄雲、初代 松本幸四郎の墓があるとのことだが、一般人が行ける範囲では見当たらなかった。
大観音通り 栄松院 大観音通り 栄松院 

薩摩浄雲の墓
 文禄4年(1595)〜寛文12(1672)。江戸初期の浄瑠璃太夫。上方の出身。通称虎屋次郎右衛門。別に江戸次郎右衛門、薩摩太夫といった。晩年に剃髪して浄雲と号した。
 浄瑠璃を修め、寛永初年の頃江戸に来て「江戸薩摩」をおこす。当時、江戸随一の人形遣い小平太を擁し、操りの妙と人形衣裳の華美と舞台装置の良さで好評をはくした。

初代 松本幸四郎の墓
 延宝2年(1674)〜享保15年(1730)。江戸中期の歌舞伎俳優。下総国の生まれ。
屋号は初代のみ大和屋。はじめは久松小四郎といって女形を勤める。のち本姓の松本に戻り立役となり幸四郎と改名した。
 二代目市川団十郎と並ぶ名優のひとりと評された。
大観音通り 光源寺(駒込大観音) 大観音通り 光源寺(駒込大観音) 

高さ約6mの駒込大観音がある。7月9・.1O日の「四万六千日」の緑日のほおづき市で知られる。
光源寺から西進するとコースの白山神社へ、東進すると森鴎外の観潮楼、団子坂を経て谷中霊園に向かう。
大観音通り 光源寺(駒込大観音) 大観音通り 光源寺(駒込大観音) 
大観音通り 光源寺(駒込大観音) 大観音通り 光源寺(駒込大観音) 
大観音通り 旧 駒込蓬莱町案内 大観音通り 旧 駒込蓬莱町案内 

光源寺(駒込大観音)脇にある。

 元文年間(1736〜41)町屋が開かれた。町内向側に寺院4か寺(瑞泰寺・栄松寺・清林寺・光源寺)があったので、四軒寺町と唱えた。本郷通りの長源寺・浄心寺の両側を江戸時代、ウナギナワテ(まっすぐ細長い道)といわれた。
 明治5年、浅嘉町の一部と、高林寺門前、浩妙寺、浄心寺などの寺地を併せ、町名を蓬莱町とした。
 町名は、中国の伝説である東方の海中にあって、仙人が住むという蓬莱山の名にあやかり、将来の繁栄を願ってつけられた。
 町内には寺院が多く、戦災で焼失したが大観音で有名な光源寺、将軍に献上した「お茶の水」で有名な高林寺(振袖火事でお茶の水からここに移る)がある。
団子坂 森鴎外 観潮楼跡 団子坂 森鴎外 観潮楼跡 

森鴎外が向丘の後に漱石が住んだ家から移り、明治25年から死ぬまで住んだ住居跡である。汐見坂上にあったので、観潮楼と名づけた。ここで雁、高瀬舟などが書かれた。
団子坂 森鴎外 観潮楼跡 団子坂 森鴎外 観潮楼跡 

 森鴎外(1862〜1922)は明治25年(1892)1月から大正11年(1922)7月9日に60歳で没するまで、この地に住み、多くの名作を残した。 鴎外は邸宅に二階建で12畳の書斎を増築し、遥か遠くに品川沖が眺められたので観潮楼と命名した。
 ここを文学活動の処点とした鴎外は「青年」「雁」や、「阿部一族」「高瀬舟」などの歴史小説、さらに「渋江抽斎」に至る独自の考証史伝作品を発表した。また、明治40年(1907)から催された観潮楼歌会には、与謝野寛(鉄幹)、石川啄木など多くの詩人や歌人が参会して、鴎外を中心とした文学者の集まりが形成された。
 観潮楼は昭和12年(1937)の火災および昭和20年(1945)の戦災により焼失したが、図書館の南側にある旧表門の礎石、敷石や庭園内の老銀杏、庭石(幸田露伴、斉藤緑雨ゆかりの三人冗語の石)などに、当時の面影が偲ばれる。日本文学史上、意義深いこの地に、昭和37年鴎外記念室をもつ区立鴎外記念図書館を開設。
団子坂 森鴎外 観潮楼跡 団子坂 森鴎外 観潮楼跡 

休館のお知らせ

 記念室の建物が鴎外の貴重資料の保存に適さなくなってきた為、平成20年4月から休館しています。
 当地に新たに(仮称)森鴎外記念館として、平成24年(森鴎外生誕150周年)の開館をめざしています。ご不便をおかけ致しますが、ご理解ご支援を賜りますよう、お願い申し上げます。

現在今年(平成22年)2月まで耐震工事中の駒込保育園が借りている。そのため、幼児が先生に連れられて出入りをしている。
団子坂 団子坂上交差点 団子坂 団子坂上交差点 

Bーぐるバスは不忍通りから団子坂を上ってきてこの交差点で右折(写真では左折)する。
団子坂 団子坂 

団子坂は、潮見坂、千駄木坂、七面坂の別名がある。
 「千駄木坂は千駄木御林跡の側、千駄木町にあり、里俗団子坂と唱ふ云々」   (御府内備考)
 「団子坂」の由来は、坂近く団子屋があったともいい、悪路のため転ぶと団子のようになるからともいわれている。また、「御府内備考」に七面堂が坂下にあるとの記事があり、ここから「七面坂」の名が生まれた。「潮見坂」は坂上から東京湾の入江が望見できたためと伝えられている。
 幕末から明治末にかけて菊人形の小屋が並び、明治40年頃が最盛期であった。また、この坂上には森鴎外夏目漱石高村光太郎が居住していた。
団子坂下交差点で左折、不忍通りへ 団子坂下交差点で左折、不忍通りへ 



 
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