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小石川後楽園 西門
梅まつりは2月11日から3月6日までで、普段は閉鎖している水道橋駅側の東門(正門)は2月11日から21日までである。
通常は3月初めまでで良いが、今年は天候不順であり、梅の開花が遅れており満開時期は梅まつりが終わってからかなり経ってからではないか、と想う。3年前(平成25年2月22日)と比べてもその差は歴然としている。 |
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小石川後楽園 西門 小石川後楽園の修復
小石川後楽園は、江戸時代初期に水戸藩藩邸内に築造された、我が国を代表する回遊式築山泉水式の大名庭園です。
国の特別史跡及ひ特別名勝に指定されている、貴重な文化財となっています。 現在は、平成21年度から行われている大泉水護岸などの修復事業の一環として、白糸の滝の調査・修復工事を進めています。
【工事へのご協力のお願い】
利用上の安全を考慮して下図の箇所で仮設橋の通行をお願いしています。ご来園の皆様にはご迷惑をお掛けしますが、ご理解とご協力のほどよろしくお願いいたします。 |
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小石川後楽園 西門 小石川後楽園案内
摩耗が甚だしく、読解に苦労する。
小石川後楽園は、旧水戸徳川家の江戸上屋敷の後園で、林泉美に富む回遊式築山、山水庭園である。
江戸時代初め、徳川御三家の一つであった水戸家の祖 徳川頼房は、寛永6年(1629年)三代将軍家光から与えられた この邸地に回遊式庭園を築造した。二代目藩主光圀も本園の築庭には力を注ぎ、当時 隣国 明の遺臣で我が国に亡命していた朱舜水の意見を用い、今見る様な中国趣味豊かな手法を加味した。
因みに後楽園の名は、光圀が舜水に命じて選んでもので、宋の范文正の「岳陽楼記」中 士当先天下之憂而憂、後天下之楽而楽 からとったものである。その後も、たびたびの改修や震、火災で創建時代の壮観さこそ失われたものの遂次手が加えられるなど 幾多の時代の変遷を経て現在に至っている。
本園は土の香ただよう奥深い山地と、樹林に包まれた 静寂な水面の中に各地の名所を写し、自然の美と人工の妙とを兼ねそなえた庭園芸術の粋を見せている。また、園内は数々の園亭祠堂があり、梅、桜、藤、花菖蒲など四季折々の花が豊富で都会では貴重な緑として、訪れるものに憩いの場を提供している。
なお本園は大正12年3月 国の史跡名勝に、また、昭和27年3月、文化財保護法により特別史跡及び特別名勝に指定された。 |
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小石川後楽園 涵徳亭前広場
入場すると左に涵徳亭があり、その前の広場で団体客が打ち合わせなどを行う。目の前に大泉水があり、多くの人が左回りで見物を始めていた。 |
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小石川後楽園 涵徳亭前広場
記念撮影コーナー
黄門様の衣装を着て記念撮影が出来ます
※カメラはご持参下さい |
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小石川後楽園 大泉水
小石川後楽園の案内図は別ページに掲載した。 |
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小石川後楽園 西行堂跡
藩祖頼房の時代に、御鞍打師「小野荘兵衛」作の西行法師の木像を安置したことから西行堂と名づけられた。ここにある西行の歌碑は、九代斉昭の「駐歩泉」の碑にらなみ同夫人が建てたものである。なおこの堂は戦災により消失した。 |
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小石川後楽園 西行堂跡 |
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小石川後楽園 駐歩泉
九代斉昭が、西行堂側の流れを西行の和歌「道のぺに しみづながるる 柳かげ しばしとてこそ 立ちどまりつれ」にちなみ「駐歩泉」と命名し、自ら筆をとり碑を建てたものである。 |
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小石川後楽園 竜田川
川辺に楓や桂などの古木が生い茂り、秋深く染土する木々の虹葉は春の花より紅いなり といわれる。 |
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小石川後楽園 竜田川 |
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小石川後楽園 紅葉林 |
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小石川後楽園 大泉水、蓬莱島
大泉水
この庭園の中心となる景観。蓬莱島と竹生島を配し、琵琶湖を見立てて造られました。昔はこの池で舟遊びをしたといわれています。 |
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小石川後楽園 紅葉林、延段
右奥に延段があり、木曽川に向かう。
延段
大小の自然石と切石を巧みに組み合わせた中国風の素朴な石畳です。 |
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小石川後楽園 大泉水、蓬莱島
蓬莱島
島は亀の形をしており、先端の大きな鏡石は庭師徳大寺
佐兵衛にちなんで「徳大寺石」と名づけられ、弁財天を祀った祠がある。 |
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小石川後楽園 大泉水、蓬莱島 |
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小石川後楽園 延段
延段
中国風の素朴な石だたみで、切石と玉石を巧みに組み合わせたものである。 |
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小石川後楽園 延段 |
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小石川後楽園 延段、木曽川 |
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小石川後楽園 木曽山
木曽山
もとは古木が空をおおっていて昼なお暗く、渓流に沿った様子が木曽路を偲ばせる。また、シュロが多くあったことから棕櫚山ともいう。
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小石川後楽園 寝覚の滝
寝覚の滝
内庭地水の末流が滝となって木曽川に落ちるところで、木曽路の名所「寝覚の床」にちなんで呼ばれている。
左中央端に小さな滝があるが、これが寝覚の滝らしい。滝というも烏滸がましい気がする。 |
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小石川後楽園 唐門跡
唐門跡
内庭から後園に入る門で、唐様の極彩色の彫刻をもった壮麗な建築物で朱舜水の書いた「後楽園」の扁額がかけられていたが、戦災で焼失した。 |
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小石川後楽園 内庭
内庭
本園は大別すろと内庭と後園(後楽園)とに分けられる。内庭は水戸藩邸の書院の庭であって、江戸時代には「うちの御庭」などと呼ばれていた。江戸の大名屋敷がほとんど消滅した現在、書院の庭の旧態をよく残しているものとして貴重である。 |
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小石川後楽園 内庭
小石川後楽園の東門(正門)から入ると、内庭付近に出て、木曽山が直ぐである。 |