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JR 中央線快速 御茶ノ水駅 聖橋口 JR 中央線快速 御茶ノ水駅 聖橋口 

【撮影記録】
平成26年 5月 20日 晴れ
10:05〜11:20 6,500歩(歩行距離 概算 4.6km 地図上 4.4km)
中央線快速 御茶ノ水駅〜外堀通り〜四ツ谷駅
駅数 2、営業距離 4.0km

前回は御茶ノ水までだったので、なんとか新宿までと思ったが、飯田橋付近で腰が痛みだし、四ツ谷駅で断念した。なんとも不甲斐ないことである。膝などの足の痛みは少ないものの、腰痛がひどく歩くのに苦労した。
御茶ノ水駅前 茗渓通りを西進 御茶ノ水駅前 茗渓通りを西進 

御茶ノ水駅のホーム沿い南側の茗渓通りを歩く。茗渓通りは左側には大学や予備校の校舎が、ホーム沿いの右側には学生向けの食堂が並ぶ。
茗渓通り お茶の水駅前交差点で右折、明大通りへ 茗渓通り お茶の水駅前交差点で右折、明大通りへ 

左折すると、リバティタワーなどの明治大学の駿河台キャンパスがある。
JR 中央線快速 御茶ノ水駅 御茶ノ水橋口 JR 中央線快速 御茶ノ水駅 御茶ノ水橋口 
明大通り お茶の水駅前交差点 駿河台の由来 明大通り お茶の水駅前交差点 駿河台の由来 

 高台である「駿河台」は元来、本郷・湯島台と地続きで、その南端に位置し、「神田山」と呼ばれていました。江戸に幕府を開いた徳川家康は、新たな町づくりのため、この神田山を切り崩し、江戸城の南に広がる日比谷入江(現在の日比谷公園、新橋周辺)を埋め立てました。しかし、埋め立てによって、それまで海に流れ込んでいた平川(神田川のもとになった川)の流れがとどこおり、下流で洪水が頻発するようになりました。そこで現在の飯田橋付近から隅田川まで、分流としての水路を確保し、あわせて江戸城の外堀の役目も果たす「神田川」が開削されたのです。こうしてこの界隈は、本郷・湯島台から切り離され、現在の駿河台が形成されました。
 さて、家康が駿府で没した後、家康付を解かれ、駿河から帰ってきた旗本(駿河衆)たちが、江戸城に近く富士山が望めるこの地に多く屋敷を構えました。駿河衆が住んでいたことや駿河国の富士山が見えたことなどから、この地は駿河台と呼ばれるようになり、多くの武家屋敷が立ち並ぶ地域となりました。
明大通り 神田川に架かる御茶ノ水橋 明大通り 神田川に架かる御茶ノ水橋 

正面に東京医科歯科大学のキャンパスがあり、お茶の水橋の下には北側に神田川がが流れ、南側には中央線快速と総武線が走る。
明大通り お茶の水交差点で左折、外堀通りへ 明大通り お茶の水交差点で左折、外堀通りへ 
外堀通り 木立の崖向いに見える中央線快速・総武線の線路 外堀通り 木立の崖向いに見える中央線快速・総武線の線路 

外堀の左は急な崖で、その下の神田川沿いに中央線快速・総武線の線路がある。
外堀通り サッカー通り入口 外堀通り サッカー通り入口 

右の東京医科歯科大学と、順天堂大学との間にサッカー通りの入り口があり、両大学の壁には長友などの有名選手の写真が張られている。

サッカー通りを北上し、本郷通り、蔵前橋通りを過ぎると日本サッカーミュージアムがある。
外堀通り 順天堂前交差点 外堀通り 順天堂前交差点 

東京医科歯科大学に隣接し、交差点前後に順天堂大の病院などが建ち並ぶ。
復路の順大と言われた順天堂大も、ここ数年箱根で見ることはなくなった。
外堀通り 長い坂を下る 外堀通り 長い坂を下る 

