万歩計 トップ 散策点描 目次    浅草界隈の寺社の歳末風景H271230 目次  三ノ輪駅〜鷲神社〜吉原大門 目次  三ノ輪駅〜鷲神社〜長國寺 地方橋交差点〜土手通り〜今戸神社  ページ ラスト 


万歩計



(Since H14-10-28)

目次









掲示板(一言どうぞ)


飛不動尊〜一葉記念館〜吉原大門

【関連サイト】   下町散策(一葉記念館〜鷲神社 三の酉〜浅草寺)H251127 (三ノ輪駅〜一葉記念館〜鷲神社 三の酉)
秋の浅草界隈散策(かっぱ橋道具街、浅草寺、今戸神社、鷲神社)H261107(吉原大門交差点〜吉原散策〜一葉記念館)

 直前のページに戻ります

写真の一覧表へ 


国際大通り 長國寺で右折、突き当りの台東病院で左折 国際大通り 長國寺で右折、突き当りの台東病院で左折 

超克時の門前で右折するとすぐ前に区立台東病院が聳え立つ。
飛不動尊 飛不動尊 

台東病院から商店街を歩きつつ北上すると、左手に飛不動尊が見える。

由緒

 当寺は龍光山三高寺正寳院と称し享禄三年(一五三〇)正山律師により聖護院派の祈願道場として開基された。その後滋賀県園城寺の末寺となったが、現在は修験の流れをくむ天台宗の一派をなしている寺である。本尊は不動明王で、古くより江戸名尊不動の一に数えられ、特に飛不動と呼ばれている。
 この名はむかし故あって当寺の住職が奈良県大峰山に本尊を安置し修行をしていたところ、一夜にして本尊がこの地に飛び帰り御利益を授けられたことより発している。
 当寺は寛政の大火を始めとして、数回諸堂を焼失しており寺伝を詳しく知るすべはないが、江戸古図や江戸砂子等に飛不動の名が見られ、千七百年代にはすでに飛不動と呼ばれていたようである。御本尊は数回の災禍の為、一部損傷しており、現在は秘仏として鉄筋入母屋造りの本堂に安置されている。この本堂は昭和四十六年に建立されたもので、中央に御本尊、右に鎌倉末期の阿弥陀如来、左に恵比寿大黒天がまつられている。又、本堂前の石仏は正徳三年作の如意輪観音である。
飛不動尊 飛不動尊 

 正寶院(飛不動尊)は、享禄三年(一五三〇)の創建と言われる修験寺院で、はじめ聖護院末・園城寺末から現在天台宗系の単立寺院となっている。
 当寺の本尊は木像不動明王坐像で、「飛不動」の通称で知られている。名の由来は、昔、当寺の住職が大和国(奈良県)大峰山に本像を背負って修行に行ったところ、一夜にして当地へ飛び帰り、人々にご利益を授けたことによると伝えられている。
 近年は航空安全の守護神として有名になり、空の安全を祈願する参詣客が多い
飛不動前交差点を過ぎる 飛不動前交差点を過ぎる 
飛不動前交差点の次の交差点で右折 飛不動前交差点の次の交差点で右折 

いつもは一葉記念館、飛不動尊と経て鷲神社に向かうが、今回は逆順なので目標が分かりにくい。交差点角には床屋がある。
一葉記念公園、一葉記念館 一葉記念公園、一葉記念館 

5000円札発行ブームの11年前(平成16年)に訪れた時は普通の民家風の建物であった。その1年後に訪れた時は改築中だったが、こんな立派なものになっていた。

一葉記念館

一葉記念館は、昭和36年に我が国初の女流作家の単独資料館として開設されました。その後40年余りを経て老朽化が進み、樋口―葉が「新五千円札の肖像」に採用されたことを機に、平成18年11月1日にリニューアルオーブンしました。
 一葉自筆の「たけくらべ」未定稿や書簡、龍泉寺町に開いた小店の模型や一葉がつけていた仕入帳など、貴重な資料を展示しています。また、明治期の下町の文化、風俗資料 もご覧いただけます。
年末年始の休館中の一葉記念館 年末年始の休館中の一葉記念館 
一葉記念館前公園 一葉女史たけくらべ記念碑 一葉記念館前公園 一葉女史たけくらべ記念碑 

近代文学不朽の名作「たけくらべ」は樋ロー葉在住当時の竜泉寺町を中心に吉原界隈が舞台となった。これを記念して昭和二十六年十一月、地元一葉記念公園協賛会によって建てられ、その後台東区に移管された。
碑文は女史の旧友歌人佐佐木信綱博士作並びに書による次の歌二首が刻まれている。

 紫の古りし光にたくへつべし
 君こゝに住みてそめし 筆のあや
一葉女史たけくらべ記念碑
 そのかみの 美登利信如らも この園に
 来あそぶらむか 月しろき夜も
             佐佐木 信綱
一葉記念館前公園 一葉女史たけくらべ記念碑 一葉記念館前公園 一葉女史たけくらべ記念碑 
一葉記念公園と一葉記念館の間の道を直進 一葉記念公園と一葉記念館の間の道を直進 
次の交差点で左折 次の交差点で左折 

一葉記念公園と一葉記念館の間の道を直進して次の交差点で左折する。交差点には一葉記念館の道標がある。
吉原のソープ街 よし原揚屋町案内柱 吉原のソープ街 よし原揚屋町案内柱 

歩いている道は吉原大門からの仲之町通りと平行しており、その間を結ぶのが揚屋通り、江戸町通りである。吉原大門から揚屋通りを歩いてい一葉記念館まで歩いたことがあるが、さすがは吉原ソープ街、と思ったことがある。
吉原のソープ街 よし原江戸町一丁目案内柱 吉原のソープ街 よし原江戸町一丁目案内柱 

樋口一葉が一時住んでいた龍泉寺町とは目と鼻の先である。揚屋通り、江戸町通りとも両脇にソープのビルが建ち並んでおり、かつての吉原遊郭がいかに身近なものだったかが分かる。
日本堤一丁目交差点で右折、土手通りへ 日本堤一丁目交差点で右折、土手通りへ 
土手通り 吉原大門交差点 土手通り 吉原大門交差点 

ここで右折すると仲之町通りで、揚屋通り、江戸町通りのようなソープで有名な吉原ソープ街となる。
土手通り 吉原大門交差点 見返り柳 土手通り 吉原大門交差点 見返り柳 

 旧吉原遊廓の名所の一つでで、京都の島原遊廓の門口の柳を模したという。遊び帰りの客が後ろ髪を引かれる思いを抱きつつ、この柳のあたりで遊廓を振り返ったというところから「見返り柳」の名があり、
「きぬぎぬのうしろ髪ひく柳かな
  見返れば意見か柳顔をうち」
など、多くの川柳の題材となっている。
 かつては山谷堀脇の土手にあったが、道路や区画の整理に伴い現在地に移され、また、震災・戦災による焼失などによって、数代にわたり植え替えられている。
土手通り 吉原大門交差点 見返り柳 土手通り 吉原大門交差点 見返り柳 
土手通り 吉原大門交差点 ガソリン価格低下が止まらず 土手通り 吉原大門交差点 ガソリン価格低下が止まらず 

少し前までは150円〜160円していたガソリンが110円を切っている。驚異的な円高と言われた80円/ドル時代ではなく、120円/ドルの時代にである。



 
万歩計 トップ 散策点描 目次    浅草界隈の寺社の歳末風景H271230 目次  三ノ輪駅〜鷲神社〜吉原大門 目次  三ノ輪駅〜鷲神社〜長國寺 地方橋交差点〜土手通り〜今戸神社  ページ トップ