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JR 山手線 鶯谷駅 南口
鶯谷駅〜徳川家綱、綱吉霊廟〜黒田清輝記念館前交差点〜東京国立博物館〜輪王殿〜両大師橋〜上野公園(国立科学博物館〜摺鉢山古墳)〜不忍池(桜木亭〜弁天堂〜桜並木〜池畔遊歩道)〜上野公園(清水観音堂〜正門)〜上野駅 不忍口
【撮影記録】
平成25年 3月 12日 快晴
10:50〜12:00 6,800歩(地図 3.7km.概算 4.8km)
誤差は地図では表示できない不忍池などの見物である。
山手線の撮影でコースの関係で撮れなかった部分を補足するために歩いた。三月というのに五月初旬の暖かさだった。 |
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鶯谷駅の左手はJR跨線橋の凌雲橋
毎年7月6日〜8日に行われる入谷朝顔市は言問通りがメイン会場であるが、凌雲橋を下った所にも屋台が出ている。 |
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鶯谷駅の右に出て新坂を上る
明治になって、新しく造られた坂である。それで、新坂という。明治十一年(一八七八)内務省製作の『上野公園実測図』にある「鶯坂」がこの坂のことと考えられ、少なくともこの時期には造られたらしい。鶯谷を通る坂だったので、「鶯坂」ともいわれ、坂下の根岸にちなんだ「根岸坂」という別名もある。 |
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鶯谷駅の右に出て新坂を上る |
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新坂 台東区立 忍岡中学校の白梅 |
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突き当りを右折
左折して道なりに歩くと両大師橋交差点に出る。 |
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直進し、東京国立博物館沿いに北西に進む |
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寛永寺霊園の塀沿いに歩く 寛永寺第一霊園入口 |
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寛永寺霊園の塀沿いに歩く 東京国立博物館庭園
東京国立博物館というと白亜の展示館だけしか思い出さないが、建物の裏に閑静な和風庭園があり、数人の見物客が訪れているのを柵越しに眺められた。 |
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寛永寺霊園の塀沿いに歩く 徳川家綱霊廟勅額門(重要文化財)
四代将軍家綱は、慶安四年(一六五一)四月に父・家光の死に伴って、わずか十歳で将軍の座につき、延宝八年(一六八〇)五月八日に三十九歳で没した。法名を厳有院という。
病気がちであった家綱時代の政務は、主として重心の手に任されていたが、特に後半の政治を担当した大老・酒井忠清が有名である。時代は家綱の襲職直後に起こった由井正雪の乱の解決を機に、ようやく安定期に入った。
家綱の霊廟の一部は維新後に解体されたり、第二次世界大戦で焼失したが、この勅額門と水盤舎(ともに重要文化財)は、その廟所と共に、これらの災を免れた貴重な遺構である。勅額門の形式は四脚門。切妻造、前後軒唐破風付、銅瓦葺。
なお、このうち水盤舎は延宝八年に家綱のために造立されたものであるが、この勅額門は昭和三十二年の改修時に発見された墨書銘によって、もと家光の上野霊廟の勅額門であったものを転用したものと考えられる。 |
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寛永寺霊園の塀沿いに歩く 徳川家綱霊廟勅額門(重要文化財) |
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寛永寺霊園の塀沿いに歩く 徳川家綱霊廟勅額門(重要文化財) |
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寛永寺霊園の塀沿いに歩く 寛永寺第二霊園入口 |
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寛永寺霊園の塀沿いに歩く 東京スカイツリー |
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徳川綱吉霊廟勅額門 寛永寺第三霊園入口前で左折
右側に徳川綱吉霊廟勅額門があり、突き当りが寛永寺第三霊園入口で、その前で直角に左折する。 |
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上野寛永寺 重文 徳川綱吉霊廟勅額門
五代将軍綱吉は、延宝八年(1680)五月に兄・家綱の死に伴って将軍の座につき、宝永六年(1709)一月十日に六十三歳で没した。法名を常憲院という。 綱吉ははじめ、善政を行い「天和の治」と賛えられたが、今日では「生類憐みの令」などを施行した将軍として著名。 元禄十一年(1698)九月、この綱吉によって竹の台に寛永寺の根本中堂が建立された。造営の奉行は柳沢吉保、資材の調達は紀之国屋文左衛門と奈良屋茂左衛門である。また、それに伴って先聖殿(現・湯島聖堂)が上野から湯島に移されている。 綱吉の霊廟は宝永六年の十一月に竣工したが、それは歴代将軍の霊廟を通じてみてももっとも整ったものの一つであった。ただ、その一部は維新後に解体されたり、第二次世界大戦で焼失した。この勅額門と水盤舎(ともに重要文化財)は、その霊廟と共にこれら災を免れた貴重な遺構である。勅額門の形式は四脚門、切妻造、前後軒唐破風付、銅瓦葺。 |
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東京文化財研究所前を南下
道の反対側は台東区立上野中学校である。 |
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台東区立上野中学校前を南下
T字路で、右折して直進すると寛永寺の根本中堂に着く。 |
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国際子ども図書館(旧帝国図書館)前を南下
国際子ども図書館(旧帝国図書館)
この図書館は、明治5年8月湯島の聖堂内に開館した書籍館(文部省博物局所管)以来の伝統を受け継いでいる。書籍館は幾度か名称の変更を経て、明治30年4月に帝国図書館となった。この建物は明治39年4月帝国図書館新築工事の第一期分として竣工したものである。 当初の建設構想は大きく、全部が完成すると東洋一の図書館になる予定であったが、当時の財政事情により全体の四分の一程度が完成するに留まった。その後、建物の左側の部分が昭和4年に増築され、現在の規模となった。 昭和24年からは、国立国会図書館支部上野図書館として一般公衆の利用に供することを主たる目的として運営されてきたが、改修工事を行い、平成12年5月5日国立国会図書館国際こども図書館として開館、現在に至っている。躯体はほぼ創建時のままとすることで、全体として洗練されたネオ・ルネッサンス調の風格のある建築となり、明治の雰囲気を今に残している。 |
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黒田清輝記念館前交差点で左折、都道神田白山線(452号)へ
黒田清輝記念館は昨年(平成24年)4月から耐震工事のため休館中である。 |
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黒田清輝記念館前交差点で左折、都道神田白山線(452号)へ
交差点名はないが、右に黒田清輝記念館があり、交差点を渡って右には東京芸大附属図書館、左には旧音楽学校奏楽堂がある。 |