順天堂前交差点を過ぎると、水道橋交差点に向って長い坂を下っていく。
外堀通り 神田上水懸樋(掛樋)跡 外堀通り 神田上水懸樋(掛樋)跡 

江戸時代、神田川に木製の樋を架け、神田上水の水を通し、神田、日本橋方面に給水していました。
明治三十四年(一九〇一)まで、江戸・東京市民に飲み水を供給し続け、日本最古の都市水道として、大きな役割を果たしました。
この樋は、懸樋(掛樋)と呼ばれ、この辺りに架けられていました。
この絵は、江戸時代に描かれたもので、この辺りののどかな風情が感じられます。
外堀通り 都立工芸高校 外堀通り 都立工芸高校 

水道橋交差点手前にあり、創立1907年(明治40年)である。
外堀通り 神田上水分水路 外堀通り 神田上水分水路 

水道橋交差点から坂を上り始めた所にあるが、碑の説明はない。
外堀通り 神田上水分水路 外堀通り 神田上水分水路 

神田川の分水路をまとめたもので、下が北、右が西で高田馬場駅から馬喰町駅までの分水路が表示されている。
外堀通り 水道橋交差点 水がテーマの小公園 外堀通り 水道橋交差点 水がテーマの小公園 

外堀通りの長い坂を上って下って来た所にあり、散歩の高齢者が一休みによく使われるところでもある。
 外堀通り 水道橋交差点 神田川にかかる水道橋 外堀通り 水道橋交差点 水がテーマの小公園 
外堀通り 水道橋交差点で白山通りを渡る 外堀通り 水道橋交差点で白山通りを渡る 

後方に東京ドームホテルが見える。
外堀通り 水道橋交差点で右折すると総武線 水道橋駅 外堀通り 水道橋交差点で右折すると総武線 水道橋駅 
外堀通り 市兵衛河岸 外堀通り 市兵衛河岸 

 河岸とは、物資輸送のために水ぎわに作られた物揚場などの施設のことである。この河岸の名は、江戸時代の中頃まで、現在の後楽2−1−18あたりに岩瀬市兵衛の屋敷があったことによる。市兵衛河岸は、飯田橋駅近くの船河原橋から水道橋までの神田川沿いの一帯で、江戸切絵図にもこの名が見える。
 この河岸は、明治8年から昭和8年まで現在の後楽園遊園地一帯にあった砲兵工廠の荷揚場としてにぎわった。明治時代、この河岸から早船といわれた客船が神田昌平橋まで往復していたこともあった。町名としての市兵衛河岸は、昭和39年の住居表示の施行により後楽1丁目となり、この名は消滅した。
外堀通り 神田川 市兵衛河岸 防災船着場 外堀通り 神田川 市兵衛河岸 防災船着場 

常磐橋にあったのと同じ趣旨である。
外堀通り 後楽橋交差点 外堀通り 後楽橋交差点 

右のビルは見た目そのままの「きいろいビル」で、後方のJRAマークが付いているのは場外馬券場があるウインズ後楽園である。
 外堀通り 小石川橋交差点周辺に咲くキリシマツツジ 外堀通り 小石川橋交差点周辺に咲くキリシマツツジ 

外堀通り沿いの花壇にはキリシマツツジが植えられている。
外堀通り 旧町名案内 旧市兵衛河岸 外堀通り 旧町名案内 旧市兵衛河岸 

 小石川橋北側の神田川(外堀)の河岸一帯で、水道橋から船河原橋までの河岸地である。
 『江戸砂子』(享保17年・1732)に、牛込御門の外なり。岩瀬市兵衛の屋敷あるゆえにいうとある。この市兵衛から町名をとった。
 昭和15年の改正で、市兵衛河岸を分けて、一部は小石川町1丁目に、一部は春日町1丁目に編入されて、残地がわずかに残った。
 神田川の昌平橋との間を往復する客船の船着場であった。また荷物を岸に揚げる物揚場があった。東京砲兵工廠のあったころは、工廠用の貨物が揚げ下ろしされた。
外堀通り 飯田橋職安前交差点 外堀通り 飯田橋職安前交差点 

右手にハローワーク飯田橋(旧職安)があり、その脇の小道を進むと小石川後楽園の正門がある。
外堀通り 飯田橋交差点で目白通りを渡る 外堀通り 飯田橋交差点で目白通りを渡る 
外堀通り 飯田橋交差点歩道橋から見た飯田橋駅 外堀通り 飯田橋交差点歩道橋から見た飯田橋駅 

陸橋の左手には総武線飯田橋駅が見える。その左には目白通りに架かる飯田橋駅ホームがある。



 
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